私は裏表がある人間かもしれない。が、わざとではない。

あるラジオ番組に出演した日の帰り際、知人の凄腕放送作家さんに「関口さんって、どんな人なんですか。裏ではめちゃめちゃ性格悪かったりしないとバランス取れないと思うんだけど」、と言われ、示唆のある指摘だと思い、考えてみた。
結果、私はけっこう裏表がある人間なのかもしれない、というか本音を本音っぽく語るのが苦手なのかもしれない、と気づき、メモとしてこれを書いている。

■本音ピラミッド
私が思うに、本音にはこのような分類があると思う。

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天気の話「今日はいい天気ですね」「急に寒くなりましたね」等はみなさんお馴染み、最も無難な本音である。そしてケーキを食べたいけど太りたくない、とか、朝起きるのって辛いですよね〜、などというのは多くの人が共感しやすい本音である。私は主にこのゾーンにある発言を多くの場で繰り出しがちなのだと考察した。しかし永遠に天気の話ばかりしていては個性というものがないし話題がすぐに尽きてしまうため、無難で、かつ、よりパーソナルな視点からコメントをすることが多いのかもしれない。例えば件のラジオ番組で私は、開口一番「わあ〜 この部屋の天井って船みたいですね〜」と言った。スタジオの天井が、いわゆる海賊船の底面の骨子に似た形をしているように見えたのだ。前日にたまたま小説「海底二万里」を読んでいたことも関係していると思う。これも本音ピラミッドの中の上のほうにある無難めな本音であるわけだが、声や雰囲気などにより必要以上にふわふわとした発言に聴こえたかもしれない、と考えている。ニコニコしてそんなことばかり言っていると、たしかに、逆に裏ではボロクソ言っているくらいじゃないとバランス取れないというのもわかる。では実際どうなのかというと、裏(というかそういった場で出さない本音)では例えば図のようなことを考えている。

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悩み例:あの人にこんなことを言われた/されたのでむかつく、辛い、悔しい、そんなことを気にするのをやめたいが難しい。自分の思考の癖をどう変えるべきか。ということを考えるのすらやめたい場合は・・・自分の脳を自ら苦しめる、これは一種の自傷行為であり、それを・・・(以下無限ループ)
・生と死。地球の歴史でいえば99%以上の生物はすでに死んでいて今生きている我々がマイノリティなので誰かが死んで悲しくても、あっという間に私もそっち側になり、歴史的にみれば数十年は微差なので落ち込むのをやめよう(と自分に言い聞かせる)
願望の例:人生を大きく変えるような突発的な出来事に巻き込まれる形で一気に成長したい、が成長とは何か?(+こんなことを考えることもなくただ誰かのために粛々と努力している人が眩しいし情けない気持ち)

このようなことをいきなり言うのも穏やかじゃないな、ということもあり、人と話すときや公の場で話すときは、どうしても本音のレベルを上の層に持っていってしまう傾向がある。その結果、なんだか本音っぽくない印象を与えがちなのだと思う。笑顔で「今日の雲は生クリームみたいな形をしていますねえ(本音)」と言いつつ、同時に「己の性根を叩き直したい(本音)」などと考えて一人で黙々と自戒の長文を書いている人間がいたらそれは裏表がありそう、ということになるのだろう。

Twitterなどでもそうだ。前職の上司、業界の友人、お世話になった人、ラジオを聴いてくれてる人、昔のブログの読者、なんとなくフォローしてくれた人、などが混じり合って親戚の集まりのような濃淡のグラデーションが出来上がっており、私としてはみんなと仲良くやりたいし嫌な思いをさせたくない気持ちがあるため、彼ら全体に対して何かを言うのって結構難しいのではないかと思ったりする。その結果、本音ピラミッドの上位層である「猫」などが投稿しやすいということになっていく。

思いついたことがあってTwitterを開いても、色々な方面への忖度が発生し、書いてから無難に編集して、そうしているうちに何が言いたかったのかわからなくなって、やっぱりいいや、とやめてしまうことが多くなった。ちなみにやめたことの多くは本音の深めの階層にある考えで、愚痴や弱音っぽい内容だったように思う。直近で覚えているのは「セクハラそのものはもちろん悪いとして、セクハラを防ぐための工夫が不十分なのでは?的な批判ってのが怖いと思う」みたいな内容だった気がする。特に目的もなく最近ただそう思う出来事があった、というだけなのだが、おそらくこういった領域に言及した瞬間にあらゆる立場の人たちから色々言われるのが容易に想像できるし、そのような苦労をしてまで言いたいことではないので、投稿せずにお蔵入り、となる。


そこで一年ほどまえからmacやiphoneのデフォルト搭載のメモ帳に箇条書きで書くようにしていたら5万文字くらいになっていたので、やはり私には、一度文章を書く(140文字ではなくそれなりに長めの文字数で)という形で考えをまとめるのが合っているのだなと考え、久しぶりに筆をとった次第だった。(深い階層の)本音の練習のためにも、たまに記事を書いていこうと思う。

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