マシーナリーとも子ALPHA 〜研ぎ澄ます刃〜
2045年の茨城県は、人類による愚行の繰り返しとシンギュラリティの侵攻によって文明レベルが江戸時代の水準まで後退していた。
アスファルトによって舗装された道路は砕かれ、電気と水道は通っておらず、中継局も壊滅したため電波によるネットワークすら通らない。
人類から見放された地、茨城県に残っているのは松の木やアンコウ、納豆と、文明を手放した世捨て人のような者たちが少し、あとはカマドウマくらいであった。
そんな茨城県のかつての中枢都市、水戸にその茶屋はあった。茅葺屋根のその店は、いまにも重力に押しつぶされそうな頼りない佇まいであったが、将軍徳川綱吉の時代から続く老舗であり、かつては旅人たちに茶や軽食を振る舞い、彼らの胃と心をもてなしていた。
しかし茨城県の荒廃に伴って客足は途絶え、いまは近所のゴロツキやたまに訪れる帰る家の無い風来坊に安い食事を提供することで糊口をしのいでいた。
今日の客は後者だった。ロクに洗濯もアイロンがけもされてなさそうな着流しは薄汚れてシワシワ、髪の毛も相当洗ってないのかボサボサで脂がち、フケも溜まっていた(茨城では珍しくないことである)。目は半開きで虚ろ、無精ひげを生やし、今にも鼻緒が切れそうな錆びた鉄下駄を履いたその男は、いかにも浮浪者という雰囲気であったがどこか不思議な迫力をその身にまとわせていた。なにより目を引いたのは腰に1本の刀を帯びていることだった。
「ご馳走さま」
注文したサンマ飯をかきこみ終えた男は箸を揃えて丼の上に置き、手のひらを合わせて会釈した。
「どうも、360円ね。……お客さん、旅の人かい?」
「ウン……。新潟から歩いてきた」
「そりゃずいぶん長旅だね。どこ目指してんだい?」
「場所目当てってわけじゃないんだが、ひとまず池袋に行ってみようと思ってる」
男は懐から折れ曲がった煙草を出して咥え、ライターを出したが、すぐに何かに気づいた顔をしてしまった。
「油が切れてるんだったワ」
「マッチ使うかい?」
店主が店の名前が入ったブックマッチを投げ渡す。
「いまどき珍しいな」
男は軸をつけたままマッチに火を灯す。
「茨城県にまだマッチなんてあったのか」
「昭和の時分に爺さんがしこたま作ったのがまだ余っててな」
「ところで……蓮覚寺って知らねえか?」
「レンカクジ……? お寺かい?」
「氏名だ。そいつが旅の目的なんだ」
「悪いが知らないね……。親の仇かなんかかい?」
「いや、頼みてえことがあるのさ……。食い終わったのにグダグダ聞いてすまねえな。そいじゃな」
「池袋……あそこはサイボーグだらけだぜ。気をつけな」
男は灰皿で煙草をもみ消しながら立ち上がった。
「サイボーグに用があるのさ」
***
「あれ?」
アークドライブ田辺は棚を検めて見覚えのない袋のお茶が入ってることに気づいた。いつも買ってるものより袋の手触りも良く、印刷も凝っている。
「なんか高そうなお茶が入ってる……。マシーナリーとも子、何か知ってる?」
「知らねぇー。誰かが自分で買って入れといてるだけじゃねーの?」
「私よ」
声とチェーソンーの音に振り向くと、そこに立っていたのはネットリテラシーたか子だった。
「ちょっと今日ロボを呼んであるのよ。多少でも歓迎ムードを出そうと思ってね」
「流石たか子さんはネットリテラシーが高いなあ……。誰なんです?」
***
「ドォリャアー!」
「グギャーっ!」
池袋の路上では狂気の「百人組手」が行われていた。これは地上最強の格闘技の使い手、柔道家が定期的に行うもので、サイボーグを倒すための技術を養うため、市井の人々に次々と柔道技を仕掛けるという恐ろしい訓練であった。無論、ただの生身の人間が柔道技を仕掛けられたら命はない。
そんな狼藉が許されるのか、警察がいるんじゃないのか、と思われるかもしれない。だが警察ですら柔道家にはまったく歯が立たないのだ! なにせピストルから放たれた弾すら投げ返してしまう集団である。彼らの前に法律はなく、ただ柔の道が伸びているだけなのだ!
