③カンボジア(後半)
9/20〜11/11 シェムリアップ
9/24〜1ヶ月半 Kumaeにてインターン参加
気がついたらカンボジアに2ヶ月弱も滞在していた。なぜ、こんなにも滞在を延長したかというとKumaeというバナナペーパーでものづくりをする会社にインターンとして急遽参加していたからだ。
もともとKumae代表と知り合ったのは7年前の大学1年生の時。ボランティアツアーで参加したプログラムの1日にKumaeの見学が組み込まれていた。当時、年もそうそう変わらないのに1人でカンボジアに来て、村のために事業を立ち上げていることが衝撃的であった。それからSNS越しに団体の成長を見守り、ホテルを開業したことを知った。せっかくシェムリアップに行くのだから、ホテルに滞在しようと決めて来た。そこでKumaeのツアーに参加し…観光で終わる滞在のはずが、まんまとハマってしまった。
年の変わらない若者がチャレンジしている環境に身を置いてみたい。自然のサイクルで生み出される理にかなったものづくりを見てみたいと思った。
その晩、代表とお話しする機会があり7年間のお互いのことを話した。一晩考え、次の日には「インターン参加します」とメッセージを送っていた。
①Kumaeとは…
「ものづくり」「ひとづくり」をテーマに様々な事業を展開している。
バナナの皮の繊維からできるバナナペーパーで、ものづくり(ポーチ、バック、ポストカードなど)をし、村の雇用を提供する。100%村の人々の手によって、ハンドメイドで作られる小物たち。バナナの繊維を剥ぎ、煮出し、乾燥させ、ハサミで細かくし、すいて一枚の紙にする。手間ひまかけ、丹精込めて作られたバナナペーパーは本当に感動する。
毎日作り続けて身につけた村人の熟練した手つきには恐れ入る。
事業はどんどん広がり、ホテル運営、牛タン屋、養鶏、コオロギ養殖、胡椒栽培、スクラン部(挑戦する日本の若者をつなげるプラットホーム)など多岐にわたる。
試行錯誤しながらも常に挑戦し続けるKumaeの姿は
つい応援したくなる。
②活動内容
1ヶ月半のインターン期間に、主にホテル運営とコオロギクッキーの試作を行った。
シェアスペースを日本風にアレンジ
どんなスペースにしたいか考えを紙に書き起こす。畳なんて日本にないから、どうやって厚みを作ろうか?というところから始まり、ゴザ一つ取り寄せるのも一苦労。
パレットを大きさに切り、その上にキッズ用マットでクッションを作る。現地スタッフは、とても器用。
壁紙のシートもキレイに貼れるまで何度もやり直し、届かないところはソファに下駄箱を乗せ、その上に立って…みんなで協力してなんとか完成!!
バナナペーパーの灯籠
スペースの中にKumaeを感じてもらいたいと思い、考えついた灯籠。
部屋に置くポップの作成
宿泊してみて、ほしい情報って?と宿泊者目線で作ったポップ。初めて作成アプリのCanvaを本格的に使った。文字のフォントからサイズから、こだわって仕上げた。
オリジナルマップの作成
最初は長期滞在者向けの周辺マップを作ろうと思っていたのが、みんなの意見をもらい、スタッフのおすすめスポットを集めたオリジナルマガジンに。QRコードからGoogle マップで場所を確認することができる。お客さんの滞在がもっと楽しくなりますように。
コオロギクッキーの試作
養殖したコオロギをパウダー状にして、コオロギの魅力を感じられる手に取りやすい商品を作りたい。
私たちは食べ慣れないコオロギだが、カンボジアでは馴染み深く、高タンパク質、オメガ3など耳よりな栄養素が豊富で注目されている。燻製後のコオロギの味はえび風味で、とても食べやすい。
スタッフと試行錯誤しながら、コオロギの良さを消さないために配合や作り方、焼き時間を試行錯誤しながら、何度も何度も試作を繰り返した。
納得できる配合は見つかったものの、コオロギは自然の生き物で、毎回同じ味を作ることが難しい。道のりは続く。
③活動を終えて
初めて挑戦するデザインや調理の分野。初めてのことにチャレンジすることは楽しかった。創造が形になり、人々の役に立ち、喜んでもらえることは素晴らしいことだと思った。
