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電柱が、音楽の人へ

詩歌や小説のほかにひとつ趣味をあげるとすれば、「音楽」である。

幼いころにほんの少しピアノをやらせてもらって、特に難しい曲を弾けるようになるでもなく辞めるというよくあるコースを辿ったのだが、中学生のときに出会いがあった。
伯父さんがやっていたというフルートが家にねむっていて、その華奢な見た目とまろやかな音色に惹かれたわたしは、吹奏楽部に入った。
ほかの楽器には目もくれず、フルートを熱く希望。楽器体験のときにウンともスンとも鳴らなかったのだが、練習あるのみじゃ!と覚悟を決めていた。一方的な愛である。同学年に希望者がいなかったので、スムーズに進む……かと思いきや! 楽器発表の冒頭で、先輩部員の構成と、新入部員の割り当ての関係から、今年はフルートは採らないことを伝えられる。ガーン!

家に楽器もあるのに……第一希望なのに……と悲嘆に暮れるわたしに割り当てられたのは、仲の良い子が希望していたからという理由でなんとなく第二希望にしていたサックスだった。今思うとサックスにほんとうに申し訳ない反応だ。
ただ、わたしがあまりに哀れな表情をしていたからか、部活が始まってしばらくしてから、顧問の先生に呼び出され、フルートに変更することもできるよ、とのお声をいただく。でも、そのころにはサックスの音も出せるようになっていたし、一度決まったものを途中でやめるのはなんだかな、という気持ちが湧き上がったのか、単に強がったのか、「サックスのままでいいです」と宣言するに至った。これも、言い方がサックスに失礼である。

高校生時代は文芸部で俳句をわっしょいわっしょいやっていたので、三年間、楽器のブランクが発生。
大学生になって、やっぱり音楽をやりたいなと思い、ジャズサークルの見学に行った。そこで心の琴線に触れたというか、とにかく演奏の熱量とそのアドリブの自由度に惹かれて、入る!と瞬間的に決めた。
いちばん最初に聴いたテナーの先輩の音がほんとうにかっこよくて、追いかけたくなって、アルトかテナーか迷った挙句、テナーを買うことにした。祖父母にお金を出してもらった。ありがとう。
結局、吹奏楽上がりのわたしは、アドリブがずっと苦手なままだった。譜面通りに吹くことはなんて楽だったんだろう。努力次第でちゃんと自由に遊べるようになったかもしれないけれど、兼サークルをしていた軽音のほうにばかり参加して、そこでなんちゃってピアノ伴奏と、サックスもやらせてもらい、ジャズからは遠ざかった。

ジャズは身につけられないまま終わってしまったけれど、祖父母に買ってもらった楽器と、その楽器をとおして素敵な時間を得られたのは事実だ。ありがたいことに、今も。
軽音サークル時代の素晴らしいピアノの先輩と、何年かぶりに再会して、ストリートピアノで演奏をした。つい先日のことだ。
二、三曲演奏したあと、ほかの演奏者に代わるのだが、そのあいだに近くに集まっている人たちと話したりもする。楽器の話や音楽の話。

「音楽は人をつなぐ」って、それっぽいフレーズだな、と思っていたけれど、実際にそうだった。そのへんに立っていたら絶対に話しかけ合わない電柱のような関係性なのに、音楽があるから、それを媒介として自然と話題がうまれる。電柱が、音楽の人、にかわるのだ。なんだか感動してしまった。
楽譜が読めないからYouTubeの動画を見て耳コピした、という方もいた。すごい努力だと思った。わたしは単音のコピーならできるけれど、和音になるともうお手上げなので、ピアノで耳コピができる人はほんとうにすごいと思う。

サックスは自宅で吹くことができないので、川沿いやカラオケで練習をするしかない。今回みたいにぶっつけ本番で、記憶を辿りながら演奏するのもなかなかスリルがあって楽しい。
ふだんは意識していないけれど、音楽をするとき、やっぱりわたしは音楽が好きなんだな、と実感する。


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