勝ちのこだわりを見せること

プロのリーグ戦、それぞれのタイトル戦では勝ち上がりの条件が違う。
リーグ戦はA1ならば長丁場、下のリーグでは半年の成績のまとめ方がポイントとなる。
十段戦のようなトーナメントであれば、対局後に上位2名になればOKというもので鳳凰戦のリーグ戦と十段戦のタイトルは私はかなり得意としている。一方で、マスターズや王位戦のような、大人数で対局をして上位何名というような対局は必ず勝たなくてはいけない。ガチンコが起こりやすい。ガチンコは私は苦手としているので、向いていないタイトル戦である。本来ならば、どのタイトル戦でも勝たなくてはいけないのだが、自分の得意不得意は知っておくことは大事なことである。

そして、相手が分かっているならば、シミュレーションをするべし。とはいえ自分の思った通りにはならない。しかし、聞いたところによると予測していたことがその通りになれば、人は対応ができるが油断をしているところで身の危険が起こると、頭が真っ白になってパニックになるそうだ。麻雀でも最悪の事態、悪いことがどのように起こるかのパターンを知っておけば、その通りになった後の考え方が整理できる。
私が勝負事になった時に緊張しない理由の一つだと思っている。

勝負事で緊張しないもうひとつの練習方法は場数を踏むこと。
麻雀のタイトル戦は今の若い人には相当に大変な階段だと思う。しかし、私の場合は創設時のメンバーがあまりに強かったので上のリーグに上がるのに大変苦労したし、一度落ちたものが上にあがることの大変さを傍目から見ていても痛感している。
勝負をする以上は勝ちたいのは誰でも一緒だから、熱戦・真剣勝負となる。
プロの対局は勝てば人生が変わる。逆にリーグ戦、タイトル戦で敗北したのなら、次にいつチャンスが来るかわからない。タイトル戦は長い階段を登る必要がある。一昔前はプロの対局を「遊び」と揶揄していた人もいたものだが、私たちプロは誰もただ遊んでいる麻雀ではない。それは今ベテラン、若手のプロに共通していることだと思う。

場数を踏むことについてさらに話を進める。ただ単にリーグ戦に参加するだけではなく、他の場所でも真剣に麻雀を打つべきだと思っている。
ノーレートの麻雀が増えて、そこでも真剣な麻雀をしていると思うが、その成績にきちんと意味を持たせているだろうか?プロもアマチュアもせっかく麻雀が打てるのだから、その普段からの1半荘を深いものした方が、プロは勉強になるし、アマチュアも麻雀の楽しさをより味わえると思う。

例えば、順風満帆である感覚も大事であろう。ツキが大きくこちらに傾いている時にしっかりと点棒をかき集める。そういう運と自分の実力がピッタリとハマることがいわゆる「ゾーン」になると思っている。場を支配している感覚もわかる。点棒を稼ぐ理由は、その逆がいつ来るかわからないからだ。その時に備えるのだ。

しかし、このような状況になることはほとんどない。
麻雀と言うのは1半荘という単位だけで考えるなら、終局した時、1番点棒を持っている人が勝ちというゲームである。ほとんどが2位〜4位である。
オーラスの時も同じだ。2〜4位にいるならば、できれば1位になるにはどうしたらいいか、ツモったら何点あればいいか?1位からの直撃、横移動の時を瞬時に計算する。
これが1位だけが偉い麻雀を前提とした普段の麻雀の打ち方。私の推奨するものだ。とするならば、順位の変更が難しいのならば、場に影響を与えないような打ち方に徹しなくてはいけない。4位が闇雲に上にあがる麻雀を打った結果、3位が大きく上がって1位になってしまうのは場が白けてしまうように私は思う。その練習も普段からの麻雀の経験が生きてくる。
一方で2位OKだとか3位までならいい条件を想定しているならば1位以外のどこで手を打つかを考える必要がある。1位は狙わなくていけないがどうしても無理であるならば、2位3位を狙う作戦に変えなくてはいけない。
そこから逆算すれば、南場の1〜3局の時にどういう麻雀を打たなくてはいけないかを考える必要がある。さらに南場で厳しい条件を突きつけられないこと。相手に突きつけるようにする東場のことを考えるのだ。

龍龍や麻雀格闘倶楽部で可能性がないと思った時に気が抜けたように麻雀を打ってしまうことはネットの麻雀でありながら、打牌から感じるものでだ。そういう相手からいくらからでも点棒がもらえるし、卓に影響を与えてしまいやすいものである。普段からの真剣さを求めるのは自分が窮地に陥った時にこそ真の実力を感じるからなのだ。

逆に、普段の練習がものをいうのはタイトル戦で感じることなのだ。
あるタイトル戦で荒さんと私のマッチレースになった。オーラスで親だった荒さんは小さい差を逆転するようなギリギリの手組みであがる。その上がりが、次局ノーテンOKという条件になり、荒さんはその局をさっさと店しまいしてタイトルをさらっていってしまった。見事なものであったと感じたものだ。一方で、目無しの人たちが黒子に徹したことも覚えている。

全員がプロの対局をしたものだなと覚えているものだ。

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