マシーナリーとも子ALPHA ~金字塔と探偵篇~
ギザのピラミッドはエジプトを代表する建築物だ。ピラミッドを護るように配されたスフィンクスと合わせ、国のアイコンとして一大観光地となっている。
またその荘厳な雰囲気とは裏腹に観光スポットとして一般的になりすぎたため、すぐ近くにフライドチキン屋があるというのも有名な話だ。その距離およそ100メートル。スフィンクスと見つめ合いながらフライドチキンを頬張ることも可能だと言う。
そんなピラミッドからほど近い、飲食店が集まったカイロの一角。フードトラックに簡単なテーブルと椅子を添えた、気取らないコシャリ屋が商売をしていた。いつもは観光客や地元民で賑わうその店に、今日は奇妙な集団が居座り、周囲に異様な瘴気を漂わせていた。
彼らは男女が入り混じった6人組で、時折怯えるようにキョロキョロと周りを見回したかと思うと、急激に落ち着き払ってパイプを吹かし始める。その合間合間に思い出したようにコシャリを貪る。
そして何よりも奇妙なのは、太陽からの熱光線が飛び交うこの快晴のカイロの屋外で、全員が厚いインバネスコートを纏っていることだった。
***
「あまりキョロキョロしないことだ。ツバメ」
集団の中で一際大柄な男が、向かいの挙動不審な女性に声をかける。
「ハ……!すみません、ミスターライナス」
声をかけられた女性……名をツバメと言う……はハッとして正面を向きなおすと、パイプをひと吹かししてコシャリを食べ始めた。ツバメは大柄なライナスと比べるとその身丈は半分ほどしかない。もし周りの4人のインバネスコート集団がいなければ親子に見間違えられたに違いなかった。
「……現状を確認しましょうか」
ライナスの右隣に座った妙齢の婦人、ミセスルーシーが口を開く。
「昨晩、バイオレットから連絡が来ました。ミラノ空港に向かう途中のバスでシンギュラリティのサイボーグに襲われ"トーワチキ"のメンバーは彼女を除く全員が死亡。彼女も腹を貫かれ、今際の際でこの報せを送ってくれました」
「……これで残ったパスティーシュは我々"シャドウゲーム"のみというわけか」
ライナスの左隣に座る青年、シュローダーが憂鬱そうにパイプを吹かす。
「まさかエジプトに辿り着くことができたシャーロキアンが我々だけとはな……」
食事を終えたライナスはスフィンクスを睨みつけながらナプキンで口を拭いた。
彼らはイギリスが誇る人類最強クラスの戦闘力と推理力を合わせ持つ集団「シャーロキアン」。シャーロック・ホームズが創造した凄まじい破壊力を持つ格闘技・バリツを操り、その強さは日本の柔道家に勝るとも劣らない、いや、推理能力があるだけちょっぴりだけ強いかもしれないと言われているほどの恐るべき推理グループである。
そんな彼らは、当然のごとくシンギュラリティから優先排除目標として付け狙われ、シャーロック・ホームズは禁止。僅かに残ったシャーロキアンはピラミッドパワーに一縷の望みを賭けてこのエジプトを目指したのである。
「なんにせよピラミッドパワーが手に入ればサイボーグに対抗できるはずだ。人数の不利など吹き飛ばせるさ」
一行のリーダーであるライナスがわざとらしく気楽そうに言う。最年少であるツバメは、そんなライナスの言葉を聞いても胸を雨雲のように包み込んだ、どんよりした気持ちが晴れないことに更なる不安を覚えた。
「でも……本当にあるのでしょうか、ピラミッドパワーなんて」
「!!」
ツバメは、誰もが心のどこかで思いつつ口に出さなかった言葉をこぼした。その場にいた誰もがブワッと冷や汗をかき、ミセスルーシーはスプーンを地面に落とした。
「ほかの対サイボーグ組織に協力を求めてみては?例えばN.A.I.L.とか……。どうぶつの力を使ってもう30年近くサイボーグと戦い続けてるとか。彼らは確かアフリカ大陸にもいるはずです」
「……大丈夫よツバメ。ピラミッドパワーの実在は、シャーロキアン全員による推理によって導き出されているのよ」
ミセスルーシーは不安そうにコシャリに視線を落とすツバメの両手を、やさしく自分の手で包んだ。
「汝バリツと共にあれ」
ミセスルーシーがシャーロキアンの祝詞を唱える。
「……汝バリツと共にあれ」
ツバメは追って祝詞を唱える。胸の中に滝に落下するホームズとモリアーティのイメージが浮かぶ。この祝詞を唱えると勇気が湧いてくる。
「……そうですよね。きっと……大丈夫ですね」
ツバメが平静をとり戻して薄く笑みを浮かべたとき、100メートル先から彼らを見下ろしていたスフィンクスの顔面が爆裂した。
***
「ウワーッ! スフィンクスが爆発したーッッッ!」
吹き飛ばされたスフィンクスの顔面パーツが、ピラミッドを背景に自撮りをしていたエジプト地元民に直撃! 圧殺死!
