クリスティのきもち
コスモスの次は、ハロウィーンです。
暑すぎて、秋のことがうまく想像できない今は
イベントにことよせて、作るのが得策と考えました。
このnoteは、
ブックカバーを作っている私のホームページから
作成日誌としてトンネルをつなげているものです。
あるいは、販売サイトのそれぞれのブックカバーの仕様・説明欄で
作成までのちょっとしたことを読んでいただけるように
リンクさせてもいます。
さてハロウィーンに戻ります。
名探偵ポアロシリーズに「ハロウィーン・パーティ」という
恐ろしい一冊があります。
話のおもしろさに加えて
本場のハロウィーンパーティの様子がわかって楽しい。
今作っているブックカバーは、
手鏡に将来のだんなさまが映るというかわいい占い(?)を
題材にしています。
勧善懲悪で、悪い奴が悪いことをして退治されるのが
一番書いてて爽快だろうと思う、作家業。
一方、アガサクリスティの小説は、
被害者が幼い子供であることが、何度もあります。
「意外な犯人」を毎回作り出すために
思いつく設定に説得力を与えるには必然なのでしょうが
嫌気がさすこともあったろうなあと思います。
例をあげるなら「鏡は横にひびわれて」。
殺される側の人がほんとうに「うざい」人なので
やっつけられてすっきりします。
なによりも
なんども反芻される場面の意味はなんとも複雑で
わかった時にはなるほど!すごいっ!とたたえたくなります。
だけど、犯人の境遇を思い、気の毒すぎて
私はもう二度と読みたくない(オリエント急行もそう)。
作家は、すばらしいアイデアと表現方法を得て
心躍るところをなだめすかしつつ書き進めるのでしょうが、
自分が設定した最悪の状況や最低の人間を活かしていくうち
もうこんなんばっかいやだ
と思うこともあったのではないかな?と思うのです。
それとも、銀行員が
仕事中の札束と、自分の財布のお札が
同じようで同じでないような、
職業的割り切り方ができるものなのでしょうか。
ぜひ一流の作家の先生に伺ってみたいものです。
などと思っているうちに夜もふけてきました。
ハロウィーンの刺繍は、また明日。
できあがりましたら、こちらでご紹介させてください。