マシーナリーとも子ALPHA 〜磨く味噌篇〜
不毛の地、南極。そのとある地点に奇妙な山脈があった。地上からは見えないが広大な古代都市が広がっている、謎深い山脈である。南極には遥か古代から、有史以前より脈絡と続く文明が隠されていたのである。無論、ほとんどの人類はそのことを知らない。時折、探検家が迷い込むこともあったが彼らは例外なく狂い死んだ……。その文明の住民によって!
だが、おお、どうしたことだろう! いまその山脈を登るロープウェイに乗り込んだ者たちがいる! その数、10人ほどはいようかという大所帯である。見れば中の人間たちはなにやらカメラやマイク、照明といった機材を持ち込んでいた……撮影スタッフなのだ! 一体なぜ? どうして? 隠された文明が見つかってしまったのだろうか?
「しかし……こんなところにロープウェイがあるなんて、奇妙だ」
「そうか? むしろあの会社があるっていう証明だと思うがね。こういう搬入するための設備がないと経営するのはムリだろう」
「いよいよもってあの会社に取材できるわけか……我々が」
内部の人間たちはこの寒さにも関わらずじんわりと汗をかいていた。誰もが期待に胸を膨らませているのだ。自分たちが歴史の生き証人になれるという期待に! その対象は隠された南極古代文明だろうか? 残念ながらそれは違う。彼らの目的はもうすこし属人的であった。
ロープウェイが終点に到着し、扉が開く。
「お待ちしておりました……」
ロープウェイ発着場に待っていたのは女! 紫色の長い髪を持ち、にらみつけるような強い視線で取材班を見つめる。南極にまったく似つかわしくない和装に身を包んでいるが口元は首に巻かれたストールで見えない。和装の袖は奇妙に長く、膝ほどまで伸びて腕を隠していた。だがなにより奇妙なのは頭に矢が刺さっていることだった。取材班はその異様にゴクリと喉を鳴らしたが、聞くのも失礼かと思い黙っていた。そういう民族衣装かもしれない!
「あ……よろしくお願いします。テレビレイクの狭山です」
「社長の寺師たか子です。ようこそ企鵝(きが)味噌へ。歓迎いたしますわ」
取材班たちは女社長に導かれ歩んでいく……秘密の古代文明都市へ! 聡明な票田の方々にはもうおわかりだろう。この女社長の正体を! 紫色の髪、するどい目、頭に刺さった矢! 彼女こそシンギュラリティ最強のサイボーグ、ネットリテラシーたか子だ!
ではなぜネットリテラシーたか子がこんなところでこんな格好をしているのだろうか? それは遡ること数日前のこと……。
***
「南極ぅ~?」
マシーナリーとも子は眉をハの字にして怪訝な顔をする。
「そう……。以前2045年にいたときに行ったことがあるでしょう。旧支配者のクルールゥ達が助けを求めに来たのです」
「どうぶつシールのときのか……」
「シンギュラリティと旧支配者は困ったときに助け合うという同盟関係。私は行きますがもう1体ロボ手がほしいわ」
「私は嫌だなぁ~。南極、電波弱いしよ……。澤村お前行けよ。どうぶつシール好きだろ」
「行きてぇ~! でもどうぶつシールいま作ってんのかよ。25年後の話だろ?」
「作ってませんよ。そもそもラブクラフトがまだ復活してませんからね。まあシロクマと写真撮るくらいならできるんじゃない?」
「まあそれでもいいか。それで何を殺せばいいんだぁ~?」
「いや、今回は殺しじゃないのよ……。ちょっと演技力をね、求められるというか……」
「演技力ぅ?」
***
「ここが……我社自慢の熟成室です」
「おぉ……これは本当に!」
「正直この目で見るまで信じられなかった……」
撮影班が感嘆の声を漏らす! そこに広がっている奇妙な光景……味噌が詰められた桶を、ペンギンたちが磨いている! ペンギンたちはそのフリッパーで器用に布巾を持ち、味噌桶をキュッキュと擦っているのだ!
「ああすることで味噌の熟成が好ましくなって美味しくなるのです」
「な、なんでですか?」
「なんでかしら……」
「えっ?」
「あっ、い、いやその……桶の……分子がですね、震えまして、微細な化学変化をもたらすと言われています。多分」
「へぇ~! だから企鵝味噌の味噌はおいしくて大ヒットしてるんですねえ」
「でもなぜわざわざペンギンが?」
「知るかボケ」
「えっ?」
「あっ、い、いやその……澤村~!」
「あい」
呼ばれて出てきたのはツナギと帽子、軍手をはめた少女だ。ただし前腕から先が異様なほどに大きいことが取材班を不安にさせた。
「おらー! 働けーい!」
「ペ……ペッ……」
澤村がムチを床に打ち付けるとペンギンたちがより一層忙しなく味噌桶を磨きはじめる!
