他のスポーツを見ながら大局観を考える
ここ最近、卓球の中継をよく見ます。
特に女子の戦いで、感じるのがガチンコ対決。最初はフェイントとかで相手に球を打たせない仕掛けをするがほぼ打ち合いで勝負が決まる。そこにはアスリートとしてのぶつかり合いで優劣が決まるが、それを麻雀と当てはめると似ているところもあるのではないか?フェイントあり、ガチンコありなどで通じるものがある。小手先の手では勝てず、小手先ばかりを使うと大きなしっぺ返しがある。大局を見て戦う姿勢が大切である。
そもそも大局とは何か?
一言でいうならば「同半荘をまとめるか?」だ
私の観点で言うならば、オーラスの1局以外はどういうことをしてもいいと思っている。オーラスの条件が決まって、4者の思惑はおのずと決まる。この時にやってはいけないのは4着のものが4着の上がりをすること。これは意味がない。(もちろん、複数の半荘で勝負を決めたりするという条件なら話は別である)
麻雀は4人で相互に独立して戦うゲームである。自分以外の3人とどう戦うか…よくよく考えてみれば難しいゲームに参加しているなと思う。それが逆に面白い。
ただし、4人が最後まで戦い続けるというばかりでもない。例えば、2人は戦いの舞台から降りて、今は1人と戦うという状況にもなる。局ごとに場面が変わり手作り、対応が変わっていく。今、配牌がどうやってもピンフドラ1にしかならないという時がある。こういう時に例えば、他家の点棒のないところなのに面前ではなくて仕掛けをしている…いかにも高そう…こういう時は手が安くても「今ある手をあがる!相手の手をあがらせない!」2,000点でも立ち向かわなくてけない。相手の手を潰すという大局観も必要となる。手作りは才能、能力。上がれるのは運。2,000点でもあがれるのは私には運があるのだと思って戦っている。
よく見かける光景…。点棒のない人がいかにも手作りをしたという本手のリーチ。そこに自分ひょっこりとできたカンチャン待ちドラ1の面前聴牌。愚形で本手を戦うのは危ないからと言って、ダマテンにしていたが…ひょっこりとそのカンチャン待ちを自模ってあがってしまうという展開。
これは運があるからです。
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