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シンプルと大切 / 日常と特別
シンプルおだやかな日常
保湿は、ワセリン。
出かけるときは、日焼け止めと眉毛とリップ。
着る服も、コーディネートに迷わない着やすい物を。
ここでしか買えないから、今しか買えないから、を理由に物を買わない。
窮屈になったら、すぐに一人時間。
適当すぎる身だしなみだと、そのだらしなさが返ってストレスになるから、着飾りすぎストレスとだらしなさすぎストレスの中間点で過ごす。
色・形・着心地を踏まえて、毎日着たいと思う服は慎重に選ぶ。
これが私の最近の生活。
ストレスフリーでなんとも心地が良い。
毎日頑張らなくて、いい。
日常は、いかにストレスフリーに、気楽に、おだやかに過ごすかを、今は大切にしている。
足し算より引き算
世の中には、自分が知らないものがたくさんあって、やってみたいこともたくさんあった。それをできるだけ取りこぼさないようにと、時間が許す限り、少しでもいいなと思ったものに踏み込んでみた。
でも、そんなのキリがないの。
自分のコンプレックスを隠すようにするメイクも選ぶ服も、完璧にしようと思えば思うだけキリがなくて、
色々なことを知りたいと思うことも、知らないことがたくさんありすぎてキリがない。
あぁ、足し算をすると、増えるものと同時に失ってしまうものがあるのか。
物が、経験が、他人の価値観が、ありふれると、大切なものが埋もれてしまうのか。
引き算をすることで見えたものがたくさんあった。
自分にとって大切な人。自分の中で大切にしたい考えや価値観。
散々手を伸ばしてきたけれど、大切なものは、すぐそばにあって、ずっと持っていた。
思い返せば
少し前までは、毎日おしゃれな人に憧れたり、私も頑張ってみようかななんて思ったりもしたけれど、私にとって、それは大事なことではなく、理想に対する欠点が明らかになってストレスになっていた。
この服が似合う人になりたい!なんて思って買った服も、結局クローゼットの奥で眠っていて、最終的に、日常的に着る服は2.3着。
人と被りたくないからという理由で拒んでいた服も、今では重宝している。人と服が被るかどうかなんていう他人軸より、自分が良いと思うものを。
すっぴんのすゝめ
このシンプルな生活を始めて何が良かったかって、朝の準備時間の短縮。
時間にゆとりが持てる幸せを噛み締めて。
元々、メイクって肌をいじめている感じがして好きじゃなかった。
まだまだみずみずしい21歳のお肌なのだから、堂々としよう👍
片付け苦手選手権優勝者
私は片付けが苦手。片付けても片付けても部屋が散らかるのはなぜか。
部屋を綺麗にしたいという欲望は、捨てなくてもいいかなと思うから、持っていようと思うが、この散らかった部屋から分かるのは、物はたくさん持っていれば良いというわけではないということ。
旅行のお土産、限定商品、なんだか買ってしまいたくなるけれど、私にそれはあまり必要がなさそう。
旅行や展示会に行くと、ここでの思い出を形に残したいと、記念品を買いたくなってしまうけれど、買うことが目的になってしまっていたような気がする。
もちろん、多くの物を大切にできる人、思い出の品を持っておきたい性分の人には良いと思う。ただ、そういった人を見て、自分も同じように、多くの物を大切にできるから買おうと勘違いしないでいただきたい。私へ。
実は誕プレとお土産がとても苦手
あまり人に言えなかった苦手なものをここで告白してしまおう。
それは、旅行に行ったらお土産を買う文化と、友達と誕生日プレゼントを交換する文化だ。
これまで誕プレをくれた人たちにとてつもなく申し訳ないし、“思いやり”とか“気持ち”がない薄情な人間だと思われたくないから、あまり大きな声で言えないけれど、本当に苦手なのだ。
小学校の頃は喜んで誕プレ交換をしていたが、高校生あたりから、その文化が自分の中で重荷になっていることに気がついてしまった。
誕プレをもらったくせに5年間もお返しを溜め込んだこともある汗(5年も返さなかったくせに、その友達からもらったプレゼントは毎日バッグに入ってるほど重宝させていただいている。ありがとう!!)
卒業ギリギリに、去年と今年の2年間分の誕プレ!と渡したこともある(最低)
思い返せば、ブランドのコスメをプレゼントしあう大人な感じに憧れていたのだけれど、ブランドの価値も分からない私にとっては、猫に小判だったのだ。
ブランドの価値が分かる人になりたいと思って、ブランド好きな友達に色々と教えてもらったり、調べたりしていたけれど、今思えば、私はそもそもそういうものに興味がなかったのだ。
良い物を使いたい気持ちは持っているが、みんなが良いと言っているから・評価が高いから・ブランド物だからという理由ではなく、「これはいい!素敵!」と思う物を自分で見つけたい。結局、みんなが良いと思うものに行き着いたら、それはそれでいい。大切なのは、私自身が「いいな」と思ったかなのだから。
同様に、旅行のお土産も、正直気乗りしていない…
社交辞令だと思って、買っているが。
申し訳ない。
自分だったら、お土産よりもお土産話が聞きたい。その地での写真が見たい。
お土産と誕プレが苦手な分、お土産話や誕生日に特別なことをするのはとても好きだ。
だから、親友3人組の誕生日には、やってみたかったことをやってみたり、美味しい和食屋さんに行ったり、富士山に登ったりしている。
私がもらって嬉しい誕生日プレゼントは、手紙・お花・図書カードだ。
これも、シンプルだからこその良さなのかもね。
と言いつつ、過去には、物という形での誕プレとホワイトデーのチョコをもらえなくて、根に持っていたこともある笑笑
それこそ、思い出と手紙という私がもらって一番嬉しいものをもらっていたにも関わらず。
そういう本当に大切なものに気づくのってなかなか難しいね。
あとがき
ここ最近長く考えていたことで、私の中の色々な物が詰まった記事が書けそう!と意気込んで書いたものの、なんだか上手くいかなかった。
シンプルだからこそ噛み締められる大切なものについて書きたかったのに、誕プレとお土産が苦手だという話が大部分を占めてしまったような…笑
いつも、noteは下書きをせずに、思ったことの羅列で書いているのだが、今回は、“わかりやすい文章を”なんて思って、日記に下書きをしてしまったら、返って面白みのない文章になってしまった。
これがブログという形でなければ、“読み手に伝わるように”と、もう少し丁寧に書けたかもしれないが、ちょっとやる気が起きなかったので、思考の断片記録という形でお届けさせていただいた。
まぁ、ライターでもなんでもないただの大学生なのだから、これでいっかぁ。
こういうところに、飽き性が現れているのよねぇ。
集中力のなさというか、計画性のなさというか。
これで完成でいいや、えいっ!