「ドォリャアーッ!」
「いやーっ!」
危ない! 偶然通りがかっていた女子高生に柔道家が摑みかかる! 恐るべき男女平等投げによっていたいけな女子高生が空中で上下逆さまになる!
「死にたくないーっ!」
「セイリャーッ!」
女子高生の頭が地面に叩きつけられ砕き割られようかと思われたその時! すばやく何者かが猛烈なダッシュで割り込み、投げられた女子高生をキャッチしながら飛びすさった!
「ナニィー!? 誰だ! 私たちの神聖な百人組手を邪魔する輩はーッ!?」
「柔道家ってのはずいぶん見境のない奴らなんだな」
女子高生を抱きかかえているのは……汚れた着流しにボサボサ頭、無精髭の帯刀した男!
「あ、あの……ありがとうございます」
「離れてな」
「ウヌーッ! 貴様……剣道家か!?」
「だったらどうする」
「投げ殺す! 剣道3倍段を知らんのか! 柔道は剣道の3倍強い! つまり貴様が3人揃ってもこの俺には敵わぬのヨォーッ!」
野生の柔道家が恐るべき速さのすり足で男に接近する! 一瞬で投げ間合いだ! 危ない!
男は冷静に鞘を腰紐から抜いた……。そう、刀を抜いたのではない、鞘に収まったまま腰から取り出したのだ! なぜ!?
「抜かぬのかーっ! 舐めプして死ね! 剣道家!」
「キェーッ!」
柔道家の額が割れ、地面に倒れた。
男は鞘に収めたままの刀を霞の構えで持って残心していた。その鞘は赤く染まっている。柔道家の血だ!
「……これで終わりか?」
「グヌーッ!」
周囲に10名ほどで輪を作っていた柔道家たちが後ずさる。恐るべき技の冴えだ。
「そこまで!」
鋭い声が響き、輪を押しのけて外から丸メガネの柔道家が歩み寄ってきた。
「剣道家よ、そこまでにしていただきたい。あなたの強さは充分にわかった」
「でもサメヂさん! 柔道は剣道ごときに負けません!」
「うるさい!!!! セリャーッ!」
「グギャーーーーーーーっ!!!!!!」
サメヂと呼ばれた丸メガネが掴みかかってきた柔道家にアルゼンチンバックブリーカーをかける! 一瞬で身体を真っ二つにへし折る柔道の殺人技だ!
「……どうかこの場は刃を収めていただきたい」
「抜いてねえがな」
男はニヤッと笑いながら鞘に入ったままの刀を持ち上げた。
「ひとつお聞きしたい。その刀はなにか理由があって封じているのですかな」
サメヂの質問に男は少し考えてみせた後、すらりと抜いてみせた。刃先はボロボロで、ところどころサビも見えていた。
「抜いてもしょうがねえのさ」
「なるほど……」
「ところでアンタ、柔道家というなら蓮覚寺を知らないか? そういう名前のサイボーグを探してるんだ」
「さあ……聞いたことがないですね。少なくともふだん池袋をうろついているサイボーグではないと思いますが……」
「そうか……」
男は心なしか落胆した様子で煙草をくわえ、柔道の輪から出た。
「かわいい子を投げるのはもうやめなよ」
「承知しましょう。あなたの剣の腕に敬意を表して。オイ! お前ら!」
「はい!」
「野郎だけ投げ殺すぞ! ソレッ!」
「うおおオーーッ!!!」
「グギャーッ! なんで!?!?!?」
狂気の百人組手が再開された……。ただし、男だけを狙って!
