物と、私と、思い出と、
物に囲まれている。
暮らしを営む者なら誰でもそうなのだが、私の場合、特に、多くの物に囲まれていると思う。
この間、私は「断捨離」を決行した。新生活、引越しに伴って、のことだった。
よし、やるぞ。と決意したのは良いものの、そこからすぐに、先程の決意とやらは、私の頭からフラフラと離れていった。「断捨離」。思いを「断ち」、「捨て」、物と「離れる」と書くように、物を減らしていかなければならないのに、部屋の中の景色は、数時間経ってもほとんど変わらない。物を手に取り、眺めてはまた収納していく。普通はこの時点で、多少の苦悩があっても、思い入れが薄いものはゴミ袋へ旅立っていくのだろうが…できない。できないのだ。
断捨離のコツは、「トキメくか、トキメかないか」だと聞いたことがある。つまり、特に色鮮やかな思い出を宿す物は取っておいて、それ以外はさよならしよう、ということだと思う。もちろん実行してみた。しかし、私には「トキメキジャッジ」は無効であった。見る物、見る物、トキメいてしまうのだ。「あ、これはあの時の!」「こんなこともあったよねぇ…!」手に取ると思い出ばかり出てくる。これじゃあ物は減らないわけである。
このように片付けが進まないで煮詰まっていると、結果、開き直ってくる。いや、ここにある物は置いときたくて置いてるんだから、そりゃ捨てられないよ!トキメかない、なんてないわ!全部にトキメいちゃうわ!こんなにトキメいて、トキメいて、ひょっとしてここにある物たち、私を魔法少女にでもするつもり?!トキメキ少女?!私、変身しちゃうんじゃないの?!なんて非常にしょうもない空想まで始めてしまった。
とは言っても、引っ越しの日程は迫っているし、なんとかしなければならないことは変わらないのだ。トキメキ少女になっている場合ではない。こうなると、最終ジャッジは、これからの「実用性」それと、実際の「活動実績」である。定期的に使っている物は、存続。今は使ってないけど、これから使う予定が確定している物もkeep。そして次にいつ使うかわかんないけど、よく使ってたから…という物も一応置いておく。となると残るのは今まであんまり使ってなくて、今も使ってなくて、これから使う予定もない物だ。こうやって文字にしてみると、絶対いらない物じゃんっ!となるのだが、全ての物には私の恐るべき思い出フィルターがかかっているので、今まで生き残ってきたのである。お別れも簡単には済まない。ゴミ袋の上をなん往復もした後、「ありがとうっありがとうっ」と念じ、えいっと袋の中へ。袋に入った品々を見ると、呼び戻したくなる気持ちもよぎるが、「さよなら…」とまた心で念じ、次の品へ進む。この行為こそが「断捨離」なのだ。やってみてわかった。一筋縄ではいかない。だからみんな、「断捨離するぞっ」と決意新たに作業するのだ。
こうして、苦渋の決断をなんとか乗り越えた私は、大量のゴミ袋に別れを告げた。作業に熱中していると気づかないものだが、作業を終えてみると、体が疲れを訴えていることに気がついた。スッキリとして、少し寂しくなった部屋を後にして、私はお風呂に入ることにした。浴槽に浸かって、酷使した頭をぼーっとさせながら考えた。
私は、あの大量のゴミ袋分、思い出を捨てたのだろうか。取っておいた物には、それぞれに思い出が宿っていた。もちろん、その思いが薄い、濃いの違いはあった。しかし、特に濃いもの以外の物は手放していかなければ、私はものに埋もれ、記憶に埋もれ、結果息苦しい人生をおくることになるのだ。
思い出は、思いもしない時にふと蘇ってくるものだ。誰かと話しているとき、何処かへ出かけたとき、美味しいものを食べたとき、一人でぼーっとしてるとき…物を捨てると、それらが全てなくなってしまうような気がする。だけど、なんとなく感じた。今までに経験してきた全てが、今の私を作っているのだ、と。思い出は、全て私に宿っているのだ。だから、きっと、これからも大丈夫。
そんなことを思いつつ、今日お別れした大量の物たちを思い出し、思い出を湯船にぷかぷか浮かべていた。思い出は、私のこれからの生活にほんのり色を加えて、ちょっぴり鮮やかにしてくれるのだろう。
まいん 夢見がちな19歳
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