宇野理論と法学
ひょんなことからマルクス経済学の泰斗、宇野弘蔵博士の著作集を読んでいる。僕は自由主義者ではあるけれども社会主義者ではないのでそれが実践に役立つかはわからないけれども、理論としての宇野理論はとても面白い。とりわけ、「社会科学は自然科学と違って、学問自体を技術として実践的に用いることは出来ないが、政治家の現状把握手段として用いることは出来る」というのは示唆に富むものだった。
これは法学にも言えるかもしれない。宇野博士は昔「一流の学者は理論も実践もできる、二流以下で理論家と実践家に分かれる」と考えていたらしいけれど、僕も今まで法学に関してそれと似たような感情を抱いていて、「法曹三者の実務も知らないで理論ばかり展開する法学者に意味はあるのか、法学者も司法試験合格を必須とすべきではないか」と思っていた。特に僕の専攻していた民事訴訟法では長年実務寄りの理論を展開して来た旧訴訟物理論と理論の精緻を極める方向に進んだ新訴訟物理論という二大学派が形成され激しく対立していただけに、この感情を強く抱いていた。
宇野博士によると、少なくとも宇野理論で展開されるマルクス経済学は政策立案に寄与することはなく、政治家が現状を把握する手段として寄与するという。法学でも同様で、法学者の展開する理論はそれをもとに弁護士・裁判官・検事の法曹三者が目前に横たわる法的紛争の現代社会において置かれた状況を把握し、それをいわば羅針盤として正義に反する間違った判決を出さないようにすることに寄与するのではないかと感じた。
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