***
「いやー、たか子……アンタだいぶ酷使してたわねえ」
「ア"ア"ァ"〜〜〜〜……」
ネットリテラシーたか子が恍惚とした表情でうめき声をあげる。マシーナリーとも子とアークドライブ田辺はそれを怪訝な目で見つめていた。
「アレ、なにやってんです?」
「チェーンソーの刃の目立てをしてもらうのが気持ちいいんだと」
たか子が買ってきていたとらやの羊羹を口に運ぶ。うまい。ふだんこんな茶菓子は出ないのに。
「気持ちいい……? チェーンソーに触覚あるんですか? マシーナリーとも子もマニ車に感覚、あります?」
「いや別に……あいつが変なんだろ」
「ア"ア"ア"ア"」
「よしこれで……終わりっと」
たか子の横で屈んでいたサイボーグが立ち上がる。両肘には回転式の砥石が回り、大きく広がった両の袖からはチェーンソー用の目立てヤスリがアームで伸びていた。あの袖には他にも包丁用の砥石だのなんだのが入っているらしい。両肩の後ろからは箱型のロケットランチャーのような形をしたナイフケースが取り付けられ、無数の刃物が収納されている。世界中を渡り歩いては、ネットリテラシーたか子のような刃物が武器のサイボーグをメンテナンスする……。それが彼女、レヴェリーソード蓮覚寺であった。
「うう……。あ"ぁ"〜〜サッパリした。やはり定期的にあなたに目立ててもらわないとダメね、蓮覚寺」
「ちゃんとメンテしてる? 人間の脂だらけだったわよ」
「ここのところよく斬ってたせいかしら……。それよりこれから食事でもどう? ごちそうしますよ」
***
「ウワァーッ!!!!」
「グギャァーーーーッ!!!!」
「いい天気ねえ」
ネットリテラシーたか子の言葉とは裏腹に、池袋には雨が降っていた……。そう、血の雨がである!
チェーンソーをピカピカに目立てして上機嫌のネットリテラシーたか子は目当ての店までの道すがら、見かけた人類をチェーンソーで両断していたのである!
「あれは! サイボーグ!」
そう大きな声をあげたのは先程百人組手を終わらせた柔道家のひとりだ! 彼は温まった身体に満ち満ちたエネルギーをいざ発散させんと、大きく両手を広げてネットリテラシーたか子に向けて駆け出した!
「死ねーっサイボーグ! 投げられて死ねーっ!」
「フン」
「アグアアーーーーッ!!!」
チュン、と軽い音がしたかと思うと柔道家はふたつの物体と化して吹っ飛んだ!
「ウーン、いい切れ味ね……」
「こらこら、はしゃぐなはしゃぐなたか子。私の目立てがよくてうれしいのはわかるけどさ」
人類最強種、柔道家ですらネットリテラシーたか子の前では常人と何ら変わらぬタンパク質の塊に過ぎないのだ。もはやサイボーグを止められる人類はいないのか?そのときである!
