私が麻雀を覚えた頃
私が麻雀を覚えたのは17才の高校生の頃で、テニス部の同級生にマージャンのメンツが足りないと誘われ、自分で当時の携帯(ガラケー)のマージャンゲームをしながらなんとなく覚え、マージャン漫画の「アカギ」を古本屋に探しにまわったのを覚えています。
その頃はYouTubeの様な動画もなく、テレビでマージャンを見る機会もなかったので何が正解か効率とはなんなのか分からず、戦術本を一冊買ったはいいけど、言葉が分からず読み終えずに終わりました。
高校の友達も似たような感じでしたので、ほとんどドンジャラのような絵あわせゲームとして遊び、一人得意そうに話している友達の言われるがままにそれに従ってみんなで遊んでいました。少し慣れてきた後はネットにあった麻雀のサイトをパソコンで調べプリントし、正しいルールや点数がどういったものなのかを理解しゲームを進め、誰も出来なかった点数計算の公式を覚え友達の分も点数を電卓で数えて点数計算はマスターしました。
自分に向いていたのか、遊び始めて半年経ち点数計算を覚えた頃にはほとんど負けなしで、マージャンをしては小遣いを少し増やしていきましたがそれも重ねてくると負けた友達の支払いが滞るようになりマージャンをする仲間がバイトでお金を稼げている4人になっていきました。
フリーで麻雀を打つ
高校卒業後、専門学校に入りそこで仲良くなった人達ともしょっちゅう麻雀をしていました。ビジネス系の専門だったので同い年の子は半分程度で、残りは年上か留学生という学校でした。マージャン仲間で同い年は1人で他は年上の人ばかり、そこでもあまり負けはしませんでしたが沖縄出身の年が少し離れたみやぎさんと岡山出身の一つ上のレンさんはマージャンがうまく、負ける事もありました。
代々木の専門学校の近くに安い雀荘があり、学生は1時間100円程度遊べたのでそこで打っていました。たまに5人になった時は交代でやっていましたが、抜け番になった時にそこのお店のフリー(知らないお客さん同士でマージャンを打つ)で打とうと思い、初めてのフリーデビューをしました。1000点30円とものすごい低いレートでしたが、知らない人とのマージャンでしたので緊張したのを覚えています。初めて打ったフリーで地和を④⑦待ちのピンフでツモったのは今でも鮮明に覚えています。
その後雀荘のメンバーに
フリーデビューを18歳の専門一年生の時にした自分は麻雀が楽しくて仕方ありませんでした。学校に行っては帰りに麻雀をしての繰り返しで、学校に行くというよりは麻雀しに代々木に行くといった感覚でした。
当時はアルバイトをするよりもスロットをしたりマージャンでお金を増やしたりでしたが、どうせならマージャンをしながら稼ぎたいと雀荘でアルバイトをすることを決意しました。その時に応募した雀荘が健康麻将の第一人者である井出洋介プロが創設者の1人であるオレンジハウスという仙川にある麻雀店でした。残念ながら現在は無くなってしまいましたが、今でも思い出深いお店です。
続きはまた明日、オレンジハウスのアルバイト面接からお話ししようと思います。