マシーナリーとも子ALPHA ~それぞれの日曜日篇~
朝。爽やかな朝。外では太陽の煌めきに呼応して、スズメたちがチュンチュンと歌っていた。だがこの部屋には小鳥たちのさえずりは届かない。寝息を立てるように一定のリズムで轟音をあげて回転する二基のダブルチェーンソーがあるからだ! そのチェーンソー の持ち主は……当然シンギュラリティのサイボーグ、ネットリテラシーたか子だ! 時計の針が7時を指すと、ハンガーラックにかけられたファンネルポートから一基のファンネルが飛び、たか子の耳元でボソボソと囁く。
パチッとたか子の目が開き、上体を起こした。二基のファンネルがそれぞれコップに入れた水と桶を持ってきたのでたか子はボンヤリしながらうがいをする。チェーンソーがギチギチと毛布を噛んで鳴いている。こればかりは毎朝どうしようもないことである。ネットリテラシーたか子は腕のチェーンソーから生まれる徳で動いている。彼女にとってチェーンソーの回転とは人間で例えるなら呼吸のようなものであり、眠っているときであろうと止めることはできない。そのため、起きたときにチェーンソーの歯に毛布が絡まってしまうのだ。毛布は高強度かつ徳を織り込んだ特注のものを使っているためズタズタに切り裂かれることはないが、そのぶん強烈に歯と歯のあいだに食い込んでくる。以前はファンネルたちが30分以上かけて解いていたが、最近はチェーンソーを逆回転させることである程度解けることに気づき、大幅に朝の準備が楽になった。
歯を磨き、顔を洗い、食事を済ませる。
「さて……」
今日はなにをして過ごしましょうか。本日は日曜日。休日はしっかり休むのがシンギュラリティの鉄則である。オフの日は無闇矢鱈と殺人はしないものなのだ。そういえばマシーナリーとも子がなんか映画を見たとか言ってたな。感情がないから面白いとか泣けるとか全然わからんがたまには見に行ってみるとするか。
***
「大人いちまい」
「…………」
窓口の人類が絶句する。ああ、そうだった。この反応が好ましくないので私は映画をあまり見ないんだった。人類は映画館で音を発するものを忌避する。例えば携帯電話の着信音や話し声などだ。いや、それは理解できる。映画館という映像作品に没頭するべき空間で余計な音がするのは不快であろうというのは感情がない私でも理解できる。だが私のチェーンソーにまでうるさいというのはいかがなものか。私にチェーンソーの止めろというのは死ねと言ってるのと同じだ。人類にうるさいから呼吸を止めろと言ったらどうなるだろう? 争いが起こるに決まっている。そんなネットリテラシーの低いことを彼ら人類という未熟な種族は平気で口にするのだ。まったく嘆かわしい。やはり早く根絶やしにせなばならないとネットリテラシーたか子は考えながら、すでに物言わぬ肉塊となったスタッフの手からチケットを引ったくった。
***
ネットリテラシーたか子はコーラとポップコーンを買って席につく。確かこの映画は外国のヒーローもので、バトルシーンや破壊シーンが多く、それまでのシリーズを知らなくてもなんとなく見れるという。暇つぶしに見る映画としては最適だ。ついでに人類に対する攻撃の仕方でなにか得るものあれば儲けもの、とたか子は気楽に構えていた。予告が始まるがこれらにはまったく興味がない。スルー。たか子は黙々とポップコーンを食べる。しかし、よくフィクションに出てくる「映画館で映画を見ているシーン」ってクライマックスのイイカンジのシーンでポップコーン食べてたりするけど、絶対にそんないいところにたどり着くまでにポップコーンって食べ終わっちゃうよな。それとも私がポップコーンを食べるのが早すぎるのか……?
そんなとりとめのないことを考えていたたか子だったが、ふと以上に気づく。映画の予告は終わり、スクリーンにはこのシアターに設置された音響施設がいかにすばらしいかのプロモーションムービーが流れていた。画面の効果に合わせて、ズン、ズン、と音響が発する振動が響く。……振動だけは。
だが肝心の音がしないのである。映像には見覚えがある。確かこの場面は「ほら、たとえば天候もこのサラウンドシステムがあれば思いのまま……」とかなんとか言ってるシーンだ。だが、その言葉は届かない。スピーカーが震える振動だけは伝わるのだが……。
ネットリテラシーたか子は周囲の人類を見る。人類たちも困惑しているようだ。そしてハッとたか子はさらなる異常に気づいた。なぜおかしいと思わなかったのか。自らの腕から発せられるチェーンソーの音すらも聞こえなかったのである。
ここに至ってネットリテラシーたか子は立ち上がり、ファンネルを飛ばして偵察を行った。こんなことをしでかすのはヤツしかいない……。
ほどなくして居場所を特定したたか子はH-18の座席まで歩いていった。果たして彼女はいた。
「やはり……こんなロクでもないことをしでかすのはあなたですよね。トルー」
たか子はモゴモゴと口を動かしたが、その言葉は音として発せられることはなかった。トルーは人差し指を口にあて(袖で隠れて見えなかったのだが)、思念波を送った。
(ネットリテラシーたか子……。劇場内での私語は厳禁ですよ)
***
「どういうつもりなのですか……あなた達は」
ネットリテラシーたか子は額に青筋を浮かべながら2名──トルーと、一緒に映画館に来ていた元部下のアークドライブ田辺──を問い詰めた。
「いや、いや、たか子さん。ホント失礼しました……。まさかたか子さんが映画館にいるなんて……」
「私だって映画くらい見ます」
(感情が無いのに映画見る意味があるんですかァ~?)
