歴史を学ぶにあたって-前編-
中学と高校の学びは基本的に同じようであるが、思考力や表現力の豊かさ、そして主体性ある学びという視点においては多少の変化がある。2022年度から始まる高等学校学習指導要領で科目再編があったことは、先日の投稿「高校の教科書は変わる!」を読んで頂ければいいので、省略する。今回は今年度から始まる中学校学習指導要領において、これまでは【歴史→政治→国際】という視点で学ぶことが【政治→歴史→国際】と変わるように教科書の中身が多少の変更点があるという。
そこで私はある大学の履修において、学習したまとめとしてレポート作成して提出することがある。そこで提出したレポートを修正、加筆した上で引用する。これらについて、ぜひ一人でも読んで理解して頂ければ一つの学びになるのであろう。と思っているのでお付き合いください。
テーマ①「歴史を教える際に注意すべきだと思うことを述べなさい。」
私が社会科教員として歴史という科目を取り扱うにあたって、最初は好きだからより興味を持ってもらうことを意識した授業づくりをしていた。そのために事実を述べるだけの教科書どおりで解釈するために『暗記科目としての歴史が再生産されていく』という(今回の受講で)聞いたことは、大きな刺激と考え直すきっかけになった。歴史学を学ぶことは、教員側が学問として学ぶのではなく、その意義を認識する必要性を高め、イデオロギーが先行する場合、答えが先行してしまうことの注意に気をつけなければならない心構えが大事だということが私には、まだまだとても足りなかったと痛感する。
ここで指している『暗記科目としての歴史』というのは、私のことではないが多くの児童生徒が社会科を大苦手としてしまうことが多いということである。理科と同じように語句などを覚えるだけであって、国語や英語のような語学のように日常生活の中で普段使われるような学びではない。また数学の場合は、計算する力が必要とするが社会科では同じように何かをする力ということはあまり身につくことが少ないというように非常に難しい科目である。
でも日本という国の中で生活している国民として、今までの背景を知ることや現状の社会的なようすをしっかり理解し把握したことで考える、向き合うという姿勢を作ることが必要としている。そのためには、歴史という学びがとても重要であり、歴史を知らないで政治に踏むというのは大変固いイメージなんだということが昔の教育的背景であった。しかし、そのような古い考えは、次のように改めて学ぶことで考えを見直すのである。
事前レポートの提出でも単に図書を多く読むことから、自分なりに整理して理解しようとしていたが、これはイデオロギーをよく客観的事実だと汲んでいることに問題があると思う。今後、教材研究をするにあたってはまず事実を積み上げていくことではなく、関係性をどのように考えるかということで、客観的諸事実の研究、考察を深め、それらを論理整合性、事実立脚性に気をつけて生徒にわかりやすく考えさせるように説明しなければと学ぶことができた。
これから始まる令和型教育としてとても大事なのは主体性で学ぶということがポイントとして大きく提唱されている。そのことから、教材研究をする上で意識しなければならないというのが、太字で記述した部分である。私は、そのうち論理整合性、事実立脚性というところがまだ苦手なところであり、たくさんの情報を整理して理解して分かりやすく指導するということが今後も求められると痛感する。
しかし、ベテランの先生はどうもこの点を高く評価することなく、いかに児童生徒が理解できるかどいう点において厳選された指導を求めるのである。そのため客観的評価というのは多様にあり、考えの相違があるわけだ。その相違点について大学教授の指摘する話は多く耳に入るが、文部科学省としてはこれを否定せず、教職員の指導法はそれぞれに正解はないんだという。いかに内容を統一するというのは難しいということで終わっている。
ただ私としては、歴史を学ぶにあたって一番大事なことなんだということを改めて学んだことを伝える。後編に続きたい。