「なんだーッ!?」
シャーロキアンたちがザッと立ち上がる! あたり一面はスフィンクスの爆発に伴う砂塵で視界が悪い! いったい何が起こったと言うのか!?
いや、よく目を凝らしてみよう。砂塵の中から、シャーロキアンたちに向かってくるふたつの人影がある! この大混乱の中落ち着いた様子でゆっくりと歩み寄ってくるこの人影は何者か?
いや……それは人影では無かった! 両者の背中からは凶悪な火器が伸び、向かって右の人影の腕は厳かに回転している! これは……マニ車だ! マニ車を備えた影はゆらりと左右に揺れ、名乗った!
「やはりエジプトか……いつ出発する? マシーナリーとも子よ」
ふたつの影はサイボーグだったのだ! シャーロキアンたちは身構える! バリツ戦闘態勢!
「ほかのシャーロキアンたちはここまで辿り着けずに死んだぜ……。お前らもすぐにそうなる。ダイイングメッセージは残させねー」
マシーナリーとも子がゆらりと両手を肩の高さまで上げる。サイボーグならではの胡乱なファイティングポーズだ!
「ひとり頭3人ですか……。まあ一本で大丈夫でしょう」
マシーナリーとも子の横に立つ少し背の低いサイボーグが懐からペールエールの缶を取り出し、カシュっと音を立てながら開栓する! アルコールが回ることで擬似徳を得るサイボーグ、昇華ソーウェルだ!
「クソーッ!」
ツバメが大股で踏み込み、地面を蹴ってソーウェルに突撃する! 空中で体を大きく捻ると、左腕を突き出して強烈なバリツコークスクリューを繰り出した!
3ヶ月前、まだランクMycroftに過ぎなかったツバメは、この必殺のコークスクリューでランクWatsonのシャーロキアンを3人撃破、異例のランクアップを認められたのだ!
「これで物的証拠になれーっ! サイボーグ!」
「ヒック……」
ソーウェルの胸を、ツバメのバリツコークスクリューが打ち抜いた! だが……手応えがない! コークスクリューがソーウェルの胸を突き抜けたのか!? いや違う、絶妙のタイミングでソーウェルが上半身を後ろにダラリと倒し、コークスクリューを回避したのだ!
「何ーっ!?」
「ヒック……」
ソーウェルは上体を逸らしたまま、目の前を通過していくツバメの腕を掴むと、逆向きに猛回転させる!
「ウギャーッ!」
「ヒック……対したことありませんね。バリツも」
ソーウェルは回転させたツバメを後ろに放り投げると、足元がおぼつかない様子でシャーロキアン達に向き直る!
「あれは……まさかサイバー酔拳!?」
ミセスルーシーが青ざめる! サイバー酔拳、それは酒を飲めば飲むほど反応速度と出力が向上するというサイボーグのみが使える伝説の魔技! しかも体内をアルコールが回ることで擬似徳を得ることができる昇華ソーウェルが扱えば、その徳の高さと強さは互いに循環しあって強さも二乗となるのだ!
「確かにバリツは最強クラスの格闘技です……。ただし、人類の間ではね」
ソーウェルは3分の1ほど残ったペールエールを飲み干すと、ベキリと潰して首の後ろに設けられたゴミ箱に放り投げた。地球のために戦うシンギュラリティのサイボーグは、空き缶をポイ捨てするような環境汚染はしないのだ!
