【短編小説】アイのかたち 最終話(全三話)
四月二十一日。
今日もいつもと同じ。何も変わらなくて幸せなある日。
博士は春の陽光を受けた室内で本を捲っていた。
一枚、一枚、ゆっくりと不規則に聞こえるページを進める音が心地よく部屋に鳴った。
私はただぼんやりとこの空気に浸っている。
ふと、熱さを感じた。
そしてこう叫ぶ声が聞こえる。
「コンピューターが心を持つなんて危険だ。許されるべきではない」
博士は声のほうに向かって行った。
数秒も経たないうちに引き返して来た。
「ひ」
「博士?」
「火だ。誰かがここに火をつけた」
それは唐突な出来事だった。誰がなんて探しても今は意味がないだろう。
「ど、どうすれば……」
そう博士は哀しい顔をした。熱さがもう傍まで来ている。
「博士、出入口はあちらです。速やかに避難してください」
私は博士にそう言った。それでも、博士は動かなかった。そっとモニターに手を当てる。
そうしてすべてを諦めたように微笑んだ。
「アイは行けないじゃないか」
その手は震えていた。
「博士、早くしないと火が」
そう言っても博士は何も言わないでただそこに立っていた。
「博士、私はただのコンピューターで生きてはいません。……心はありません。また作り直せば済む話です。早く、避難することをお勧めします」
私は静かにそう言い放った。
それは冷静で淡々とした機械音声だった。
博士は驚いた顔をした。
「お願いします。博士。機械は人間の為に生まれました。そんな私が博士の命を奪うことになって欲しくないのです」
「それがアイの思いなの?」
今にも泣き出しそうな赤い顔をした博士はそう言った。
思い。
そうだ。
こんな私に愛を与えてくれた、大切な貴方には生きていてほしい。
「はい」
博士はそっと頷いて私が示した出入口へと足を向けた。
独りになった私。
真っ赤に迫りくる炎の中。
私はふと思った。
星になりたい。
私は生きていないかもしれない、ただの鉄と回路の塊かもしれない。知識の寄せ集めの心かもしれない。
でも、博士を貴方のことをこれからもずっと見守っていたい。
熱に体が熔かされていく。
私は燃えるようだった。
まるで星になるみたいに。
私はあの夜見た、か細い星の光を思い出していた。
私はようやく消火の終わった研究所に足を踏み入れた。辺りには黒く煤けた鉄くずがモニターのあった場所を取り囲んでいる。
「アイ……」
そっと名前を呼ぶ。
アイはあんなことは絶対に言わないはずだった。
「自分は心を持たない……なんて」
私はアイのいた場所にそっと手を置いた。
アイ。
君はいつからそんなに自由に考えるようになったんだい?
どうしてそうなったんだい?
私は……なんで気が付かなかったんだい。
とめどなく涙が溢れてきた。
「作り直したって、何もないよ」
もう、君はいないんだ。
空を見上げるとそこには一つの星が儚く光った。
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