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エクセプションナイン
砂煙が立ち込めるなか、視界が揺らいでいた。ここに立つと周りの音が聞こえなくなる。アタチは相対するフリークスにグッと焦点を合わせ、その挙動に神経を尖らせた。
『覚悟しろよ、泥棒猫。お前は裏切り者だ』
射抜くような鋭い視線に、そう言われたような気がした。
手のひらに、じわりと汗が滲む。
「やるしかない」
振り絞るように出た声。それは、アタチの声だった。
こんな崖っぷちに追い込まれることになるなんて。どうしてこうなったんだっけ。
梟から渡された〝招待状〟は、アタチから養分を吸い上げ、その蕾をパンパンに膨らませると、一気に開花した。それは血液の流れに乗り、身体中へと広がっていく。細胞に染み渡る感覚が、ジワジワと胸から末端にかけて増していくのがわかる。内側から何かが膨張する違和感に、体が熱を帯び、脈動が早く大きくなる。
視界が霞んで、すぐにクリアになる。そして、また霞んで……と、それを一定の周期で繰り返すうちに、気がつくと、目の前の景色は広大な円形の競技場のようなものに様変わりしていた。
二つのグループが、それぞれ一列に並び、お互いに相対している。アタチもその中の一人。こちらは九人、向こうも九人。
なぜかキャップをかぶっていたアタチたちは脱帽して、首を垂れる。
「おなしゃーす!」
間を取り持つのは、おそらく盾の隊員だ。鍛え抜かれた体躯から、高らかに宣言された。
「プレイボール」
そうだった。
アタチたちは野球をしているんだ。
『覚悟しろよ、裏切り者』
鋭い眼光には微塵の隙もない。ピッチャーはフリークスのエースナンバー、シューターだ。ハウンドドックたちと協力して、正確無比な投球を続けている。アタチは初めて会うけれど、あのウッドペッカーさんを追い詰めたフリークスたちだ。
シューターのスリークォーターフォームから白球が放たれる。
バゴッ。
ドンピシャリのタイミングだった。フルスイングしたアタチのバットには確かな手応えがあった。しかし、捉えたのはボールではなくキャッチャーの頭だった。
ああ、いけない。これはヘッドハンティングではないのに。
「ご、ごめんなさい」
キャッチャーは何事もなかったかのように「大丈夫ですよ。慣れてますから」と起き上がり言った。
バロンポテトのようにボコボコになった頭を振って笑ったのは害虫だ。
これでワンストライク。9回裏のツーアウト。ヘッドハンターズはフリークスに押されている。崖っぷちのピンチはまたチャンスでもある。俊足の女王蜂さんが二塁に出塁している。安打で蜂さんが帰れば同点。本塁打が出れば、逆転のサヨナラだ。
監督のキツツキさんから指示が飛ぶ。
『ボールをよく見ろ。ランエンドヒットだ。蜂を進塁させる』
アタチはキャップのツバに触れる。OKのサイン。
シューターの投球モーションから、二投目。
バスン。
アタチのバットは空を切る。変わらずのフルスイング。
『バカヤロウ。打ち上げたらどうするんだ。ユルい球だけ狙い打て』
『お言葉だけど、相手はシューター。ユルい球なんて待っても来ない。言い換えればすべてが狙い球だよ』
『ちっ。勝手にしやがれ』
以上、これらがすべてブロックサインで交わされた。
ツーストライク。ともあれ、蜂さんは三塁に進んだ。
ここで、相手心理を逆手に取ってスリーバントスクイズという作戦もありうる。それでも、アタチは……。
バットをグリップいっぱいまで長く持ち、ヘッドを立てる。
シューターの三投目。失投はありえない。
アタチは左足を踏み込み、腰から肩をめいっぱいに振る。
完璧だ。
バットの真芯で捉えたそれは、スタンドにアーチをかけた。
「入った? 入った! 逆転だ。サヨナラだ」
アタチはゆっくりとダイヤモンドを一周する。ホームベースを両足で踏むと、ヘッドハンターズの皆がキャップを空に投げた。
「よくやったな。ネコ。これで長い戦いが終わった。オマエのおかげだ」
キツツキさんが、アタチの頭を撫でた。
本当に長い戦いだった。
これで、終わり。ホントに?
「あのー」キャッチャーのペストが、申し訳なさそうに声をあげた。「打ったのはボールではなくて、私の頭です。ほら、ボールはここに」確かにペストのキャッチャーミットにはボールが収まっている。そして、彼の首から上は吹き飛んでいた。一体どうやって話しているのだろう。
ということは?
審判のシールド隊員が、キャッチャーミットに収まった白球を確認して声を上げる。
「ストライッ。スリーアウツ。ゲームセット」
あちゃあ。
「……おい。おい、ネコ」
アタチの顔を覗き込む人影。
「監督?」
「誰がカントクだ。寝ぼけてるのか」
「ああ、キツツキさん」
「うなされていたようだぜ。悪い夢でもみたのか」
「うーん。なんだか、よく思い出せなくて……」
アタチは恥ずかしくて、嘘をついた。
テレビジョンは連日盛り上がる野球中継を映していた。
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