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ブランクヘッド

 昼前には目が覚める。
 バーの開店は夕方からだが、この時間には起きてしまう。
 ブレインレス(脳なし)と呼ばれるようになって久しいが、そんな俺の空っぽの頭と関係なく、体は習慣を覚えている。
 俺にもまだフリークスとしての因子が残っているらしい。だから、あんな夢をみた。きっとすべてのフリークスがみたはずだ。

 ――あー、ハローエブリワン。
 あー、あー。うーん。好きな言葉だ、エブリワン。なぜなら『みんな』に話しかけているが、ワン『あなた』にフォーカスしているじゃないか。
〝みんな〟知ってのとおり、このよく使われる『みんな』には俺たちが含まれていない。
 イメージするんだ。作業台に六つのナットが置いてある。この六つのナットで、回転するハブにホイールが固定されている。車のホイールだ。メカニックがそのナットを六つ全部落としてしまった。
 こういうとき、大抵五つはすぐに見つかるんだ。なぜか一つは見つからない。そのメカニックは思った。見つからないものは仕方がない。五つあれば充分じゃないか、と。
 たしかに、五つで固定されていれば問題ないように見えるかもしれない。そう見える。しかし、それはいつか破綻する。脱輪する。原因は明白だ。そのナットをつけなかったせいだ。
 このたとえ話でいえば、悪いのはそのメカニックだろう。だけど、この世界は、破綻した原因はそいつ自身にあるという。その見つからなかったナット自体が悪いという。そのナットとは俺たちのことだ。
 人間の根本ってのは、簡単に変えられるものじゃない。いつだってマイノリティが責められる。それは変えられない。ならば、どこのどいつがマイノリティになるのか、もう一度シャッフルして決め直そう。ナットをまた、全部落とすんだ。拾われない一つは俺たちじゃないかもしれないだろう。
〝招待状〟は広まりつつある。パーティ会場は小さな世界だ。そこでは誰がマイノリティになるかな。小さな世界は、この世の縮図だ。解像度を高くもて。ブレたやつから弾かれるぞ――

 俺は開店前のバーのカウンターに立ち、目を閉じた。
 夢でみた、揚々と話していた人物のシルエットを再構築する。あんたは誰なんだ。……問うまでもない。ヘッドハンターが血まなこになって探すヘッド。
 では、俺はなんだ。夢でみたヘッドの像がゆらゆらとまぶたの裏で揺れる。シンクに溜まった水を、蛇口から滴り落ちる水玉の波紋が揺らした。そこに反射する俺の像は、夢でみた人物とよく似ている。俺は誰なんだ。なぜ、生かされている。まさか……。
「俺は、ヘッ……」
 それを口に出す前に、舌に鉄の味を感じた。ナイフの腹が舌にピッタリとくっつく。ヒヤリと冷たい。
 ペティナイフを自分の口に突っ込んでいるのは、紛れもなく俺の手だ。
 俺の空っぽの頭に入った脳みそが、書き換えられたってのは嘘じゃないらしい。俺が自分自身をフリークスと強く認識すると、体が勝手に動いて、自分の頭を狩ろうとする。
 ギリギリと筋肉が収縮し、解放される瞬間を待つ。
『ブレたやつから弾かれる』まったくその通りだ。
 俺はなんだ。フリークスでありながら、ヘッドハンターたちに酒を作っている。覚えていないが、捕えられたときに死を恐れ、やつらの犬になることを選んだ。
 ブチブチブチ。
 頬の肉が引き裂かれる音を、間近で聞いた。口の中にあったナイフは、口角を真横に切り裂き、外に飛び出した。
 シンクにボタボタと血が落ちる。そこに反射していた像は、赤黒く染まり掻き消えた。
「俺がヘッドなもんか」
 頭を開けたところで、中身はきっと空っぽだ。
 だから、俺は生きていられる。俺はヘッドなんかじゃない。言われるままに酒を作るブレインレスだ。
 なあ。あんたならどうする。俺にはもう、わからない。

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