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言葉にできないものも大切に。
「○○(私)ちゃんは、言語化して自分の中ではっきりさせないと気持ちの整理がつけられないんだと思う。」昨日、友人にそう言われた。
たしかに、思い返せば、私はいつも言葉を探している。
得体の知れない胸のモヤモヤを、人に話しながらどう言語化できるかを探していた。
言語化ができる綺麗な状態を好んでいた。言葉というものでカテゴライズできるはっきりとしたものに。
世の中に存在する言葉の少なさに絶望した高3
高校3年のとき、世の中にある言葉の数の少なさに絶望した。
人に考えが上手く伝わらないとき、自分の脳みそを丸ごと伝えられたらと思った。言葉にならない部分をどう伝えればいいのか。
考えている内容よりも、言語化の出来で評価されるのが悔しかった。言語化が上手い人にどこか負けている気がして悔しかった。
複雑な感情や強烈な感情を、様々な言葉の組み合わせやその他多くの方法で表現できるアーティストが羨ましかった。
脳と口が直結している私について、
口数が少ない人の言葉を待つことについて、
白黒はっきりつかないことの方が多い世の中とどのように対峙していくかについて、
言葉にしたいことはたくさんあるけれど、今はまだ上手く言葉にならない気がする。
断片的に言語化できたものを羅列しただけの中途半端な記事になってしまったけれど、そういう現状からも自分の思考や認識が見出せる気がする。
気がする、気がする。