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ただ耐えるだけの人間サンドバックな私


中学になった時にはすでに、
毎日母からのゲンコツを
サンドバックのように受け続けました。

部活を終えて帰宅して、
勉強途中で机で寝てしまっていると、

仕事から帰った母が、
毎晩怒鳴りながら
鬼の形相で一階から駆け上がってきて、
障子が開くとともに
ゲンコツが飛んできて、

殴られ、
床に倒れ、
意識を失って、

気がついた時には時間が経っていて、
あれ、何が起こったんだっけ?
ああそうか、今日も殴られたんだ、、、
と思い出して、

夜中に声を抑えて、
寒い時も窓全開にして
満天の星空を見上げては、
毎晩ベランダで泣いていました。

このまま、どこか宇宙からでもいいから
迎えに来てはくれないだろうか😢
そんなことも思いました。

今で言えばこれらは、
虐待という言葉になりますが、
当時は教育、躾だろうとしか
思っていませんでした。

私は、家出もせず、
グレることさえできず、、、

なぜなら
私の住んでいた町は
田舎すぎて街灯はないし、
赤いスカートなどはいて出掛けようものなら、
『あれーー💦まひろちゃん、
赤いスカート履いてだぞ!
おめかししてどこへ行ったんだい?』
と野良仕事のおばあちゃん界隈で
逐一ウワサになるような地域なのに
(おばあちゃん界隈の広報力はかなりヤバい💦)

夜🌃自転車で走ってたもんなら
地域の連絡網で通報もの🚲️

同級生の家に行っても
すぐに連絡されてしまうような土地柄💦

隣街にいる高校の同級生を頼るには
駅は遠いし暗いし、
そもそも電車はもうない時間、、、

何より、
私が悪いから殴られるんだ、
仕方がないんだ!
といつも思い、
ただただ耐えていました。



そんなある時、
たまたま関東在住の叔父が
帰省していた時にも
それが起こりました。

私が殴られてることを察知した叔父が
2階へかけ上がってきて、

『まひろちゃん大丈夫か😫?』
そう声をかけてくれました。

その言葉に
こらえていた涙が溢れて溢れて
止まりませんでした。

叔父の優しさに
しゃくりあげて喋れないほどに
泣いていました。

そんな叔父の兄である”父”は、
私が殴られている時、
どうしていたのかと言うと、

殴られたあと2階へ来て、
慰めるのではなく、
『怒られないようにしっかりやれよ』
と、
逆に火に油を注ぐ始末😱

今でこそ、
なぜ止めに入ってくれなかったんだろう?
庇ってはくれなかったのか?
そう思いますが、

実は
父さえも狂気に満ちた母に怯えていたことは
当時の私にはわかりませんでしたが、
容易に察せる事実でした。



つづく

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