見出し画像

動物の気持ちが何となくわかるようになった

毎日書くはずが、結局この何日か書けていない(´;ω;`)
書きたいことは沢山あるのに。
 
一番書きたかったのは、
動物の気持ちがわかるようになってきたこと。
北海道のノースサファリサッポロに行って、
何だかずっと悲しみ飲み込まれてた。
 
動物の悲しみが伝わってくる。
特にキリン、心が死んでしまっている。
狭い檻の中で、一頭しかいない。
まだ、来たばかりだという。
 
なぜ、こんな所に一頭でいるのか?
今の状況が飲み込めず、理解できず、
というか理解したくないのか?
 
兎に角心も体も止めてしまっている。
目が死んでいる。
悲しみを通りこして、何も感じないようにしてしまっている。
 
 
ハイエナも悲しい目をしている。
本来なら、群れで生活するのに、
狭い檻の中で一匹でいる。
赤ちゃんハイエナもいるらしいが、
今は、取り合えず一匹。
 
ライオンも狭い檻の中でろくに動けず、
百獣の王の威厳はない。
ここで、赤ちゃんの時から育ったから
この環境が普通だとのことだけど、
そんな風には、思えない。
やはり、悲しい目をしている。
 
今まで動物園でこんなことを感じたことはなかったけれど、
最近色々なエネルギーを感じるようになったら、
この動物園が耐えられなくなった。
 
旭山動物園みたく、もう少し、広く動くことができたら
もう少し、違うのだろう。
仲間がいたらもう少し、違うのだろう。
動物園自体動物にとってどうなのか?
もあるけれど、確かにここで生まれ育って、
いきなり野生には帰れない。
 
広い自然を駆け回っても生命の危険が隣り合わせ。
エサも取ることができないだろう。
でも全然走ることができない環境は、当たり前にはならない。
人だって同じだ。
誰かにずっと閉じ込められて育てば、
心が死んでしまうだろう。
 
その環境で育てば、それが当たり前と思えないことも沢山ある。
表に出たい、動きたいという欲求は必ずあるだろう。
 
虎も可哀想だった。
犬に育てられて、犬を親と思っているらしい。
大きくなり、一緒にいられなくなったらしい。
なので、檻の横に犬小屋があり、
繋がれている。
お互い寂しくて会いたくなるのだそうだ。
 
虎は、狭い檻の中。
ろくに動けずにいる。
そして一頭しかいない。
 
鳥たちもみな、足に鎖が繋がれていた。
外で木に止まらされているが、
みな鎖で繋がれ全く飛べない。
あれは、鳥小屋よりひどいと思った。
大空を飛ぶ鳥たちが、
羽を一つ羽ばたたかせても全く飛べないのだ。
あれなら、鳥小屋に入れたあった方がまだましな気がした。
飛んでいけそうな錯覚が余計かわいそうだ。
せめて旭山動物園くらい、飛べたら。
あれだって、鳥にすれば狭いだろう。
でも全く飛べないよりは、ましだと思う。
 
行動展示の旭山動物園は、本当に凄いのだね。
でも、普通の動物園でもまだましだと思う。
公共のお金が入るのと入らないの差。
大手の会社と小さい会社の差なのだろうが、
あれだけ、広い土地がありながら、
この狭い檻の中は、可哀そうだった。
 
動物が、悲しい思いをしていないなら、
それでもよいかもだけれど。
 
小さい動物で、
部屋で歩きまわれる物は、そんなに悲しい目をしていなかった。
触って良いかきくと、嫌がる物は、触らなかったが、
ダメと言わない物はそっと触ってみた。
触らせてくれる。
慣れもあるのだろうが、ウサギは、開き直ってどうぞって感じだった。
触られても気にせず、寝てる。
逞しさを感じた。
 
あくまでも私の感覚だけど、
触ってよい?と聞いて大丈夫なのは、触れた。
嫌だというものは、触らなかった。
顔をみていると何だかわかるのだ。
 
そんな感覚を身に着けたこの頃だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?