プレゼンで「ユーモア」を使うときに避けるべき2つくらいのこと
去年まで、子どもたちにプレゼンを教える機会がそれなりにありました(2020年はコロナでやむなく中止になってしまったのだけど…)。
彼らに将来の夢というお題でプレゼンさせると、感覚的にはクラスに2~3名くらいの割合で「ユーチューバーになりたい」という答えが返ってきます。現に、将来就きたい職業ランキングみたいなものを調べてみれば、YouTuberは特に男の子に人気が高いことが分かります。
ましてや地方都市の学校で「東京から来た」というと、休み時間になったときに「先生、東京でHikakinに会った事ある?」と、俳優やタレントではなくYouTuberの名前が挙がったりするのです。彼らにとっていかにYouTubeが身近で、また憧れる場になっているのか?ということを端的に示しているな…という気がします。
…という前置きが、今回のnoteのタイトルにどれくらい関係するのか?それはお読みいただければ分かります。
最近、ユーモアのことを勉強し始めた
数年前からプレゼンテーションの専門家という顔を持つようになった僕ですが、プレゼンのノウハウの中でも比較的苦手なのが「ユーモア」でした。
といっても、プレゼンや日ごろの会話の中に笑いを忍ばせるのは好きな方なのですが、そのほとんどがその場の思い付きでのもので、「あらかじめ笑わせるつもりで話す」みたいなことはあまり得意ではありません。ましてや、プレゼンの専門家として「笑いの生み出し方」を講釈するには程遠いレベルだと言って良いと思います。
これじゃいかん。
そんなわけで、最近ユーモアのことを勉強するようになってきたのですが、最近、ある仮説を持つようになりました。
ユーモアとは、ボトックス注射のようなものである。
念のため説明すると、ボトックス注射というのは、「ボツリヌストキシンという毒素を注射することによって筋肉を弛緩させ、シワとかエラとか痙攣とかを取り除く措置のこと」です。
お笑い芸人や落語家がやっていることは「笑いのための笑い」なので、あまり毒素を意識することは無いかもしれませんが、ビジネスプレゼンなどで用いられるユーモアというのは、まさにこの例えがしっくりくる気がしています。
堅苦しい内容だけでは疲れてしまったり警戒心が解けないので、そこにユーモアを取り混ぜることで、リラックスして話を聞いてもらうことができる。それがユーモアを活用する最大のメリットだと僕は思っています。
そして、ユーモアに挑戦するプレゼン学習者の多くが恐れることが、ユーモアが相手に通じない、いわゆる「スベる」という現象でしょう。
…しかし。
私たちはお笑い芸人ではないわけですから、プレゼンを聞く側はそもそも「笑わせてほしい」と思っていません。その状態でスベッたところで、プラマイゼロ。
だからユーモアにおいて本当に恐れるべきことは、本来「スベる」ではないのです。
じゃあ、一番怖いのは何か?
それは、
「笑わせるつもりで放った言葉で、人を傷つけてしまう」
ということです。
あくまで肌感覚ですが、ユーモアを何とか取り入れようとして苦心しているほとんどの人が、このことを理解していないように思います。そして最悪のケースでは、スベりたくないがために苦し紛れに使った(冗談のつもりの)言葉が、聞いている人のなかの一部の人にグサッと突き刺さってしまい、信頼を失ってしまう…ということが起こります。
僕もボトックス注射のことは詳しく知らないのですが(知らんのかい!)、少なくとも、上手にシワを取れるような手技を身に着けることよりも、「分量を間違えて麻痺させてしまう」といったことをいかに避けるか?を学ぶことが先決だ…ということは間違いないはずです。
つまり、こういうことです。
ユーモアは「~~すべき」よりも、「~~すべからず」のほうが多い。
その「~~すべからず」を心得た人だけが、ユーモアを使いこなせる。
人を傷つけるユーモアのパターンは2つくらいある。
…というわけで、まずは「べからず」をしっかり身に着けよう(そして、子どもたちにプレゼンを教える日がまた来たら、必ずそのことを教えよう)と、自分自身で誓ったわけなのですが、人を傷つけるユーモアのパターンは、大きく2つあるような気がしています。
まだ自分も勉強中の身なので、この2つで過不足ないのかは確信が持てていないところではありますが、とりあえず書いておきます。
パターン① イジリ
ひとつめは何となく想像つくでしょう。
「デブ」「ハゲ」「チビ」「ブサイク」といった、人のコンプレックスの根源になるような特性をあしざまに呼ぶ言葉は、容易に人を傷つけます。
また、誰かをいじられキャラと認定したうえでその人を貶める言葉を選んだりすることも、いじられる側の気持ちに立って考えれば耐えられるものではありません。
パターン② 内輪ネタ
パターン①が明確に人を傷つけるものであるのに対し、パターン②は人を「取り残す」タイプのユーモアでしょう。ご存知の通り、内輪ネタとは、お互いの共通認識がないと通じないネタのことです。
プレゼンの中で、突然まわりが笑い出す。でも、自分は彼らがなぜ笑っているのか分からない…という形で取り残された人は、次第にその輪の中で孤独感を覚えることになります。
ちなみに、これらのパターン①②のような笑いの取り方を「ジョーク」と読んでユーモアと区別する人も多くいます。が、その区別ができないからこそ傷つく人が現れると思っているので、ここでは敢えて用語の使い分けはしないまま解説をしています。
誰も傷つけない、ってすごくすごく難しいのだ
ざっくりと2つのパターンを示しましたが、これらのユーモアについて、プレゼン時に常に意識を向けなければならないことがあります。それは、これらのユーモアを使わないようにするのは、実は非常に難しいということです。
多様性を大事にしようというこの世の中で、「誰も傷つかない言葉」を選ぶのは非常に困難です。
また、世代や住んでいる地域というフィルターが無意識にかかってしまっている以上、自分の話す言葉が誰かにとってさっぱり分からんものになっている、という可能性も常にゼロではありません。
…さらに言えば、クローズドな空間であれば顔が見えているので、そこにいる人さえ傷つかなければ良かったり、その部屋の中であれば内輪ネタが通用したり、上述のパターン2つにはある程度の許容範囲が存在したのですが、子どもたちが憧れるYouTuberは、限りなく開かれた場での発信をするわけですから、人を傷つけるリスクは非常に高くなっているわけです。
だからこそ、ユーモアによって生じうる良くない効果をあらかじめ知ったうえで、正しく使うという意識をまず持ってもらうこと。
それがとても大事なのです。
気遣いができない人にユーモアは使えない
この辺まで話して、勘のいい方はもうお気づきかもしれません。
誰かを傷つけないようにする配慮のスタート地点は、聴き手のことをとことん想像することから始まります。
そして、聴き手の置かれた立場を十分想像できる人は、そもそもプレゼンテーションで聴き手に効果的に伝わるメッセージを考案しやすいため、プレゼンそのものの実力が高いのです。
ユーモアでなくても、こういうことで人が傷つくパターンって多いと思うのです。
・うっかり、部下の人たちをのことを「下」と呼んでしまう
・協力会社のことを昔ながらの「下請」と言ってしまう
・専門用語や固有名詞の略称を補足せずに使ってしまう
何を口にしたら傷つくかを想像できない人が、何を聞いたら笑ってくれるかなんて、思い付けるはずがない。
…という心得をちゃんと自分の中で持ったうえで、ユーモアの作り方を勉強していきたいと思っている次第です。