【IQ142】自分が"ギフテッド"だと気づくまで(①幼稚園〜小学校低学年)
"ギフテッド"って知ってますか?
初めまして!Maiと申します。
都内でOLをしているギフテッドで、高IQ団体のMENSA会員でもあります。
現在26歳。同級生の夫と大卒1年目で結婚し、4年目に突入しました。
突然ですが、このページをご覧の皆さまは「ギフテッド」という単語を聞いたことがありますでしょうか?
Wikipediaによると、
と定義されています。
一般的に「天才」「IQ が高い」とか「変わり者」と想像される方が多いかと思います。人によっては、歴史上の偉人でIQが高いとされる、アインシュタインやレオナルド・ダ・ヴィンチをイメージするかもしれません。
私自身、25歳で知能検査(WAIS-Ⅳ)を受けるまで、ギフテッドは雲の上の存在だと思っていました。
しかし、ギフテッドは一般的に想像されるよりもずっと身近な存在です。明確な定義はないのですが、一般的に参考値とされる「IQ130以上」だけで考えても、人口の2パーセント、50人に1人もいます。
また、知能検査だけでは測れない特異な才能を持っていたり、ギフテッドの特徴に当てはまる人、という観点で考えると、もっともっと多く存在するでしょう。
ギフテッドは一見、「知能が高く、才能に溢れていて、人生イージーモードじゃん!」と思われることがよくあります。
しかしながら、むしろ持ち得た能力や気質が故に「生きづらさ」を抱えて生活している人が少なからずいることをご存知でしょうか。
私もその1人です。
また、現状ではギフテッドを自認している当事者も少ないため、本来持ち得た気質以上に深い孤独感を感じている人や、疎外感を感じながらギフテッド児を育てている保護者の方が多くいらっしゃることを最近知りました。
そこでこの記事では、ギフテッドアダルトである26歳の私が、幼少期にどんな子どもで、どのような経験をしながら成長したかを記録したいと思います。
正直なところ、楽しい思い出ばかりではなく、辛い思いをしたり悩んだりしたエピソードも沢山あります。
記憶を掘り返すことも、それを公表することも勇気がいる試みでしたが、少しでも当事者やその保護者の方の参考になったら嬉しいです。
また、これを読んで一般的にイメージされるギフテッドと実際との違いを知っていただけたら、それも喜ばしいことです。
ありのままの、生身の1ギフテッドの回想録をご覧ください。
※あくまで1例なので、ギフテッド全員に当てはまる訳ではありません。
また前提として、私は処理速度凸という比較的珍しいタイプなので、あくまで「こんなギフテッドもいるんだ〜」くらいの気持ちで読んで頂けますと幸いです。
誕生〜幼稚園生のころ
私は、一般的な家庭の長女として生まれました。
父はサラリーマン、母は専業主婦。兄弟は弟が2人。
両親によると、幼少期は「発達が早い」ということはなかったそうです。
ギフテッドは発達が早いケースも多いそうなので、ここに関しては私は例外的かと思います。(憶測ですが、後に強く現れる完璧主義や"恥"の感情の強さが影響していたのかも?と思っています。)
歩き始めたのも話し始めたのも、平均的な子どもよりやや遅いくらい。母に聞いたところ、乳幼児期は育てづらいとか、他の子と違う点などはあまりなかったとのことでした。
また、ギフテッドによくあるパズルや自然科学が好きとか、1つの物事に熱中する、といったことも少なかったようです。
私自身の最も古い記憶があるのは、幼稚園年少の頃ですが、はっきりした記憶は幼稚園年長から始まります。ここからは、覚えているエピソードを
👍=ポジティブな思い出
👎=ネガティブな思い出
に分けて、いくつか書いてみたいと思います。
👍過剰適応ぎみで、負けず嫌い
幼稚園の送迎バスの中。お友達数人と先生と一緒に、足し算を唱える遊びをしていました。
「1+1=2、2+2=4、3+3=6、4+4=8、5+5=10!」
ここまではほとんどのお友達も唱えられていましたし、私も当時から数字が好きだったので、得意げに答えていました。また「幼稚園生でここまでできたら十分だろう」と幼いながらに考えていました(笑) しかし、あるお友達が、
「6+6=12、7+7=14!…」と続け出したのです。
これが、当時の私にはものすごくショッキングでした。
当時〜小学校中学年ごろまでは、「年齢相応に振る舞って、みんなから外れないようにしなくてはならない」という思い込みが強く、求められる水準を大幅に超えてできるようになってはいけないと強く信じていましたし、周囲のお友達もそう考えていると思っていました。
なので、同級生なのに自分より進んでいる子がいることが衝撃だった上に、自分が考える「幼稚園生らしさ」の水準が間違っていたと感じ、とても恥ずかしく思いました。加えて、好きな算数で先を行っている同級生がいる!と悔しく思ったのを20年後の今も(笑)、強く覚えています。
だけど、だからこそ「算数を頑張ろう」と思えたきっかけでもあるので、悪い記憶ではありません。
👎ごっこ遊びに馴染めない
幼稚園の頃に"ごっこ遊び"が流行っていたのですが、いつも「どう振る舞ったら、みんなと馴染めて、大人からも『幼稚園児らしくて、可愛らしい子』と見られるのだろう」と悩んでいました。
特に家族ごっこでは、大人から見ると、その園児の家庭環境が垣間見えるのが微笑ましいポイントかと思います。例えば、お母さん役の子が「お父さん、脱いだくつ下は散らかさないの!何回言っても治らないんだから〜もう!」と言ったり(笑)
でも、当時の私は「微笑ましいけど、決して家族を傷つけない」セリフの塩梅をどの程度にすれば良いかを考えてしまい、うまく話せなかったのを覚えています。そもそも普通に喋ると周りの子どもと関心ごとや使う単語のチョイスが違うこともあり、発言を求められるたびにドキドキしていました。
