着物を着た悪魔

 私は観光をしていた。私はウッキウキだった。私はほんの数分前まで観光で酷使した足をもろともせずそこへ向かった。

私の目的はそこにあった小さな本屋に向かうことだった。

 最近は大型の店舗でさえも次々と街中から本屋が消える。その一方、個人経営の本屋が次々とオープンしている。私の近所に昔からあった本屋は潰れてしまった。中型のある程度展開している本屋もコロナ禍の煽りを受けてなくなってしまった。最も近い本屋はかなり距離が開いてしまい、図書館がなければ飢え死にするところだった。電子書籍も読みはするがどうも気が乗らない。昨今流行(?)の本屋に行くのは初めてだったし評判もよかったからいい出会いがあるのかもしれないと思い、ほんのちょっと先の未来に夢を膨らませた。

 結果論として本屋はよかった。店舗の雰囲気はよくて、本の出会いもあり、提供されていたコーヒーはとてもおいしかった。客の出入りはよく若い人を中心にサラリーマンのような人、幼い子供、カップルなどなどいろいろな人がいた。ああ、この街はいい本屋があっていいな。なんて考えてものだ。ただ一つのことさえなかったら。

 店の奥には個展のようなものをしていた。私の近所にも本屋ではないものの個人店の一部のスペースを貸し出して、催し物をすることがある。今回もそのたぐいだった。私は興味を持ってそこに行こうとしたが、出来なかった。店は個人店にしてはある程度広かったもののそれでも通路は狭かった。個展のスペースは店の奥にあって、カウンターと本棚の間を通行しなくてはならない。

 そこには四人の女性がいた。年齢はおそらく四〇代ぐらい。一人は個展の絵の作者らしかった。四人のうち二人は着物姿で立ち姿は美しかった。そう立ち姿だけだった。

 彼女らはレジのちょっと後ろ、つまり、例の通路を封鎖し話をしていた。もう少し横に移動できるはずなのにしようともしなかった。挙げ句の果てに名刺交換までしている。余談だがオタク文化で自身のHNとHP、Xのアドレスなどを印字した自作の名刺を作って渡す文化が、少なくとも私の関わっていたオタク界隈にはあった。彼女らが配っていたのが本当の名刺なのかそれともオタク名刺なのかはわからなかった。

 しかし、周りを気にせず自分たちのことだけ集中していたのは事実だった。悪魔は言い過ぎかもしれないが、私にはそうに思えた。あの未来に夢見ていた私は出鼻をくじかれた気持ちになった。

 最終的にその通路は解放され、その作品群も見ることが出来た。見た後例の作者の一人がお礼を一言言ってきた。はきはきしたいい挨拶だった。私は煮え切らない思いも含めて会釈をした。

 人は第一印象が全てだという。彼女たちは一人一人は洗練されていた。職場やそれこそ彼女らの界隈の中では好感触だったかもしれない。しかし彼女らの行動一つですべて泥まみれになっているような錯覚に陥った。着ていた着物も笑みもハリボテのようだった。

 たった一回の同じ空間にいたというだけでも人の印象はこうも変わるんだと痛感した。いつも仕事場では人の誘いを適当に流している私は、こう見られているのだろうか。逆にたった一回で印象を決めてしまう私はおかしい人種なのだろうかと自身の良識を疑ったりもした。

 本屋はとてもよかった。それだけは間違いない。彼らは悪くはない。けど、次ここに入るとき「そういえばあの時・・・」と、前述のことが思い起こされてしまうのだろう。悪魔が住み着いてしまったような心地の悪さがそこにはあった。

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