「このようにペンギンはうまく調教できるんですよ」
「いやそうじゃなくて……なんでわざわざペンギンを使うのかってことなんですけど」
「南極ですから」
「いや人間を使えばよくないですか?」
「えっとそれは……ペンギンにやらせることで味噌にいい化学変化が……」
「衛生的には大丈夫なんですか?」
「味噌だから平気です」
***
「味噌屋の変装ォ?」
ショゴスが変身したプテラノドンの背中の上で澤村は大声をあげた。
「そう。いまクルールゥたちが作った味噌が人類のあいだで大人気なのよ」
「マジ? なにやってんだよあいつら」
「田辺の店でも扱ってるらしいわよ」
「え~!」
「クルールゥたちの味噌……企鵝味噌を使った味噌汁を出していると掲げるとそれだけでお客がすごく来るらしいのです。それくらい美味しいということね。もっとも田辺は私から聞かされるまでクルールゥたちが作っているとは知らなかったようですが」
「それで何をすればいいんだよぉ」
「それは彼らの口から聞きましょう……ついたわよ」
眼科でペンギンたちとショゴスの群れがたか子たちを歓迎する……この地球をかつてエジプト神と二分していた勢力、旧支配者たちだ!
「お久しぶりですネットリテラシーたか子。それに……ジャストディフェンス澤村」
「えっ、なんで私のこともう知ってんだよ」
「彼ら旧支配者に時間の流れは関係ないのよ。過去も現在も未来も等しく見えているの」
「なんだそりゃ」
「もっとも、最近は未来がよく見えなくなってきましたけどね……。ネットリテラシーたか子、なにか知りませんか?」
「ああ、迷惑かけて悪いけどそれは半分くらいこっちの事情よ。連続体がね……。まあそれはいいでしょう。まずは企鵝味噌の大人気をお祝いするべき?」
「いやあお陰様でねえ。最初は完全に趣味で、試しに売ってみただけなんですけどね。インターネット通販サイト作ってみたら……これがもう、コレですよ」
クルールゥはフリッパーを大きく輪を描くように外に広げた。
「最初はね、いつもどおり怖がらせてやろうと思ったんですよ。この味噌はペンギンが桶を磨いて作っていますってね。それがミガキペンギン印の企鵝味噌のはじまり。インスマスの信者に絵がうまいやつがいたからね、そいつにロゴマーク描かせてね、写真も撮ってWebサイトに載せたらね、ウケちゃってねえ」
「これは本当に言いづらいのだけれど、なんだかんだで人類を恐怖させる才能はやっぱりラブクラフトのほうがあったと思いますよ。人類の基準で言うとあなた方の姿は……やはり愛嬌があります」
「まあ今はその話はいいですよ。で、人気が出るのはよかった。売れるのはよかった。でも困ったのは人類が取材に来るってんだよね」
クルールゥはたか子と澤村を熟成室に連れていき、味噌が詰まった桶をフリッパーでキュッキュと磨いてみせた。するとかすかに「テケ・リ・リ……」と音が聞こえ、桶が震えた。
「えっ? まさかこの味噌桶……」
「そう、ショゴスなんですよ。こうやって撫でてやるとね、ショゴスが喜んで震えて味噌にいい”変化”与えてくれるんですよ。これがウチの味噌のおいしさのひみつ」
「美味しいわけだわ……。ほかの味噌が大豆の発酵で勝負してるのにアンタのところだけ星と龍脈の力入ってるじゃない。フェアとは言えないわね」
「その分価格は高くしてるんですよ? 数もあまり作れないしね。でも売れる」
「それでアタシら何すりゃいいんだよ」
「私たちはふだんどおり振る舞うので、人間のふりをして取材班の応対をしてほしいんですよ」
「なぜ? あなた方がショゴスを身にまとって変身すれば良いではないですか」
「私たち、人間の顔の区別があんまりつかないんですよね。ショゴスにやらせてもそれっぽくならないんです」
試しに手近なショゴスがクルールゥの顔に張り付いて変身してみせたが……その顔面はまるでローポリゴンのCGモデルのようにおぼろげだった。
「確かにそれっぽくないわね」
「でしょう? 人類に近い造形ということならばあなた達シンギュラリティのサイボーグのほうが良いです。それに知能指数も高いしね。ウチの信者どもはほら、形保ってても狂ってるから」
***
「まあそういうわけで、ウチはペンギンにやらせることでこの味が出せてお客様から支持されてるわけですね」
「働けーっ!」
澤村がパァン! と鞭で床を叩く!
「ぺ……」
ペンギンたちが慌てて味噌桶を磨く! もちろんこれはすべて演技だ。ペンギンたちはすべて旧支配者だし、彼らが鞭如きで恐れるわけもない。
「もう一度お伺いしたいのですが衛生的に問題はないのですか?」
「……無いですよ? あなたもしつこいですね」
「いえ失礼。ですがペンギンが雑菌だらけというのはこの現代社会、誰もが気になるはずです。施設内に猫や犬を入れる食品工場があるでしょうか?」
「おいたか子! こいつらケンカ売ってんのかぁ〜?」
「澤村、抑えて。……我が社の取材に来てくれるというお話でしたよね?」
「ええ、取材ですよ。ただし必ずしもいいところばかり取材するとは限りませんよね? 大ヒット味噌のメーカーが、問題山積みの生産体制だったとしたらどうでしょう?」
「なんだとぉー!」
「あなたも問題だ……。ペンギンを脅して仕事させるのは動物虐待では?」
「こいつぁ調教だぜーっ!」
「貴様ら……!」
たか子の堪忍袋の尾が切れた! 袖に隠したチェーンソーを閃かせようとしたそのとき!
