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つながりの道を歩く
さて、めっちゃ久々の投稿です。なんかもう文章書けるのかな、って思うくらい書いてませんが、今日はどうしてもどうしても書いておきたくて、久々にnoteを開きました。
この土日、私はコネクションプラクティスのパート2を受講していました。コネプラについて知りたい方は、ぜひ、こちらをご覧ください。
母との葛藤
以前の記事で母と喧嘩した年始の話を書きました。
その後の後日談的な感じの体験だったので、どうしてもこれを書いておきたくて、今日はここに記録を残すことにしました。
年始に母と喧嘩してから、私は9月くらいまで実家に帰省していませんでした。
連絡も最小限にしていたし、本当に口を聞くことを自分からしていませんでした。
私自身、抑圧してきた怒りを解放して、自分で自分にびっくりしていたし、その後どうして良いのかわからなかったと言う気持ちもあったと思います。
とにかく、母を許したくない。と言う気持ちを頑なに持っていました。
コネクションプラクティスは講習が3部構成になっていて、私は今回パート2を受講したのですが、その中で「つながりの道」と言うものが出てきます。
プロセスを簡単に説明すると、
❶自分に自己共感し、その時の感情から、私の望み(ニーズ)につながる。
❷次に相手を観察し、感情を推察し、相手のニーズを知る。
❸私たちの両方を見て、お互いの感情とニーズを感じ、そこからどんな洞察を得るのかを感じる。
と言う道です。
私はその道のテーマとして、
小さな頃に母に「出て行きなさい!」と言われて雪の日に裸足で外へ出された、幼かった日のことを選びました。
なぜかと言うと、その時の出来事が、全てを象徴した出来事になっているように感じていたからです。
つながりの道を歩くときは、必ず講師(ラスール)やサポートをしてくれる人がいます。みんなの暖かいエネルギーがわたしの背中を優しく支えてくれる中、わたしは、怖い気持ちを感じながらも一歩一歩道を歩き始めました。
まず、自分に共感するから始めると、そこには、とても困惑した小さな私がいました。
なぜこんなにお母さんが怒っているのが理解できず、「明晰さ」を必要としていました。そして「心身の安全」「ありのままの自分を受け入れてもらいたい」と言うニーズがありました。
その後、母への共感へ移ります。
とても怒って感情的になっているお母さん。だけどはっきり分かったのは、「愛が深かったからこそ、伝えたい気持ちも大きかったんだな」と言うことでした。そして母にも「理解してほしい」と言うニーズが強くあることを感じました。
愛はそこにあった
小さな時の自分は、
「私はいつも怒られちゃう。私は愛されていない、ダメな子なんだ」そう思っていました。
だけど、つながりの道を歩いた時、はっきりと、「ああ、私はちゃんと愛されていたんだ。だからあんなに感情的になって母は怒ったんだ。それくらいわかって欲しかったんだね。」そう母に対して思うことができました。
それをはっきりと感じた時、私は全てを
「赦そう」
と、思いました。
その時の感覚は、言語を超えていました。
そもそも、「ない」と思っていた「愛」は厳然とそこにあったし、そもそも私が握りしめていた「愛されてない」と言うのは、わたしの思い込みだったのか。そっか…なんだ…アレ?!?!みたいな感じでした。
終わった後は、ちょっと放心していました。
2日間の講座だったのですが、受講した後の感覚だと、1年分くらいの情報量を受け取ったような気がしました。
言葉を超えて伝わるもの
つながりの道は、今すでに亡くなってしまった方との関係性でもできるようです。もしもわかり合うことができずに終わってしまったことがある人がいたら、是非、体験してもらえたらいいなあと思いました。
人は誰もがつながりたいし、実際はつながりあっています。
何故なら、私たちはホールネスの感覚の中にいるからです。
だからきっと、わたしが癒されると言うことは、
この世界を大きく変容させる小さな一歩になる。
そう感じています。
この体験をサポートしてくれた、二人のラスールと、ファシリテーター、参加者のみなさんに心からの感謝を伝えたいと思います。
本当にありがとうございました。
読んでくださった皆さんにも、感謝と愛を送ります^^
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