自撮りはいつまで楽しめる
友人と出かけたときに自撮りをする習慣、その最高潮は高校生のときだったかもしれない。スマホをゲットして嬉しかったのもあるのか、ひたすら写真を撮っていた気がする。テスト期間は学校が早く終わって、午後いっぱいはフリーだったから、お昼ごはんを食べて駄弁り散らかし、なぜかついでに自撮りしまくる時期があった。たしか受験が近かったときで、お互いの現実逃避欲が多種多様ポーズ自撮り欲に置き換えられるという謎の力がはたらいていた。貴重な制服姿ショットとして、現在もスマホにわっきゃわっきゃしている。
高校生のころは自撮りアプリがいろいろ出ていて、snowとかで撮ると、犬になったり猫になったりとにかくたいへんだった。人間の姿を保っていても、目がめちゃくちゃデカくなって顎がぎゅんと削られて唇が激ピンクになるから、なかなか突き抜けた仕様だ。でもあのときは撮ること自体がすごく楽しかったし、今になってきもかわな犬仕様の自分がひょんと出てきても、過去は過去として平静を保っていられる。たぶん。…………。
大学生になるとそういう超加工!アニマル化万歳!みたいなのが減って、ノーマルで自撮りをすることがほとんどになった。ノーマルといっても多少は小顔や美肌にしてくれたりなどと気の利くカメラアプリばかりで、なんというか、ほどよい自撮りに収まるのである。
撮る枚数は一緒にいる人とによるけれど、旅行とかではないかぎり、数枚で終わることが多い。わたしは人と会うときはかならずグルメを付属させたがるので、なんならめちゃくちゃ久しぶりに会ったのに、そのとき食べた料理の写真だけちゃっかり何枚か撮り、肝心のツーショットを忘れていた……なんてざらである。むしろそのほうが多いかもしれない。食い意地。
旅行に行くと、とにかく非日常であるその時間を忘れたくない!という思いが先行するので、良い!と思ったら全部撮ってしまう。あとから削除するのを前提で無条件にパシャパシャして、結局、世の8割の人は撮ったことのあるであろうわりと普通な夜景、肉眼で見るのが一番なんだよなと再認識させられる微妙な夕焼け、前後3枚との違いがわからないthe自然の緑と光、車窓から見えたなんだかありがたそうな謎の大仏などが大量におさめられる始末。
自撮りももちろんできるだけしておきたい。いい感じの庭園などで人が少なかったら、友人と他撮りをし合うのも楽しい。まあタイミングのわるい人間なので、最低1枚は目がひるがえっていたり輪郭がぶれぶれだったりするのだが、それもまた一興ということで……。
いまは自撮りという行為を純粋に楽しんでいるけれど、もう少し年齢を重ねると、そういうのをしなくなるのかもしれない。もはやまったく自撮りをしなくなる? するとアルバムのなかの写真の食べ物の割合がどんどん増えていってしまう……? それはそれでいいか。おいしいものは正義だし。解決。