「待ってください」
「!? クルールゥ!?」
たか子の前に旧支配者の長が立つ! どよめく取材班!
「ペンギンが喋った!?」
「図に載りましたね人間……。所詮下等な原生生物に過ぎぬというのにその傲慢な態度、見るに耐えません」
「なんだこいつ!?」
「ペンギンのくせに偉そうだぞ!」
「ぐぬぬ……どれだけ我々の存在は貶められているのですかネットリテラシーたか子!」
「貶められてるっていうか、あなた達の存在は人類にとってただかわいいだけなんですよね……」
「ますます許せん……!! 狂い死ぬがいい、愚かな人類どもっ!!」
「うわぁっ……!」
襲い掛かられる予感に取材班が慄いて身を引く! そのときクルールゥは…………フリッパーをいっぱいに頭上に上げ、爪先立ちでつんのめるような体制を取っていた! 威嚇の姿勢だ!
「…………! …………!」
「……え?」
取材班は呆気に取られる! 襲い掛かられるかと思ったら……かわいいだけ!
「むむっ、なんだこいつら……恐怖耐性が強いのか!? ええーいハストゥール! お前がやれ!」
「ヒヒヒヒ……いいのかよぉクルールゥ。俺がやっちゃってよぉ」
ハストゥールと呼ばれてヨチヨチと進み出てきたのは白目がハッキリとしたアデリーペンギンだ!
「うるさい! 恐怖にもタイプがあるのです。お前やってみなさい」
「いひひひひ行くぜ人間〜!!」
ハストゥールはくわと目を見開いたかと思うと……フリッパーを頭上に目一杯掲げ爪先立ちになる! 威嚇のポーズだ!
「……! ……!」
「え……な、なんなんだ……」
「ペンギンがかわいい!」
取材班の一人が耐えられずにハストゥールをひしと抱きしめる!
「うわァーっ! なんだこの人間!」
「ペンギンがかわいい!!」
「いいぞハストゥール! 人間が恐怖のあまり発狂したァー!」
「怖がってるわけじゃ無いと思うけど……えぇーいまどろっこしい!」
ズバンとネットリテラシーたか子の和装の背中が破れ、勢いよくファンネルラックがせり出した!
「やれっ!!」
「はい」
ファンネル5基が一斉射出! ファンネル達は取材班を星のように囲み……お互いに向かってビームを放った! ビームは互いに反射し合って繋がり、描く……星形のエネルギー帯を!
「「「ウギャーッッ!!!」」」
高熱のビームの奔流に包まれた取材班が悲鳴を上げる!!
「ウギャーッッ!!!」
それを見つめたハストゥールが泡を吹いてひっくり返る!
「あ!? なんであんたもひっくり返ってるの!?」
「ネットリテラシーたか子……! その撃ち方やめて! それ……それエルダーサインだから! ハストゥールそれ苦手だから!」
「ウギャーッッ! 旧神! ウギャーッ!」
***
プテラノドンの背中にたくさんの味噌を積み上げる。一見危なげないが、そこはショゴスの便利なところ。プテラノドンの背中がゼリー状に変形し味噌を包み込みガッチリと固定した。
「じゃ……ありがたくもらってくわよ。ミガキペンギン味噌50個」
「なあに安いものです。おふたりにはご迷惑お掛けしましたからね……。腹立たしいのは人間だ! まったく! 下手に出てればあの態度! 怖がらないし!」
「あ! そうだ私シロクマと写真撮りて〜んだけど! 味噌なんかどうでもいいからさー」
「なんだそんなことですか。ほれ」
クルールゥがパンパンとフリッパーを叩くと手近なショゴスがシロクマへと姿を変える。
「シロクマだー!」
ジャフトディフェンス澤村がシロクマに突っ込む!
「やらやれ……。味噌は賞味期限長いんだったわね」
「まあ、食べ切れないでしょうからお裾分けしてあげてください。この時代にはあまりサイボーグはいないでしょうが」
「フン……田辺の店にでも持っていってトルーをからかってやりましょうかね。じゃあクルールゥ、息災でね。また何かあったら呼んで頂戴」
「そちらこそいつでも呼んでください。ここのところ助けられっぱなしですからね」
「時系列がおかしいけど……ま、わかったわ。澤村! いつまで写真撮ってるんだ早く来い」
「ゥアーイ」
プテラノドンが飛び立つ。ネットリテラシーたか子の鼻腔をぷんと味噌の香ばしい香りがくすぐった。古代都市が遠ざかり……。やぐらの上に据えられた看板がたか子と澤村を見送った。
「ほんと、凝り性なのね……立派なもんだわ」
***