【とよなかはっけん】町の神社は平安時代から⁉︎【豊中宮山春日神社】
普段、何気なく歩く街を調べると、日々の生活では気が付かない「はっけん」が待っている。そんな日々の驚き、ワクワクの提供を目指す
”とよなかはっけん”
第一回は豊中市宮山町にある春日神社にお邪魔した。
豊中亀岡線。阪急バス40系の通り道。
車通りの多い道の途中に石造りの鳥居が見えてくる。
所狭しと並ぶ住宅の隙間に細い参道が通る。
砂利を踏み締めつつ参道を抜けると緑生い茂る境内が現れた。
社殿に加え、6つの社がある。社の一つ、学問の神・菅原道真を祀っている天神社には合格祈願の絵馬が多く吊るされていた。
地域住民に馴染み深い、町の神社だ。
豊中宮山春日神社
創建年代こそ不詳だが、長く地域の氏神として親しまれてきたことは間違いない。伝記によると、少なくとも承和2年(835年)に社殿の修繕をなし、延元3年(1338年)兵火に罹り消失。などと記録されている。
また、今から約400年前の1578年伊丹城主、荒木村重を打つため、織田信長によって社殿を消失させられたとも言われる。
日常に溶け込んだ町の神社が平安時代からの歴史がある。さらには歴史的偉人との関わりまであるというのだから驚きだ。
桜井谷 旧名「ふろが谷」
薬師社の一角にある井戸、薬師井戸は少なくとも一千年を超えていると考えられる。古い記録には井戸の西側に浴室を儲け、井戸水を温めて温浴客に入浴させており、来浴の者が群れをなしたと記されている。
改築の際には付近から安産と乳授けの絵札がたくさん出てきたことから特に婦人に効き目があったと推測される。
また、言い伝えでは、昔、奈良春日大社より神の使いとしてきた神鹿が道中の怪我により衰弱したが、この井戸の水によくして身体を癒し、無事春日大社に帰した言われる。
最近まで極めて良質な飲料水とされており、平安時代から現役だったが、平成に入り保健所からの許可が降りなくなったため、現在は飲むことはできない。
お春日さんのつつじ
「つつじの森」と書かれた大きな看板に誘われて急斜面を登ると宮山つつじ園の門が見えてきた。
つつじの開花は5月の初めごろのイメージがあり、咲いた様子を見られることを期待していた。
しかし、コノバミツツジの開花は4月上旬らしく、開花時期を外れた取材時には閉園していた。
春日神社の裏山に、昔領主だった安倍摂津守が深山ツツジを植栽し、群生したのがはじまりとされ、その後、明治37年裏山全体がコバノミツバツツジに覆われ花見客で賑わったが年々枯れていった。
昭和27年、つつじ園として管理育成するようになり、平成12年からは豊中市森林整備計画の対象 として位置づけらた。現在、市内唯一の森林として指定されている。
思いを馳せて
ただ参拝するだけでは、その場所の歴史はわからない。
周辺は高度経済成長期に開発してできた町だ。
街並みから歴史の長さを感じることはできない。奈良や京都のようにはいかないのだ。
安産、乳授けのため、来浴した女性たちはどのような景色をみたのだろう。
ほんの半世紀前まで豊かな里山が広がっていたと聞くが、10代の私には想像することさえ難しい。
それでも、思いを馳せながら周辺を歩いてみる。
日々を暮らす、町の見方が変わる
とよなかはっけん
知っているようで知らない豊中のこと。
住む町のことを発見すると、歩くのが少しだけ楽しくなる。
日常に少しの新鮮さを与える情報を今後も発信していきます。
参考資料
豊中宮山春日神社ホームページ
豊中市ホームページ
豊中市森林整備計画
参考文献
続・千里の歴史と伝統
発行所;(財)大阪府千里センター
発行日;昭和61年7月1日
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