「待たれィ!!!!!」
すさまじい覇気とともに大音量で後ろから呼び止められ、たか子と蓮覚寺は思わず振り向いた。そこに立っていたのはボサボサ頭に無精髭、薄汚れた着流し、そして腰に帯刀した男だった。
男は少し身体を震えさせ、蓮覚寺を睨みつけていた。ネットリテラシーたか子はその男の所作を奇妙に思った。男は震えているが、その目に恐怖は見えなかった。むしろ喜びに満ちているような……そんな機微を感じた彼女はすぐに斬りかかることはせず、警戒して構えた。
「……なんです、あなたは」
「アンタには用はない」
男は話しかけてきたたか子には一瞥もせず、蓮覚寺をにらみ続けていた。男は目を閉じて深く深呼吸をし、腰の刀に手を当てると口を開いた。
「そちらの方、レヴェリーソード蓮覚寺殿と見受ける……」
「そうだけど……アンタは?」
「俺の名などどうでもいい。ただ俺は……アンタをずっと探していた」
男がスラリと鞘から刀を抜く。
ネットリテラシーたか子は飛びかかりかけたが前に出た蓮覚寺がそれを静止しながらアゴで男の刀を指した。
「……あの刀、錆びている……?」
男は刀を横に倒し、刀身に左手を添えて水平にする。腰を落とし、頭を下げて捧げるようなポーズを取ると声を絞り出した。
「アンタに、この刀を研いでもらいてえ。神業を持つという、アンタに……」
蓮覚寺はしばらく男と刀を見比べた後、男に歩み寄った。
「ちょっと、蓮覚寺……! ……研ぐつもりなの?」
「研ぐよ」
「なぜ? 縁もゆかりもない、それも人類ですよ。なぜ研ぐのです」
蓮覚寺は歩みを止め、少し言いよどむようなしぐさを見せた。
しかしすぐに笑みを浮かべ、答えた。
「楽しいからよ」
「楽しい……刃物を研ぐことがですか」
「そうよ。それが人類相手だろうとサイボーグ相手だろうと関係ない。しかも刀よ。なかなか研げるものではないわ。わからない? たか子」
「わかりません。……感情が無いから」
蓮覚寺は男から刀を受け取り、肘の砥石で研ぎ始めた。
男は食い入るようにその様子を見ていた。
***
「……できたわ」
小一時間ほど経ったころであろうか。蓮覚寺が刀を持って立った。
「おお……」
男は思わず感嘆の声を漏らした。錆びついてボロボロだった刀が、太陽の光を浴びて妖しく虹色に輝いている。
男は蓮覚寺から刀を受け取るとまじまじとその刀身を見つめた。
刃を上に向け、懐紙を落とす。
懐紙は引っかかることなくふたつに切れて地面に落ちた。妖艶さを感じるほどの切れ味だった。
「感謝する。心から。」
男は頭を下げる。
「一度この刀を、キチンとしてやりてえと思っていたんだ。だがもはや人間業ではこの刀を研ぎ直すことは不可能だった。それほどまでにこいつはくたびれていたんだ」
「わかるよ。私も久々に重たい仕事したって感じがしたよ。いい刀だね」
「ああ……。ようやく、こいつに仕事をさせられる」
男は刀を持ったまま、霞の構えを取った。
「ついでだ」
男は蓮覚寺に向けて駆け出す。
「切られてくれ」
「セイッ!」
「ンギャァーーーッ!」
男の顔面に蓮覚寺の肘の回転式砥石がめりこむ! 男は砥石で顔面を剥ぎ取られながら衝撃で500m吹っ飛んだ!
「ウリャリャリャリャリャ!!!」
「アギャーーーッ!!!」
蓮覚寺は間髪入れず背中のナイフケースから無数のナイフや包丁、サイ、フォーク、ゼスターグレーターなどを取り出しては投げ男に投擲していく! 数え切れないほどの刃物に全身を穿たれた男はすでに人間の姿を認められず剣山のような姿になって死亡!
「終わったぁ~~?」
近くのベンチに座ってウトウトしていたネットリテラシーたか子が男が死んだのに気がついて声を上げた。
「終わった終わった。おまたせしたね。ラーメン食べにいこ」
蓮覚寺は無数の刃物をていねいに男から抜いてナイフケースにしまうと、最後に男が手だったものに握っていた研ぎたての刀を手にした。いい刀だ。
蓮覚寺は自らの仕事の仕上がりに満足してうんうんと頷くと刀をナイフケースに収めた。どんなときでもいい仕事をしたあとの飯はうまい。これから向かうたか子オススメのラーメン屋も楽しみだ。
蓮覚寺は舌なめずりをしながらたか子の背中を押し、ラーメン屋へ急がせた。
***