結局、悩みに悩んで一番脇役の愛犬のポチ役に立候補したり(「ワン!」と言っておけば問題ないので(笑))、みんなの輪には入らずに「お絵描きや絵本に夢中なの!」というフリをして、何とか波風立てずにごっこ遊びを回避したりしていたのを記憶しています。
小1のころ
👍勉強・運動には困らない
初っ端から成績は良く、勉強には全く困りませんでした。
処理凸だからか、字も綺麗な方で(左利きだけど、習ったことのない習字・書初めで入賞できるレベル)、ノートを書いたりドリル学習も困りませんでした。
運動もかなり得意で、運動会でリレーの選手をしたり、マラソン大会で上位になったりしました。
何より「大人から求められる年齢相応の振る舞い」をすることに敏感だったので、先生から見たら、所謂「優秀で手のかからない子」だったと思います。
👍趣味は自由帳に計算を書くこと
前の項目に書いた通り、運動は比較的得意でしたが、休み時間は1人で室内で過ごすことが多かったです。
当時の1番の趣味は、自由帳に「1+1=2、2+2=4、3+3=6、4+4=8、・・・」とひたすら書き続けること。
最終的に5桁+5桁(確か13,650+13,650くらい)に到達し、自由帳数冊が計算で埋まるほどになりました。
その当時は「学年を超えた進度で学ぶのは"悪"だ」と思い込んでいたので、計算が掛け算割り算になることも、筆算が登場することもなく、ひたすらシンプルな足し算をし続けていました。(写経に近いですね…)
今思うと、単純作業が得意な処理凸らしいエピソードかもしれません。
科目でも算数が1番好きで、当時の将来の夢は「算数の先生になること」でした。
👎自分は本当は小学4年生なのではないかと悩む
ここからは悩んでいたエピソードです。
当時、比較的仲が良かった友達のお姉さんが小学4年生で、おうちに遊びに行った時にお姉さんの教科書を見させてもらったのですが、、
「ん?当たり前のように理解できるぞ・・・?」
と感じたのです。
それだけでなく、「自分は本来この学年にいるべきだ」という感覚すら覚えました。
この時、もし前向きに「自分は頭がいいんだ!」などと思えたら良かったのですが、そうはなりませんでした。
当時の私は身長も高かったし、運動も得意だった上に、同級生と興味関心や話も合わなかったので、早合点(?)で、
「自分は本当は小学4年生だけど、落ちこぼれだから両親がこっそり小学1年生のクラスに入れたんだ…」
と本気で悩んでいました。両親がこっそり配慮してくれたのだと信じていたので、周囲にも相談できずに長いこと苦しみました。
余談ですが、知能面だけで見ると必ずしも的外れではない推測だったと思います。
小4(=10歳)の知能を小1(=7歳)で持っていたと考えると、田中ビネー式知能検査でいう知能指数(IQ)が142なので、最近受けたWAIS-Ⅳの結果と一致するのです…🙃
小2のころ
👍"教育"が好き
大学は教育学部だったのですが、今振り返ると小さい頃から教育に関心があったなと思い出します。
幼稚園〜小学生の頃はベネッセの通信教育を取っていたのですが、自分向けの読み物より、保護者向けの冊子が好きで、子どもへの接し方とか、教育アドバイスなどを好んで読んでいました。
また、そこで得た知識を実践するのも好きでした。友達に積極的に勉強を教えたり(知識の押し付けに近かったかもしれませんが…)、「自然と触れ合う経験の多さと成績は連動するらしい」という記事を読んで、弟向けに町内を散歩する半日プチ遠足を企画・実行したりしていました。
一般的に、自然科学や歴史を探求するギフテッドが多いかと思いますが、私の場合は教育(特に理論より実践)への関心だったのかなと思います。
今でも教育の分野は大好きです。
👎高校生を注意して両親に怒られる
これは今でもよく覚えているエピソードです。
当時、通学路に4車線の国道があり、国道の横断歩道を毎日渡って小学校に通っていました。
ある日、学校からの帰り道にいつも通り横断歩道を渡ろうとしたところ、目の前の男子高校生3人組が、バスケットボールをつきながら渡っているのを発見しました。
それを見た私は「いけないことだ!」と思い、即座に男子高校生たちのところに駆け寄り、
「横断歩道では危ないので、ボールをついてはいけないんですよ!!!」
と注意をしにいきました。
すぐに男子高校生たちはボールをしまって去っていったので、子どもなりに「私、いいことをしたな〜」といい気分になってニコニコ帰宅しました。
帰宅後、さぞ誉めてくれるだろうと期待して両親に話したところ、予想と反して大激怒されたのです。
曰く、「もし高校生たちが逆ギレして殴られでもしたら、危なかったでしょう!」とのことなのですが、当時の私は正義感が強く、交通ルールを守らせるという"イイコト"をしたのになんで私が怒られなきゃならないのだろうと逆ギレ。
しばらく泣き叫んで怒っていたのを思い出します。。
ギフテッドは一般的に正義感が強いと言われますが、私の場合もまさにそうで、このように両親をヒヤヒヤさせるような出来事がたくさんあったと思います。
いかがでしたでしょうか。
ギフテッド故か、ただの性格や気質の問題なのか分からないエピソードもありますが、印象に残っているものを挙げてみました。
次の記事では、小学校3年生のエピソードを書いてみたいと思います。
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それではまた、会いましょう!
Mai
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