伊藤優孝と久しぶりに会って

達人戦で伊藤優孝と久しぶりに牌を交えて会話をしました。
試合が始まる前にはいくらか時間がありますので、荒さんも含めて歓談。
「歳を取ったらミスをするねぇ」
と盛り上がり友好を深めました。

伊藤優孝と初めてあった時のことを今でも痛烈に記憶しています。多分彼は覚えていないはずです。連盟発足前には当時、プロになる前の精鋭が集まるサークル(?)ところがあった。(店の名前は忘れてしまった。この店では?という人がいたら教えてください。)

その中でも突出した若者が渋谷に集まっていると聞き、私も単身名古屋からそんな空気を吸いたいと上京した。そこで伊藤優孝と同卓した。
「伊藤優孝という男はかっこいいな」
と思った次第である。若手が集まっている中でそれは映画スターみたいにオーラがあった。私はそこでは自己紹介をしないで思う存分楽しんで麻雀をして帰った。

連盟発足前、東京では麻雀プロになる卵みたいな集団が競技麻雀をルールに研さんしていた。うらやましいと思ったが、すでに私は東京での生活を終えて名古屋に戻っていた。

少し脇に逸れるが、私は大学は東京。しばらく、東京で働いていたが、名古屋が恋しくなり戻っていった。私はその頃はデザイナーをやっていたというのはしばしば書いていることだ。当時はデザイン事務所をオープンさせ、生活に根を下ろしたばかりである。
それでも麻雀という魅力に取りつかれて事務所とは別に雀荘をオープンさせて麻雀にのめり込む私がいました。二つが両立できはずもなく閉鎖。デザイン事務所で雇われをやっていた。その時の私は死んだようなものだと思っていた。
そんな中で名古屋で雀荘で働くようになり、自立して雀荘をオープンさせるべく奔走。そんな時に出会ったのが小島武夫なのである。この後の話は割愛。

そして、連盟に入ってからプロ活動が始まるこの時は伊藤優孝や安藤満などと一緒に研さんしたり、お酒を飲む機会があったり…。色々と思い出すことがある。
特に伊藤優孝は私の年齢が近い、当時から近況をやりとりしたものである。

そして、鳳凰位を獲得した後には名古屋に勉強会を作りたいと思い「鳥の会」というものを発足させた。私は麻雀を教えるのが苦手であったので、伊藤優孝にも頼んだことがある。東京でも伊藤優孝が勉強会を作っていて、その中にいた一人が瀬戸熊だと聞いている。瀬戸熊の活躍は前にも書いた通りで、伊藤優孝も嬉しいと思っているだろう。

達人戦のメンバーは柴田を除いたメンバーは同じ釜の飯を食ったという自負がある。
達人戦のメンバーで牌を交えた時には本当に楽しく、感慨深い。

お役御免の日もいつかはくる。

世代交代の時期として、次のバトンを瀬戸熊、佐々木寿人、滝沢、そして勘介。彼らは十分に育っているし、彼らも次を育てているだろう。

「そして、麻雀は永遠に…」である。

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