Canadian Life - Departure

私は28歳で始めてカナダへ留学した。

現家族が嫌いで仕方ないというのもあったが、母が亡くなったのを機に「私の生き方」や「家族」というものについて一人で考えてみたかった…というのが大きな理由だった。

私は両親や兄に嫌というぐらいに干渉されて生きてきた。進路も勝手に決められて、友達関係にも口を出され付き合っていた恋人のこともあら捜しされ、両親が気に入らないとなれば別れさせされる。父親は相手の職業や家柄、国籍なども調べられる。母親はそれについて批判、反対を押し切るなら籍を抜くなどと言って脅迫してくる。兄は兄で両親の味方しかしない。
それと父は私にはほぼ無関心。兄ばかり甘やかしていた。私にもたくさん暴言を吐き暴力を振るってきた。それに機嫌の良し悪しでいきなり説教してきたり暴力を振るうことも多々あったことから、私は家族とは距離を置いて一旦家族について考えたいと思うようになった。

そこでほぼ同じ時期に観た「魔女の宅急便」、これでカナダへ行こうと決心したのだ。家族と離れるなら別に東京でも沖縄でもどこでもよかった、けれど国内では普通に訪ねて来られるリスクもある。だから海外にしたという感じだ。
不謹慎だが母が助からないと知ったあたりから私はずっと準備をしていたのだ。留学エージェントを探してカウンセリングを受けて、行き先と入学する学校を決めて、ビザの取得は必要かどうかの確認、それとパスポートも取得し直した。留学エージェントについては通っていた英会話スクールの関係会社でもあったからそこまで苦労はしなかった。ただ悩んだのは学校選び。母国語禁止で更にそのルールが厳しいところを探した。留学費用は働いて貯めてきた貯蓄で賄った。誰の助けも受けない…。

家族に留学の話をしたのも、出国する一週間前ぐらいだった。それも「あ、そうそう。私来週からちょっくらカナダ行ってくるから。帰国は一ヶ月先ぐらいになるから」と。父には「何言ってるんだ?!」という顔をされ、兄には連日に渡って「本当にカナダ行くの?」「寂しくなるからカナダに行かないで」としつこく言い寄られて反対されたが、私の意志は変わらなかった。ここで日本を離れなかったら私は自分自身もそうだが、家族も変わってくれないと考えた。
そりゃそうだ。何があっても私任せで私はただの使用人のような感じ。母が入院してからずっとそうだった。これまでみたいにこき使われるなんて真っ平御免だ。

出発の日も一人でスーツケース一つ持って特急を乗り継いで空港まで移動した。都内まで出て、そこからスカイライナーで成田へ。
何だか希望に満ちた自分がそこにいた。まさに魔女の宅急便で修行の旅に出ようとみんなに見送られ旅立つキキと同じ心境だろう。その日私はホウキではなく、飛行機に乗ってバンクーバーへ旅立った。

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