犬を見て思い付いたこと
近所に数匹の大型犬を飼っている家がある。犬小屋らしきものは見当たらず、庭の広いスペースに仕切りを設け、そこで半分放し飼いのような状態で犬たちを自由にさせている。全部で何匹いるかどうかはわからないが、同時に4匹は見たことがある。それより多いかもしれない。私が家の前を通りかかると、元気に吠えたり、走り回ったりしている。
私はある日、その家の前を通りかかった。いつものごとく犬が吠えていた。普段なら何も感じないが、その時は違った。犬にまつわるある重大なことに気付いたのだ。犬を見て犬に関することを発見する。木から落ちるリンゴから万有引力の法則を発見したニュートンに比べると、随分安直な導き方だという声が聞こえてきそうだ。しかし、発見の過程に関しては目をつぶってほしい。そもそも偉人と自分を比べたって何も良いことがない。それは野暮というものだ。重要なのは、その発見の内容だ。これを聞けば、私の素晴らしい着眼点にひれ伏すこと間違いなし。私が気付いた事態とはこうだ。
犬の言葉がわかる玩具がある。犬の鳴き声を聞かせると、「おなかすいた!」とか「あそんで!」といった日本語に変換されて、画面に表示される代物だ。この玩具に対してある重大なことに気が付いたのだ。「犬の言葉が人間にわかるわけがない」といった誰もが付けられるような陳腐ないちゃもんではない。あくまでおもちゃだ。本当のところはどうだっていい。問題は別の部分にある。
犬の言葉を調べるには、玩具を鳴いている犬に向けないといけない。ちょっと犬目線で考えてみよう。飼い主が得体の知れない物体をこちらに向けているのだ。犬から出る言葉は、そのおもちゃに対する疑問でないとおかしいはずだ。「これなに?」とか「たべられるの?」と言った具合に。
そういったセリフは、おそらくその玩具には収録されていない。収録してしまえば、その玩具にまつわる言葉しか出てこないのは目に見えている。飼い主は「さんぽつれてって!」みたいな言葉を期待して買っただろうに、「これなに?」と犬から延々問いかけられたらたまったもんじゃない。
犬は、飼い主が差しだす何だかよくわからない玩具に何の疑問も感じないのだろうか。「おなかすいた!」と吠えている最中にスッとそれを差し出されても、変わらず「おなかすいた!」と吠え続けているのだろうか。実際のところはよくわからない。ただ、目の前の物体に無関心でいられるほど、犬はバカな生き物じゃないと信じたい。
これを友人に話してみると「あはは、確かに!」と共感してくれたが、それまでだった。私の着眼点を絶賛とまではいかず、会話は流れた。今こうして文章にしてみても、大したことじゃない、むしろ誰もが思い付くようなことに思えて仕方がないのであった。