右目の話
これは中学1年の頃の話。
2月のある日、私はこの日友人たちと我が家でお菓子作りをしていた。夕方になり、友人たちが帰った後に事件が起きたのだ。
夕飯の時間までまだ時間があったので私はこたつに入って漫画を読んでいた。
その頃父親が帰っできて、こたつに入ってテレビを観ていた。ここまでは一般的な風景だろう。兄はその時塾へ行っていて家にはいなかった。
父親が私に何か言っていたが、テレビの音が大きくて聞こえないこともあり、私は
『ごめん、聞こえない』
と、父に応えた。
普通なら大きめな声で再度私に何かを尋ねるだろう。しかし父は突然激昂し、私に
『何だこの野郎!嘘ついてんじゃねぇ!』
と怒鳴りつけ、こたつに入って漫画を読んでいた私の髪を鷲掴みにして引きずり出そうとしたので、私も抵抗し、茶の間からキッチンの方へ逃げようとしたのだ。しかし父はそこで何かを私に投げつけた。体にいろいろな物が当たって、そのうちの一つが私の顔に当たった。しかも右目に…
その瞬間右目に激痛が走り、私は痛いと叫んでその場にうずくまった。しかし父は手を止めることなく私のところへ来て、うずくまった私に暴言を吐きながら蹴りを入れてきたのだ。蹴られるたびに痛い!痛い!と叫ぶ私、蹴られて痛いのもあるが、それよりも右目が痛い…。
その時キッチンにいた母親は、父を止めずにずっとその様子を観ていた。そして父は私に
『お前は飯抜きだ!この野郎っ!』
と吐き捨てて茶の間に戻って行ったのだ。
そして母親は私に
『あんたがお父さんに嘘をつくからいけないんだ』
と、私が嘘をついていないのに嘘つき呼ばわりをしてきた。この間もずっと右目の痛みで私は泣いていた。
その時父は母に
『このガキきちんと躾しておけ!それと病院なんか連れて行くことねぇ!』
と。
そして私はキッチン隣の部屋(祖父の説得により、廊下部屋から最終的にキッチン隣の部屋に自分の部屋を作ってもらえた)に戻り、私は鏡で痛みのある右目を見てみたところ、目の白い部分が真っ赤に…血のように赤くなっていた。ついでに目の粘膜部分も腫れ上がって、何もしなくても痛みがあったのだ。
夕飯も食べられず、私は友人たちと作ったクッキーを部屋でボリボリ食べていた。その時も目の腫れは引かず、痛みもあるままだった。
翌朝。
起きて一番最初に鏡で目の状態を確認した。
目の腫れも赤みも引いていない…
父と顔を合わせたくなくて私は朝食をキッチンで食べていた。父が朝早く出勤したこともあり母は私に保険証とお金を渡して父には内緒でこれで学校帰りに病院に行ってきなさい、と言ってくれたのだ。
学校帰りに眼科に寄った。
そこではいろいろな検査をされ、視力検査の時に異常が見つかったのだ。左目を隠して右目で視力表を見ても…何かぼやけたような感じになってしまっている。あれ?確か前には普通に1.0ぐらいは見えてたのに…。左目は普通に1.0だったが、右目の視力は0.1しか出ない…
診断は『打撲』だった。目薬を処方されて帰宅した。外で眼科でやったのと同じように左目を隠して遠くのものを見ようとしても見えない…両目だとそこまでではないのだが。
帰宅して打撲だということを母に伝えた。
けれど母は私に…
『お父さんに嘘をついたからこうなった、自業自得』
私は完全に嘘つきに仕立て上げられてしまった。視力の話もしたのだが、母はどうせすぐに視力戻るでしょ?と真面目に取り合ってくれない。右目の部分は痣にもなってしまい、すごく嫌だった。
肝心な視力は…ずっと戻らず。
その影響なのか、左目の視力も徐々に悪くなり中学3年頃には黒板の文字を見るのも苦労したほど。学校の視力検査でも右目0.1左目0.3となり家に学校から手紙が届くも両親ともにまともに取り合ってくれず、メガネをかけることも高校2年の初期まで無かったのだ。
そのせいなのか、頭痛もよく起きていたし肩もこってしまっていた。
メガネは父親が買ってくれましたが、時間が経ちすぎていて視力は戻ることもなくなり、苦しみました。今でも右目の視力は0.1以上になることはありません。今でもコンタクトかメガネを手放せません。
父は最終的にメガネを買ってくれましたが、許せません。