麻雀教室講師から競技プロへ
私、新谷耕平は2022年4月1日付けで麻雀プロ団体のRMUに入会する事となりました。競技プロになる前は麻雀教室の講師として10年ほど活動し、皆様に支え続けて頂いた結果、延べ参加人数は10万人を超えました!!ご参加いただきありがとうございます。
今までも麻雀で生計を立ててはいましたが、これからは競技プロとしても活動することになりましたので、今回入会することになりましたRMUのことや競技プロを目指すきっかけ、私自身のプロフィールなどを話していきたいと思います。
RMUってどんな団体??
現在、麻雀界の最注目株は「Mリーグ」です。Mリーグは各プロ団体からMリーグ内の企業チームが選手を指名しています。(ドラフト会議にて)
この各プロ団体のことを主要5団体と呼び、「日本プロ麻雀連盟」(通称・連盟)「最高位戦日本プロ麻雀協会」(通称・最高位戦)「日本プロ麻雀協会」(通称・協会)「麻将連合」(通称・μ)「RMU」の5つになります。
その中でも最後発でスタートした「RMU」は2007年に発足したプロ団体です。代表はMリーグ「渋谷ABEMAS」のエースでもある多井隆晴。看板選手に同じくMリーグ「EX風林火山」の松ヶ瀬隆弥、昔からの麻雀ファンにはお馴染みの阿部孝則、RMU最高タイトル「令昭位」三回制覇の河野高志など以前は連盟に所属していた有名プロも多数在籍しています。(敬称略)
詳しくはRMUのHPに団体設立の趣意が載っていますので興味のある方は覗いてみてください。https://rmu.jp
RMUの特徴はプロライセンス制度にあります。μを除く3団体は入会審査であるプロテストに合格=プロになるのに対し、RMUでは入会審査合格後はアスリート会員となり、リーグ戦や各種大会の結果で選手ポイントを獲得する。そのポイントが規定値に達し、RMU審議会で過半数が承認するとプロライセンスが発行される。(μは入会審査合格後、ツアー選手になり実績を積むと認定プロになれる)
ということでタイトルの「麻雀教室講師から競技プロへ」には、世間一般・他団体のプロから見ると競技麻雀プロの端くれ仲間入りだけれど(実際、他団体のプロ予選に出られる)自団体からはプロ見習いとしてしか認められていないので、これから精進して自他ともに認められる競技プロを目指すよ!という意味が含まれたタイトルになっています。
プロフィール紹介
近々団体の登録写真を撮影するのでその時に写真はアップしますが、私のプロフィールを麻雀関連中心に知っていただこうと思います。
氏名・新谷耕平
1987年10月2日生まれ(豆腐の日と覚えてください)
出身地・東京都中野区
バリバリの高卒オールドルーキー(プロデビュー時34歳)。高校2年の時にクラスメイトに麻雀を教わり、そこから連勝街道まっしぐら!!点数が誰も数えられない中で全員分の点数を電卓をたたき答えていた。そんな環境なのであっという間に点数をマスターし3年の時には同級生には敵なし。戦いの場所を専門学校に移す。
専門学校で出会った雀士(クラスメイト)は18歳で同い年の「ヒロシ」(良いやつ)ちょい歳上で岡山出身の「レンさん」(チャラ良い人)見た目からは想像もできないロック好き「よっしー」(人口天然キャラ)ギャンブル好きの優男「のぞみさん」(イケ良い人)10歳くらい上の兄貴的雀鬼流「みやぎさん」(雀鬼流でもマナ良い人)メインはこのメンツでローテンションし学校に行くというよりも、夕方から麻雀をするために学校に集まっていた認識しかない。このメンツでは毎回勝つことはできなかったが、かなり勝ち越していた自分は雀荘でバイトをし、より強い人と打てる環境に行こうと決意したのである。専門学校2年生の時はバイトしていた雀荘とパチンコ屋に通い学校へは行かず人生のドロップアウト。(両親には申し訳ないことをしたと今は思っています)貴重な2年間を遊びに費やしてしまった。
人生のドロップアウトかと思われた20歳の時に転機が訪れ、雀荘の同僚メンバーからいきなりフランチャイズチェーンの飲食店店長にならないかと誘われ就職することになった。しかし恥の多い人生をひたすらに歩いている最中の自分は3年後の東日本大震災後すこしして退職。当時の彼女の家に紐(僕らはロープと呼んでいるが)同然で転がり込みふたたび人生の岐路に立たされるのであった。
ロープ生活も半年が経過し板についてきた頃、一応就職先を探していた自分は以前働いていた雀荘の先輩から「健康麻将」で働かないかと誘いを受ける。そして健康麻将の上司が雀荘時代の店長であると知りそこで働くことにした。今年で働き始めて11年目、なかなか続いていると自分でも驚いている。
麻雀教室講師を続ける中で参加してきたプロアマ混合の大会は最強戦・μカップin東京・有楽町・横浜・大阪・仙台・湘南など麻将連合(μ)主催の大会がメインである。
どうしてRMUを選んだのか
僕がバイトをしていた雀荘は京王線の仙川駅にある「オレンジハウス」というお店(2018年2月いっぱいで閉店)で麻将連合の創設者であり初代代表の井出洋介プロと打てるお店として有名でした。オレンジハウスには麻将連合の選手が何人も歴代に勤めており、僕が18歳で働きだしたときの店長は麻将連合認定プロの「武則輝海」プロでした。
当時、月に一度行われていた井出プロがゲストの日には終わった後に食事会があり、当時の麻雀界の話(ちょうどその時に連盟のプロ何人かが脱退しRMUができるという話を聞いたと思います)や麻雀プロの話を聞けたのでいい思い出です。しかし、その時の僕は何度もいろんな方に麻雀プロに誘われましたがどうしてもプロになる気はしませんでした。(今思うと20歳前後の麻雀レベルではすぐに挫折していた気がします。34歳の自分が挫折しないとは限りませんがね!)
飲食店に就職し、退職後に始めた麻雀教室の上司はオレンジハウスでも上司だった武則輝海プロでした。麻雀教室の講師も8年ほど経った年末、食事する機会をつくっていただき、上司・部下の関係は1、2年ほどで終わってはいましたが麻雀プロに転向するならどうしたらいいか相談にのっていただきました。
その話の直後に新型コロナが流行し、仕事もストップになり麻雀プロ転向どころではなくなってしまいました。その後仕事が再開され少し落ち着きだした2021年の春過ぎからプロ転向に向けて準備を開始。年末に麻将連合からRMUに武則プロが移籍するという噂をキャッチし3月のRMU入会試験を受験することに決めました。(その話を聞くまでは麻将連合を受験するつもりだった)
つまりはまた武則プロにお世話になろうとしている厚かましいやつということですな。(いやいやもちろん尊敬していますし)
まだまだ書き足りないことはありますが、それはまた別の機会で。ぜひこれからも麻雀教室の講師としてはもちろんのこと、競技プロの新谷耕平もよろしくお願いいたします。