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日記の書き方

前回の投稿で文体がきっかけで惚れちゃいそうになる理由として「わたしにだけ語ってくれているような感じがするから好き」と書いたけど、パンを頬ばり、コーヒーを飲んでいたら、いや、違う!と思った。

文体だけで検証すると、
その文章は他者に読ませることが出発点ではない気がする。

自分の中にいるもう1人の自分に「と思わない?」「だよねだよね」って確認し合っている感じがする。

自己検証のアウトプット。

自問自答の見える化。

自分で自分に嘘をつく必要なんてないんだから、その人にとっての「ほんとうのこと」だけが記されている。

ほんとうのことが まっすぐ 届いてくる。

本音と言葉の間の透明度の高さに惹かれているのかもしれない。

ところで、私には透明度の低い自分のための文章があるぞ。

それは日記。

事実としての嘘は書かない。

だけど 本当に思っていることは あえて書かずに、表面的な事実関係しか記さないことがある。

ダイビングのときの、手前の魚は見えるけど
遠くの魚はぼやけて見えない状況に似てる。
透明度があるけど、あえて心の深海、奥の方をぼかしている感じ。

どうしてだろう?

【仮説】未来の自分が読んだ時に、
その時の感情よりも、出来事をちゃんと伝えたいと思うから

日記歴は14年目くらい。
5年日記は2冊目。

何のために書いているかというと老後の楽しみのため。

読者は未来のじぶんだ。

75歳の私が今の私の日記を読んだら、
感情でも出来事でも 
どっちでも楽しいと思うな。

というわけで【結論】
日記には何をかいてもいい。
何もかかなくてもいい。

何もかくことがなかった
かく元気もなく寝てしまった

ぜんぶ ほんとのとだから。

そのまんまを残せばよし。





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