「く、クソーッ!私はバリツと共にある!」
ミセスルーシーがステッキを構えてソーウェルに突撃する! だがソーウェルは付き合おうとせず、腕を組んだまま直立している。
「死ねーっ!」
ステッキを使ったバリツスラッシュ! だがこれもソーウェルはくねっと膝を折った妙な動きで回避! ステッキを大振りに振り切ってスキだらけのミセスルーシーの脇腹に強烈なサイボーグ回し蹴りを叩きつける!
「うごガァーッ!!」
ミセスルーシーは右肋骨のすべてが粉々になるのを感じながら地上50メートルまで吹っ飛ばされる!
「ホームズの遺物は一切、この地球上に残させません」
ソーウェルは天高く舞い上がるミセスルーシーに向き直ると両肩に配された円柱状のミサイルポッドを展開! 一基につき30発のミサイルが冒涜的な排気煙を発しながらミセスルーシーに殺到する! 60発のうち1発は先程飲み干したペールエールの空き缶だ! シンギュラリティの殺人的リサイクル!
爆裂。ミセスルーシーは粉微塵になってこの世から消滅した。
「ルーシーッ!」
「オイ、よそ見してる場合か」
慟哭するライナスに、すでに3人のシャーロキアンをアイアンクローで惨殺したマシーナリーとも子が声をかける。
「クソーッ!」
ライナスは怒りを力に変え、ホームズ筋が著しく発達した右足で地面を蹴る! 一流の名探偵のみが使える縮地踏破術、バリツステップだ!
だがマシーナリーとも子はとりあわず、冷酷に右肩のグレネードランチャーを発射した。
「グギャーッ!」
爆裂粉砕!シャーロキアン最後のマスター・ホームズはこの世から消滅した。
「うぐぐ……」
ソーウェルに放り投げられ脳震盪を起こしていたツバメが身を起こす。そこに広がっていたのはまさに死屍累々……。シャーロック・ホームズの小説でもこんな現場は見られまいというほど凄惨な、ジェノサイドの跡であった。
「あ……あ……みんな……」
「マシーナリーとも子、殺しすぎですよ。こういうときは半々じゃないんですか」
「うるせーっ。今回は私がリーダーなんだろ?ひとりくらい分けろや。それに……ほれ」
マシーナリーとも子の鋭い人差し指が、ツバメを指差した!
「まだ残ってる」
「おや……さきほど殺しそこねましたか」
「ク、クソーッ!!」
ツバメは目に涙を溜めながら大股で踏み込み、地面を蹴ってソーウェルに突撃する! 空中で体を大きく捻ると、左腕を突き出して強烈なバリツコークスクリューを繰り出した!
「みんなのカタキィーッ!」
「ヒック……」
ソーウェルの胸を、ツバメのバリツコークスクリューが打ち抜いた! だが……手応えがない! コークスクリューがソーウェルの胸を突き抜けたのか!? いや違う、絶妙のタイミングでソーウェルが上半身を後ろにダラリと倒し、コークスクリューを回避したのだ!
「何ーっ!?」
「ヒック……」
ソーウェルは上体を逸らしたまま、目の前を通過していくツバメの腕を掴むと、逆向きに猛回転させる!
「ウギャーッ!」
ソーウェルは回転させたままツバメを大きく後ろに投げ飛ばした!
「ウギャーッ!!」
もはやドリルやフードプロセッサーのごとく猛烈に回転していたツバメは投げ飛ばされたことによって推進力を発揮し、しばし高速で空中を舞った。
やがて回転の力は失われ、天から落下したツバメは、力なくナイル川に落下した……。
***
ナイル川に落ちたツバメはシャーロック・ホームズの夢を見ていた。モリアーティとともに滝壺に落下しながらも、バリツで乗り切ったあの場面の夢を……。
ツバメは無意識に、ホームズがそうしたようにバリツ呼吸を行った。酸素が失われた肺に、推理力が満ちる……。
***
(痛ッ……)
水中で気を失っていたツバメは、突如背中に硬いものがあたって目を覚ました。
振り返るとそこにいたのは、ワニの頭を持つ獣人であった。
***