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続・僕が「継続は力なり」をさほど真に受けていない理由。

今日もお読みいただきありがとうございます。
フォルケ学園の眞山です。

前回言いたかったことは、「継続は力なり」という言葉を盲信してもあまり良いことは無い、という結論でして、その理由を3つにまとめました(前回の記事はこちらから)。

今回は前回の記事で生じそうな疑問に答えつつ、「じゃあどうすればいいのか」について自分なりに考えたことを書きます。

僕は継続の無意味さを説きたいのではない

まず、前回の記事と矛盾するようなことを書いてみます。

・結局、いやいやながらも1日1000回の縄跳びは4年間くらい続けました
・学生時代は吹奏楽部にいましたが、いわゆる基礎練習を欠かしませんでした
・公認会計士を目指しているころは、多い時期で1日12時間の勉強を続けていました
・本を2冊出しましたが、いずれも文字数は10万文字を超えてます。これは10年以上WEBの世界で「書く」ことを公私ともに続けてきたことが礎になっています。

「…なんだよ、継続してんじゃねえかよ」
「それって力になってるじゃねえかよ」
…って思われても仕方ないくらい、僕は色々な領域で「継続」できています。

僕が指摘したいのは、継続そのものの無意味さではありません。継続は力なりという言葉を、無条件に信じてしまうことの弊害のほうなのです。

これから書くのは、自分が子ども時代に手を出した習い事の数々です。
・そろばん(あまりに地味で1年持ちませんでした)
・水泳(始めるのが遅すぎて友達が作れず1年で辞めました)
・学習塾(先生のえこひいきがウザくて中1で辞めました)
・記憶術(ジャンプの巻末に広告があって申し込みましたが、そもそも自分は記憶力悪くないので取り組みすらしませんでした)
・ピアノ(ここまで来たら「長続きしない子」というレッテルを親も貼っているので、初期投資のかかる習い事は却下されました)

続いていたものより、やめちゃったものの数のほうが多いのです。

だから、自分が曲がりなりにもものごとを継続できるようになったのは、辛抱して継続することを身に着けたからではなく、継続したいものに出会ったからだと思っています。

継続したいものに出会うと、「楽しい」の中に「大変さ」が必ず紛れ込んでいるのですが、継続したいと思っているから、何とか乗り切るわけです。そういう経験が、僕の今の「継続」を支えているような気がします。

継続と同じく大事な「やめる力」

というわけで、「継続は力なり」を盲信するのではなく、正しい意味で理解して使いこなしていくことが大事、というのが、前回記事の主張を表現しなおしたものになります。

例えば上記のように、「継続したいものに出会う」ことを目指した場合、とても大事になるのが、継続するかしないか、もっと言えばこの取り組みは自分にとって継続する価値があるかどうか、を判断することになるはずです。

価値があれば続ければいいし、なければ辞めればいい。

「継続は力なり」を教条的に信じ込んでいると「何事も続けることが大事」と思ってしまいがちですが、実際はそうではないということです。有限の人生の中で僕らが本気で取り組めるものの数は多寡が知れています。「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」という発想は常に大事です。

例えばこの記事を読んでいる方が子育て世代の方であれば、「習い事を辞めたい」と言ってきた子に対して、継続は力なりという言葉を押し付けることを、今日からやめて欲しいと思います。

代わりに「どうしてそう思ったの?」と聞いてあげてください。ちょっとした工夫で継続できるケースもあれば、本当に辞めたほうがプラスな場合も少なからずあるはずなので。

そして、「長続きしない子」というレッテルを出来る限り貼らないようにしてあげてください。続けないという決断は、始める決断に比べればずっと難しいのです。

そしてさらに大事な「復帰する力」

さて、そんなわけで「継続」のことを書いてきました。最後におまけとして自分なりの継続のコツについて思うところを書きます。

気づいている人は気づいているかもしれませんが、僕の英語日記はせいぜい週に4~5本しかかけておらず、たまに休みが入っています。火曜日は朝から予定が埋まっているので定休日として、それ以外の日にも休みたいな~と思ったら休みます。

継続と言うと「何が何でも休まない強い意志」を伴うものを想像しがちですが、実はそれって結構不可能に近い。忘年会シーズンでダイエットが終わったり、梅雨のせいで早朝ジョギングがストップしたり…と言う経験は、僕も何度もしています。

ちょっとした理由でストップしてしまった継続を、また再開させること。それが継続できるか否かの分かれ道なのですが、その時にカギを握るのが「自己肯定感」です。

継続が途切れるときのメンタルは「太鼓の達人のコンボの失敗」に似ています。

ゲーセンに行って、太鼓の達人でフルコンボを目指して曲をスタートし、だんだんコンボ数が1、2、3、、、、10,20、30、、、100と言ったようにたまっていく。しかしうっかりミスすると、コンボ数はまた1から数え直しになります。そうするとその後、また立て続けにミスをしてしまうこともよくある。

そうではなく、目指すべきなのは、例えばフィギュアスケートのトップ選手は、最初のジャンプで転倒しても途中からうまく立て直そうという考え方です。そしてそのマインドが確立できていると、失敗自体が減っていく。完ぺきな演技はそういう「立て直し方」の延長線上にあると考えたほうが良いかもしれません。

…あかん、ちょっと話それたか?

ともあれ、今日はジョギングできなかった、昨夜は飲み過ぎてしまった。そういう時に「明日頑張ればチャラ」と考え、明日にはそれを実現する。その繰り返しができれば、自己肯定感はしだいに高まっていきます。

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