麻雀に(影響が小さい)偶然性を増やそう
今回は私が提案する麻雀の新ルールに直接は関係ないが、根底にある話題です。
リーチ一発と裏ドラの採用/不採用が象徴するように、麻雀においてはかねてより「偶然性の排除」が叫ばれてきました。
というのは、麻雀を将棋や囲碁などと同じぐらいメジャーで権威あるものにしたいという思潮が昔からあり、そのためにはギャンブル感のあるルールを排除すべきと考えられていました。
しかし一発裏を排除したところで何にもなりません。それはなぜか?
「配牌」と「ツモ」という圧倒的偶然性が絶対に残ってしまうからです。麻雀は根本的に偶然性によってできているゲームなのです。
こういうゲームにおいて一発裏のような偶然性を排除するとどうなるかというと、配牌とツモがゲーム全体により強く影響するようになるのです。
一発裏どころかドラ自体を全部なくした麻雀を想像してみてください(ドラも偶然性です)。
いまいちな配牌だがドラ2枚あるからぎりぎりまで頑張ろう‥‥なんてことが一切ない麻雀です。早く和了れる手をもらった人が和了るのを眺めるだけの半荘が多数になることでしょう。採用役の少なさがいっそう強く反映されるわけです。
偶然性を排除すると、最後に残った偶然性=配牌とツモが以前に増して幅を利かすようになるのです。
だからむしろ偶然性は増やしたほうがよい。
そうすると一つ一つの偶然性の効力が薄まって、Aという偶然性に恵まれた人と、Bという偶然性に恵まれた人とでいい勝負ができるようになります。
しかしギャンブル感をなくしたい気持ちは理解できます。
特に裏ドラのような、開示されていないゆえに基本的に対処のしようがないものに勝ち負けを左右されると、納得いかないと感じる人は多いでしょう。
やはり自分の努力が結果に反映されてほしいと願うのは人情というもの。見えないものには努力のしようがありません。
しつこく書きますが裏ドラは本当に困ったものです。
ドラはあるがツモがいまいち‥‥という手なら鳴いていけばいいわけですが、裏ドラがあると鳴きにくい。これでは、ドラが増えたこと自体は競り合いに便利になったが、鳴きが持つ「悪配牌や悪ツモの是正」という重要な機能が著しく減退しています。こういう偶然性は良くない。
だから偶然性は増やすとしても、ゲーム全体あるいはゲームの主要な機能に対して強すぎる効力があるものは排除して、全員に情報が開示されるものを増やすべきです。
そして各人が最後まで希望を持って戦えるルールになるのが望ましい。ついでに、打ち手の個性が発揮され、観戦していて楽しく納得感のある勝負になってほしい。
以上のような麻雀の構造を理解した上で、認知度の高い既存ルールに可能な限り近づける前提でルール変更するなら、どんなルールになりそうか?
‥‥と考えた結果が私が提案する麻雀の新ルールなわけです。