日常の中の「生存の危機」の向こう側へ
こんにちは(*^.^*)
今回は、わたしの非遵法性から発した行為と体験から気づいたことを、お話ししようと思います。(また赤裸々な話☆)
先日、某SNSでアカ停止されました。
具体的には複アカが紐つけされて凍結です(´∀`:)
規約では複アカは違反なので、非はこちらにあり。
申し開きもございません☆
で、問題はその時の自分の様子です。
後から思い出してどうにも変だったので、検証してみました。
審査を提示された時、私は恐怖を感じていました。
心臓はバクバク、口は乾き、体は心臓の鼓動に合わせて震えていました。
私は相手に脅威を感じていました。
私一人などどうとでも出来るくらいの力があると。
まるで相手に命を握られているような気分でした。
そしてロシアンルーレット。
自分ではどうしようもない、力の存在に対する恐怖・・・
あの恐怖と体の反応は、よく知ってるぞ。
元夫や母親と対決していた時と同じだ。
あと、お金がない時に年金の支払い請求が来た時・・・・・
・・・ああ、そうか💡思い出した
あの反応は「生存の危機」を感じた時の反応だ・・・
え?(´∀`:)
驚きでした。
たかがSNSですよ?
正直なところほとんど活用してなかったし、ぶっちゃけ私にとってはあってもなくても問題ない代物です。
なのに「審査」と聞いた途端、私は相手を自分より力のある強大な存在と認定し、恐怖していたのです。
それも無意識に!
そのことに気がついてから、すごく腑に落ちました。
私が「審査」に反応して相手に与えた役は「権力」でした。
上の立場の人の決めたことに従う。
逆らえばペナルティがある。
義務教育、社会通念、慣習によってじっくりとそう教育されてきました。
たとえ反抗したとしても、心の何処かに恐れがわきます。
従順こそが安全な道だと、骨の髄まで染み込んでいるんです。
それが普段は忘れてるけど、こうした折に恐怖となって現れる。
うわぁ〜こんなところでコレが出てくるのか〜〜(゜Д゜)
気がついて良かったわぁ〜・・・✨
と、ここまで観察して、ようやく私の中にあった恐怖は静まりました。
相手に力を与えていたのは自分だった、と気づけば、あとはそこを癒すだけ。
固〜い思い込みを持っていた自分を責めず、優しく撫でてやれば、自然に剥がれていくものです(´ω`* )
個人的にはブディック柱の瞑想が好きで、あれを自分自身や部屋に立てると気分も一気に上がります♪
いろんな恐怖があるけど、突き詰めると恐怖って一種類しかないと思うんですよね。
「生存の危機」
体に剣を立てられなくても、社会的な死のサインは私たちに「生存の危機」を感じさせます。
そして、これまでの経済システムや社会システム、言葉の使い方ひとつまで、「権力への服従」と「生存の危機」をつねに感じさせる作りになっています。
が、最近、このシステムに亀裂が生まれ始めました。
これまで法的に罪とされてきたことが、根底から覆されようとしている。
法の枠にははまらない多様性が、基本的な人権とはなんなのかを問い直し始めている。
直近では、地方自治体が国の方針に逆らって、独自の政策を施行し始めました。
私たちを抑え付けてきた「生存の危機」の恐怖の向こう側へ進む人たちが、増えてきているんですね✨🚶♂️🚶♀️
もうみんなの中で「これはおかしい」がはっきりわかっている。
このうねりは誰も避けられないものだと思います。
本当の自分に戻る過程にしても、社会のシステムから外れていく部分が結構あります。
家族だから
恋人だから
友人だから
組織の人間だから
社会人だから、こうしなければいけない
そういった「正しさ」が本物かどうかを、自分の中の真実で見定めるのが、この水瓶座の時代のウェーブです。
今すぐ行動に起こせなくても、いずれ動く時が来る・・・まあ早いに越したことはないですが、その道はもう確定してるのだと認識して
まずは日々軽くなっていきましょう( ´ ▽ ` )ノ
こんな日々の小さなことからでも、気付くことはたくさんあります(*^.^*)
毎日を少しでも気分良く過ごして、本来の自分に還っていきましょうね〜🍀✨
お読みいただきありがとうございました(*^人^*)