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和空間建築④設計
どこに建築をお願いしようか、いくつか工務店
をまわりました。
私の条件としては、
①45度傾斜の屋根は施工可能か。
②大黒柱を大地に繋げる施工は可能か。
この2点は必須で、
夫は、耐震は構造計算できちんととれているかが、必須項目でした。
お会いしたときのフィーリングや、人柄重視で、とある建築事務所にお願いすることにしました。
この先、長い付き合いになります。
やはり、傲慢さや、欲が見え隠れする人には頼みたくないというのが本心でした。
ここから設計の始まりです。
ここにもたくさん課題がありました…。
まず、45度傾斜の屋根に対する夫の理解がなかなか得られないこと…
部屋が狭くなるし、無駄と言われ…
ここで、
『45度に向かう方向は、神聖なものに向かう方向で、天と繋がりやすくなるんだよね…』
などと言えば、論理的な夫は余計に反発してくるだろうなと感じ、
「ごめん、私のこだわりでさぁ…譲れない所なんだよね…、神社みたいな雰囲気が好きなんだよねー」
と、言い続けてきたら、自然とこの方向でまとまっていました。良かったです!
きっと、実際に住み始めたら、夫にも良き変化が現れると私は信じています。
間取り図は、風水を取り入れて、水回りの位置に気をつけ、まず私が感覚で、全体の間取りを考えて、それをそのまま設計士さんに図面におこしてもらいました。
建築費用がとても高く、とてもコンパクトな家になりましたが、満足した間取りができました。
後は、一階は全部畳の部屋で、掘り炬燵にすること。
これも夫にお願いしました。
実際、私の実家は、全て畳の部屋で、掘り炬燵は、電気ではなく、炭を焚いた昔ながらの堀り炬燵でした。
これが、寒い冬にはとても暖かくて、東北の冬でも炬燵だけで過ごせるくらいでした。
かなり余談になりますが…
私の実家は酒屋を営んでおり、田舎の小さな商店でした。
夕方には、近所の人の溜まり場のような、憩いの場になっていました。
夕飯どきには、近所のおじさんが晩酌にきて、母が手料理を出してあげて、私たちもそこでご飯を食べるので、夕飯はきまって、家族以外の誰かがいました。
それも毎日です。日替わりで人がかわります。
多くて4人、平均して2人くらいが毎日です。
小さい頃から、家を出るまで、ずっと変わらない日常でしたので、それが当たり前のような光景でした。
誰もいない日は、今日誰も来てないの?と驚くくらいでした。
母は、全く飾らない、自然体で生きているような人でした。落ち込んでいる姿は見たことなく、いつも明るい人でした。
そんな母だからこそ、みんな気兼ねなく集まってきていたのだと思います。
夫婦仲も良く、24時間一緒なのに、仲が良いなぁと子供ながらに感じていました。
そんな変わった環境で育ったおかげか、人に対する不信感がなく育ったように思います。
話を戻すと、私は畳と掘り炬燵には思い入れがあるので、テーブルや椅子ではなく、掘り炬燵でご飯が食べたいと余計に感じるのだと思います。
畳は気持ちが良いし、温かい気持ちにもなります。どうして、畳離れしている日本人が多いのかが不思議でなりません。
経済的に考えるより、
心身が豊かになるほうが圧倒的に幸せだと思います。
畳がもたらす影響は、計り知れないものがあると感じます。
畳の文化、ぜひ復活してほしいと願っています。
次回に続きます…