【短編小説】暇人 第一話 (全八話)
窓から入ってくる陽は明るくうららかなものだった。
教室に這うようにして床を磨く僕の背中を照らす。
僕はひどく憤慨して今にも叫びだしたくなった。
今は掃除の時間なのに語らう彼らが憎たらしいと思ったのだ。
正直者が馬鹿を見るこの世界。
汚れた雑巾をつかむ手に力が入る。僕は正しくありたいと願うのに……。
「こんな世界じゃもう限界だ」
石畳の地面を行く。下校途中。
子供が着物を振り乱し虫を追いかけて遊んでいた。
まだ、明るい澄みきった空が僕を眺めている。
これほどにすがすがしい天気とは裏腹に僕の心はどんどん曇っていく。
きっと、クラスの奴らは僕を笑っているのだ。
真面目に生きたって結局はうまく生きれたものには抗えない。
そう思うとただ家に帰るまでの道のりが遠く感じられる。心が重く沈むたびに体まで重くなる。ため息が口をついて出たとき僕はもう歩けないことを悟った。
そばの川の土手に座り込む。
草のにおいが鼻をくすぐり、とんぼが辺りを飛び回る。
そのどれもが教室の彼らよりも美しく思えた。
そよ風が制服のシャツを揺らし、瞳を閉じる。
頬に一筋、雫が流れた。
次に目を開くときにはこの世界が変わっていればと願うばかりだ。
「大丈夫かい? こんなところで眠っちゃあ風邪ひくぞ」
声に揺さぶられ目を開く。
眠っていたわけではない。ただ辺りの音に耳を澄ませていたのにと声のほうを見やる。
いつの間にか空は雲に覆われさっきまでの晴天は嘘のように消え去っていた。
そこにいた少年は自分と同じ制服を着ている。
僕は大丈夫だとため息交じりに返し膝にあごをうずめるようにする。
視線をそらしひらりと飛ぶとんぼに意識を向ける。
今はきっと誰にだって優しくはなれないだろう。一人感傷に浸るのがいいのだ。そうやって、諦めきれるまでため息を吐き続けるしかないのだ。
ふと、視線の先に少年の顔が現れる。
「明日商店街である、祭りの準備をしてるんだって。見に行かない?」
へへっと少し照れるように優しく笑う。
僕はまた視線をくうに向け、断る。
「面白いと思うよ!」
「いいって」
「なあ……」
「どうして、僕なんだ。他にも誰かいるだろう?」
少年は面食らった顔をし、やがて悲し気に俯く。それから、だってと続けた。
「君があんまりに悲しそうな顔してたから……」
少年は僕の頬についた涙の伝った後をちらりと見る。僕はそっと手の甲で頬をぬぐい、初めて少年に向き合う。少年は傷ついたように弱弱しく笑うから、僕はひどく胸が痛んだ。
別に傷つける意図はなかったのに。
それでも、僕のことを思ってそう言ってくれたことは嬉しかった。
それも含んで心が痛む。
「ありがとう」
「いや、確かに今思えばおせっかいだったと思……」
「祭りの準備……見てみたいな」
僕は彼の否定の言葉をかき消すようにこう言っていた。彼は、驚いてそれからほっとしたように笑う。こんな人もこの世界にはいるものだと僕は少し舞い上がっていた。
ただ嬉しかった。
「俺は喜助っていうんだ」
「僕は次郎」