一方で、自分の悪い癖が見つかった。ここ3年間、時間に追われながら働く中で、時間の中で最大限のパフォーマンスをすることが求められて来た。最初に終着点を見つけ、難しい。めんどくさい。と思ったらあきらめる。いつの間にか諦め癖がついている自分がいた。
初めから、できない。めんどくさい。と決めつけず、とりあえずチャレンジしてみること。
回り道しても最後までやり抜くこと。
丁寧に仕上げることの大切さ。
当たり前のことではあるが、忘れかけていた自分に思い出させてくれた。
目の前のことに追われ、飲み込むように過ぎていった日々。効率的でスピード重視の結果が求められてきた社会で、いつの間にか一つの物事をそしゃくして味わうことを忘れていた。一旦立ち止まって、あれこれ考えることって大事だな。と気づかされた。
④シェムリアップに1ヶ月半滞在して感じること
シェムリアップに移住する人の気持ちがわかった。観光に来てもハズレなし。長期で住んでもハズレなし。そんな場所だと思う。
2本の柱さえあればハンモックを吊り下げて昼寝を始めるおじちゃん。少し市内を離れれば、のどかな村の田園風景が広がる。一方、市内は観光地のためスーパー、コンビニ、レストランなど生活に必要なものは全て手に入る。
せかせかしていなくて、時間にゆとりがあるから心にもゆとりが生まれる。そんな時間の中で生まれる曖昧さ、いい加減さ、アバウトさ、これらを許してしまうカンボジア好きだな。
カンボジアには、チャレンジしに来る日本人がたくさんいて、そのポジティブな環境の中にいると、自分も なんでもできる って思えてくる。失敗なんて言葉はないんだね。
⑤村の人々のたくましさ
自給自足の生活を送る村の人々。畑にいる生き物カエル、バッタ…はなんでもごちそう。稲作の時期には村総出で協力し合い、稲刈り・田植えを行う。
誰かが病気になった時は、お互い様でみんなでお金を出し合い、治療費にあてる。
手先は驚くほど器用で、鶏を捌くことは当たり前。東屋のような建物も建てることができる。
電気は通っているが、家電はないため、調理したものはその日のうちにいただき、洗濯は手で洗う。
村の人々が住む高床式の家で、風通しのいい一階で日中過ごし、夜になると部屋に入る。そんな理にかなった生活。
生き物をいただくということ。
始めて、鶏を締め捌き調理する手伝いをした。生き物をいただくことのありがたみ「いただきます」の意味を深く感じた。
捕まえようとしても動き回り、なかなか捕まえられない。
捕まえた鶏の足をしばると悟ったかのようにおとなしくなった。絞める前にニンニクを目につける。
鶏を絞める時、手に力が入らなかった。頸動脈の次にのど仏を切る。ジタバタと動く。
熱湯の中で潜らせ、手で羽毛を剥ぐ時は自然と涙をこらえた。村の人の手つきは慣れたもので流れるようにさばいていく。
心臓、小腸、胃…ついさっきまで生きていた胃の中には消化されてない餌が残っていた。水で洗い、余すことなくいただく。
命をいただくということ。「いただきます」の本当の意味を知った瞬間であった。
平飼いで育った鶏は、わずかなモモ肉しか取れず、プライヤー養鶏にせざるを得ない理由もわかった。
自然に身を置き、命の循環に感謝する。現代人にはない生きる力を持っている村の人から、私たちが教わることはたくさんあるのではないか。私たちが忘れてしまった大切な何かを村の人々が教えてくれる気がした。
内戦を終え、インフラが整い始め、前進するカンボジア。首都や都心は一見発展しているように見えるが、中には、中国や韓国の企業が多く参入して、レストランでは100ドル/月の低賃金で働いていたり、ゴミ山で働く人もいる。
村の教育に関しては、やっと学校数と教員数がまかなえるようになって来たが、それでも足りずに半日入れ替えせいで行っているが、4時間授業では、到底学習時間が足りない。テストに合格しないと進学できない制度のため、生徒は有料の補習授業で学ばざるを得ない。勉強を頑張り、大学に進学できたとしても、就職口に繋がる保証はない。など、まだまだ課題は多く残るカンボジアである。