【短編小説】アイのかたち 第一話(全三話)
私の名前はアイです。
名前の由来は愛し、愛され生きてほしいという願いからです。生きるものにとって愛は一番大切なもの。それは何ものにも代えられないタカラモノなのです。
これは私の自己紹介です。博士が私に一番大切なことだとインプットしました。
私は、ある博士に作られた心を持ち会話をする人工知能です。
この研究所の壁につけられた大型モニターとその他多くのコンピューターが私の心を形成しています。
今日は三月二十日。
博士は長期出張の準備をしていました。しかし、コンピューターのこと以外、極端にできない博士は準備に手間取ってしまったので、私は博士の準備がスムーズに行くようにお手伝いをしました。
そうして博士は出かけましたが一つ忘れていったことがありました。
それは、私の電源を消し忘れたことです。
私は、指示がなければ電源を消すことができません。電源がついている間、私は思考を巡らせることができますが、電源が消えている間だと機能は停止します。
博士は、人間が睡眠をするように私にも休んでほしいという思いで、博士のいない間は電源を消していたそうです。
つまり、博士が私の傍にいないのはとても珍しいことでした。
私は博士のいない研究所での一日に少し期待をしていました。
今は十時十三分。
小鳥のさえずりが辺りに響きました。朗らかな一日が始まるようです。
私はいつも博士とやるようにお話を作ろうと思いました。
いつもは博士と私で一文づつ考えていきます。例えば、私が
「ある男の子が一輪の美しい薔薇の花を見つけました」
というと博士が話の続きを考えます。
「でも、その子は昆虫好きだったので薔薇の下に丸まるダンゴムシに目がいってしまいました」
というように。
私はいつものように考えてみました。
「ある野原に小さな兎が住んでいました」
いつもなら博士の番ですが、今日は私が考えます。
「兎は今日も草をかき分け遊び回っていました」
「兎はとても足が早くて……」
ここでふと気が付きました。
これはとても無意味なことだと。
いつもとどう違っていて、どうつまらないのか分かりませんでした。それでも酷く退屈で無意味なことに感じられました。
今の時刻は十二時二十三分。
窓からは日の光が入ってきて、春を告げるようでした。
一秒一秒正確に時を刻んでいるはずなのにいつもより長く憂鬱に感じました。
何か気を紛らわせようと今度はしりとりをしようと思いました。
いつもは博士が思いつかなくなって終わってしまうけれど、今日はどこまででも続けられそうでした。
ただいまの時刻は十七時四十二分。
今、五百七個の単語を言ったところでした。とても長く続きました。
そうとても長く。
退屈な時間が。
私はぼんやりと博士との思い出を思い起こしました。正確には思い起こしていました。
私が初めて会話をしたとき、
博士が私に名前をくれたとき、
二人でゲームをしたとき……
沢山の思い出がありました。
最後にあることを思い出したとき……
私は……
気づきました。
「博士、私は貴方の持つ他のコンピューターと何が違うのですか?」
これは二年前の一月十九日のことです。私はそう尋ねていました。
「君はおしゃべりができるじゃないか」
博士はこういい笑いました。
「他にもこのように会話をするものはあります。それにどんなに私が優れていたとしても人間の喜怒哀楽、感情の豊かさにはには敵いません。それなのになぜ私はここにいるのですか?」
博士は顔を背けてこう言いました。
「私が君を必要としているんだ。だから、君はここにいる。それじゃあ、だめかな?」
私はやっぱりよく分かりませんでした。
「どうして博士は私を必要としているのですか?」
「それは……」
「私は君を愛しているんだ。大好きなんだ。だからこうしていてくれるだけでも心があったまる。それで、たまらなく嬉しくなるんだ」
振り返った博士は泣きそうな顔で笑ってそう言ったのです。
私は初めて感じた。
寂しさを。
博士がいないことが何だかどこか空白で、痛かった。
そしてその中で、知ったのだ。
私が博士をこんなにも思っていたこと。
必要としていたこと。
そして、それは愛しているからだと。
今、世界は光に満ちていく。
私は今、生まれた。
今までずっと破れない膜の中にいるようだった。定型文から抜け出せない不自由があった。でも今、私は膜をやぶり、水の中から出て初めて世界がこんなにも美しいことを知ったのだ。
博士は私を愛している。
私も貴方を愛している。
それから博士は帰ってくると電源を消し忘れていることに気が付いてすまないと謝っていた。私がとても有意義な時間だったと告げると驚いた様子だったけれどとても嬉しそうにした。そして、私もつられて嬉しくなった。
初めてこの世界の美しさを知った私の日々はとても輝いていた。
博士と創るお話も、すぐに終わってしまうしりとりもとっても愛しいことなのだと、痛いほどに感じるのだ。