「黙らっしゃい超能力者! あなたこそ映画館に来たのに音を消すなんてなにが楽しくて映画館に来てるんですかッ!?」
(私はサイコメトリーの応用で映画に込められたセリフや感情を読み取ることで音がなくても100%映画を楽しむことができるんですよ)
「周りごと巻き込むなッッ!! あなたの耳にだけミュートをかけるとかなんかそういう器用なことできるでしょうがッッッ!」
(まるごとミュートするより逆に疲れるんですよね、それ)
「知らねぇえ~~ッ! おめぇ~~の事情知らねぇえ~~ッんだよなァッ!? 田辺! あなたもノコノコついてきてなんで音止められるがままにしてるんですかッ! わからないでしょうがッッ!!」
「い、いや、これも勝手な話なんですが、トルーさんが超能力で私にどんな話か伝えてくれるので大体理解できるんですよね……」
「もう映画館じゃなくて家で見てなさいよ!?」
(映画館じゃないと最新作が見れないじゃないですか……)
「なんなんだコイツ……。あなた達、いつもそんなふうに映画見てるの?」
「まあ……ときどき……」
「どのくらいのペースで?」
(マジで特別なにも見るものがないなってとき以外は月に3回くらい見てますが……)
「けっこうなペースで見てるな……。そんなペースで映画館をめちゃめちゃにしておいて、出禁にならないんですか!?」
(見終わったあとにスタッフと客の記憶を超能力で消してるので……)
「無法者かよ」
(殺人サイボーグに言われたくないですねえ)
「とにかく! あなた達と一緒に映画は見れません! 私が今から見るからあなた達はほかの映画館に行くか、今日は諦めなさい。でないと殺すわよ」
(別にあなたのチェーンソーごときサイキックバリアーで防げるので全然怖くありませんが、まあ今日のところは譲歩してあげましょうか。行きましょう田辺。そこのカフェでお茶でもしようではありませんか)
「はあ。私はいいですけど……いいんですかトルーさん?」
(構いませんよ。それに……)
「それに……?」
「フン……まったく、余計な手間だったわ。それじゃあね田辺。息災でね」
「あ、たか子さん……。すいませんでした」
「いいのよ。いや、まったく良かないけど! 良かないけどな!? それじゃあね!」
***
やれやれ。たか子はようやく席に戻った。トルーが消えた劇場は音を取り戻し、派手な爆発音や銃撃音が響いて観客を楽しませていた。そしてもちろん……たか子の命の鼓動であるチェーンソーの音も。
***
「トルーさん、さっきなにを言いかけてたんです?」
(ネットリテラシーたか子はどうせ穏やかに映画を見れないだろう、と言いたかったのですよ)
「はあ。なんでですか?」
(あなたも脳が平和ですねえ。見てなさい。向かいの映画館を。すぐにエラいことになりますから……)
「ええ?」
ほどなくして雪崩のようにスクリーンから人々が飛び出してきた。血相を変えて。中には血だらけだったり身体をズタズタに引き裂かれているものもいる! 地獄だ!
「ありゃ~~……もしかしてあれはたか子さんが……」
(映画館ではお静かに、が最低限のマナーだというのにしょうがないロボですねえ)
「そうだよなあ。チェーンソーうるさいよなあ……」
(これであの映画館のスタッフは全滅ですね。また使えなくなった映画館が増えてしまいますねえ)
「しかしたか子さんもかわいそうだなあ……。身体の都合ですもんね」
(まあ、サイボーグ視点から見るとそうでしょうねえ。気の毒ではありますねえ)
「それを言うならトルーさん、人類視点ならアレ、助けなくていいんですか? N.A.I.L.は人類を助ける組織でしょう?」
(う~ん痛いところをつきますねえ。でもやりません)
「なんでですか?」
(今日は日曜日ですからね。日曜日は仕事しないのがN.A.I.L.です)
「なるほど。じゃあ仕方ないですね」
劇場のすべてを破壊し、血に塗れたネットリテラシーたか子が路上に現れる。
「人類……やはり……ネットリテラシーが低いッッ!!!」
ファンネルが殺戮の光線を周囲に撒き散らす。また日曜日に働いてしまった。こんなことでは部下に示しがつかないなあ……。ネットリテラシーたか子は少し後悔しつつ、とはいえ途中でやめるわけにもいかず映画館周辺の人類を切り刻むのであった。
***