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【SS】ナゼを飼う

 一ヶ月前、突如としてうちにナゼがやってきた。何を言っているかわからないかもしれないが、ナゼがやってきたのだ。

 白くて丸い下膨れの顔に豆粒のような瞳、体には小さな手足がついていて見た目は可愛らしい。しかし、その愛くるしい見た目に反してこの生き物は、とても残酷だ。
 何かにつけて、私に「なぜ?」と聞いてくる。「なぜ?」に答えて、その小さな白い体が発光すれば、ナゼが納得をした証。
 けれど、ナゼが納得できない限り、「なぜ?」は降り注ぐのだ。

 細かいことに理由を求められることは、正直とても苦しい。だって、そこまで考えて生活なんてしてないから。「なぜ?」を聞かれ続けると、自分がいかに何も考えてない人間なのか思い知る。そして不安になる。これまで自分は何を考えて、何を決めてきたんだろう。

 今日も、この白い物体から発せられる「なぜ?」が私の心を重くする。

「今日は、疲れたからコンビニでご飯を買って帰ろう」

『なぜ?』

「明日は、少し外に出かけてみよう」

『なぜ?』

「仕事がしんどい、会社に行きたくない」

『なぜ?』

会社に行けなくなって、もう一週間だ。

『なぜ?』

 一ヶ月前の私に、ナゼが聞いてきた質問を思い出す。

「少し、体の調子が悪いだけ。休めば戻れるもん」

 その時、ナゼは光った。こういう理由を言えば、納得してくれるんだ。私は少しだけ安堵したとともに、心の中に小さな違和感が潜んでいた。そこから先も、私はナゼの質問に答え続けた。

「早く会社に戻らなきゃ」

『なぜ?』

「だって、早く戻らないと、なんだか悪い気がする」

『なぜ?』

ああ、苦しい。

私に答えを求めないで。

「生きていたくない」

『なぜ?』

「生きるのが楽しくない」

『なぜ?』

 一つ一つの「なぜ?」に答えられない。

 答えても、ナゼが納得してくれない気がする。何を言ってもダメな気がする。いつしか、ナゼが光ると私は安心していた。だって、もう「なぜ?」を押し付けられなくて済むから。

 だから私は、ナゼが納得しそうな色々な理由を考えた。早く戻ったほうが、私の精神的にも安定する。親だって心配してるし、早く職場復帰したほうがみんなも安心だしね。落ち込んでるのは私の気のせいかもしれない。

 色々な理由を考えた。ナゼは白く光り、そしてそのたびに体が徐々に大きくなっていった。気づけば、ナゼは部屋に収まりきらないくらい大きなっていた。私の存在なんてお構いなし、布団をも押しつぶすように体を縮こまらせて、部屋の中に居座る。
 そしてその日、私はとうとう布団から動けなくなった。心の苦しさが、物理的な苦しさへと代わり、私は「あ、もう死ぬんだ」と思った。

「もう、死んでもいいかな?」

『なぜ?』

「だって、生きてても辛いだけだし」

『なぜ?』

しつこい。

「うるさい!!私は辛いし、しんどいし、もう嫌なの!!もう、放っておいてよ!!」

 私はこれまで、出したこともないような大きな声で、叫んだ。すると、ナゼの体はこれまでの中で一番の輝きを放ち、私はその眩しさに目を瞑った。
 目を開けると、そこにもうナゼはいなかった。私は一瞬の出来事に、呆けてしまっていた。だけど、どこかスッキリし、心が軽くなっていた。

 その後数日間、ナゼがいない元の生活を送ったのち、仕事をやめて今は求職中。正直お金もなくて不安になることもあるけど、一旦は「どうにかなるだろう」という精神のもとやっている。
 けれど、一ヶ月もいた生き物から発せられていたあの「なぜ?」が頭にこびりついて離れない。自分一人なのに「なぜ?」を唱えてしまうのだ。

今でもあの押しつぶされそうになった時のことをふと思い出す。きっと、あの時が初めて自分の気持ちを伝えていた時なのだと思う。取り繕った答えじゃなくて、自分自身の本当の気持ち。

 何かが詰まって開かなくなった引き出しのような私を、しつこくじっくりと開けてくれたのかもしれない。

「今日は、少し遠出をしようかな」

なぜ?

「とりあえず、仕事探したくないから現実逃避をしに行くのです」

 素直で大変よろしい答えだと、我ながらに思うのだ。

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