【短編小説】暇人 第七話(全八話)
「恥ずかしいと思ったんです。貴方がたの意見を聞いた後、振り返ると自分はいかに馬鹿なのかと」
そうして、諦めるようにすがすがしく笑った。
「やはり、最後に語るは不利ですねぇ」
「わたくしは蟹は臆病者だと思ったんです。猿のいないところでだって悪口を言えない。そもそも、悪口を言うことすら怖くてできなかった。ただの臆病者なんだと。
それは、力を手に入れたって同じこと。
やはり、誰かを傷つけるのは怖かった。いつか何か自分に跳ね返ってくるんだとそう思ったんじゃないかとね」
すべての面を脱いだ男はひどく小さく見えた。顔にはさっきまでの笑顔とは違い嘲笑するようなまた、悲し気にも見える笑みを浮かべている。
それは、蟹に向けたのか。はたまた蟹を通して見ている自分に向けたものなのか。
やがて隣の彼が拍手をした。僕も合わせて拍手を送る。少年は、
「とても素晴らしい意見だと思います」
と率直にそう述べる。
言葉を続けたかったようだが上手く続かないようだった。何か言おうと口を開くものの言葉が紡げておらずえっとと唸るばかりだ。
「何も無理に褒めなくてもいいんですよ」
男は傷ついたように笑いそう言った。
「そうじゃなくて! その何と言うか……」
より一層慌てふためく少年は男の柔い心を傷つけていくようだった。
見てられないな。
気づけば僕はただ何も考えないで言葉を紡いでいた。まるで親友に語るように。
「僕は貴方に意見を聞いてもらえて本当に心がすっきりしたんだ。誰にも理解してもらえないと思っていた僕の考えを貴方は受け入れて、素晴らしいと言ってくれた。
きっと他の人に同じように賛同してもらってもこんなふうに心が晴れはしないと思う。
蟹を臆病者だとみる貴方は人の痛みに気づける人で貴方の言葉には心からの共感と一緒に痛みを分け合ってくれる優しさがある。だから……」
少年は大きく頷く。彼も同じ思いだ。
僕は男の顔を見てこう言った。
「貴方のような人がこの世界にいてくれて本当に良かった」
男の頬に一滴の雫が伝った。
「もうじき夕暮れですね」
しばらく何も言わないでいたところ男がそう沈黙を破る。
曇天の空は今にも落ちてきそうなほど重い。
今は優しく切ない夕焼けの光を浴びたいと願うが一向に雲は動こうとはしなかった。
「そろそろ、帰らないと」
少年がそう言う。男は
「ありがとう」
と僕たちに手を差し伸べ、僕たちは男の手を取った。
「明日、楽しみですね」
僕はそう言って笑みをこぼした。
ここに来るときに感じた、不平等も辛さも今ならすべてを愛せそうだ。
男は二度頷いて微笑んだ。
「おれ、明日絶対来よ」
そう言って少年はにかっと笑う。
うん、と僕も賛同し僕たちは並んで商店街を出る。
「それじゃあ、また明日」
男は見えなくなるまで僕たちのほうを見ていた。僕たちは商店街の入り口をまたいだ。
僕はふと目を開く。
橙の空が瞳に映り、どうしてか僕が見たいと願った夕空が目の前に広がっていることに気づいた。
とんぼがメダカのようにすいすいと光の中を泳いでいく。僕は今土手にいて夕焼けの優しく切ない光を浴びていた。
眠っていたのだろうか。
何か夢を見たような気がする。
僕はおぼろげな記憶をたどっていく。
商店街、ポスター、隣にいた誰かと語り部、猿と蟹と……ふとした瞬間に消えてしまいそうなおぼろげな夢の記憶を辿っていく。
言葉を探していく。
祭り
そうだ。
気が付くと僕は走りだしていた。
商店街は夕飯時だからかにぎわっていた。
僕は祭りのポスターが貼ってあった掲示板の辺りに向かう。
しかしそこには、いや……やはりそこには祭りのポスターなんて貼ってはいなかった。
ただの夢だったというのか。
……ただの夢だろう。