言語圏とアクセス権の重要性を知る
当たり前のことだか、耳がきこえる人間は生まれながらにして第一言語はその国の言葉を自然環境の中で気付かないうちに脳の中に入っていく。こうして語彙の数を増やしていく同時に脳の発達でいろいろな考えを持つようになっていく。そして情報を得るためにその人の得られた言葉で発したり、受け止めようとしたりするアクセスという方法を磨いていく。
これが人間としての意思疎通の基本的な基盤であろう。しかし、私のように耳がきこえないということは、まず必ず欠けてしまうことがある。それは何か。
言葉をどのようにキャッチし、どのようにして発するのか。
この課題が出来ないとなるともちろん、生活上での制限も限られてくるわけである2次的障壁なことも自然に出てくるというのだ。この2次的障壁と私は、こう解釈しているがこのお話はまた次の投稿でもいずれ触れていく。
今回は、前述の課題を言語圏とアクセス権にちなんで考えてみた。それが第3回「手話は言語である」(https://youtu.be/3_R2ewKN1vk)の動画に込めた想いである。ぜひ視聴してもらえば、嬉しい限りである。
まず始めに、上農正剛先生が書いた論文から以下の内容を引用する。こういった奥深い話は、講演会などの機会に行く度に何度も聞くほどであるし、直接一緒に呑み語りながら熱く意見交換したりと私の学びに強い刺激を頂いたお方である。年に1度は、よくお世話になった20代の先生であると記しておく。
就学を迎える段階に一つの大きな岐路がある(図1参照)。インテグレーション(統合教育)を選択するか、聾学校に行くかという問題である。最近は手話の重要性に気づき、率先して聾学校を選択する親も一部いるが、それは先鋭的な極少数の親であって、ほとんどの親はインテグレーションを選択する。そこには幾つかの「当然な理由」がある。聴者の世界に参入するため音声言語の習得を目指した以上、小学校も聴者と同じ所に入学させたいという意識。言語訓練の努力をしてきた以上、声で話せる世界に進ませたいという願望。医療の専門家も自らの対応の成果としてインテグレーションを推奨する。(中略)
一方、聾学校を選択した聴覚障害児たちの言語獲得状況はどのようなものであったか。この近年、手話を導入する聾学校は増えたとは言え、その実態は授業をフルに手話で表現、伝達し、質疑応答もきちんとした手話で受け答え出来るような教師は少数で、教示の際、手話の単語が散発的に表出される程度の授業が多く、手話はほとんど出来ないという教員も決して少なくないというのが実情である。従って、授業の本体は口話法と呼ばれる音声言語を主にしたものであり、それ故、教師と生徒間のコミュニケーションがきちんと成立していない状況はインテグレーションと変わりない。当然、聴覚障害児生徒の日本語の理解能力は未成熟であり、教科学習に関しても低学力という問題は依然として解消されていない。
(上農正剛「聴覚障害児の言語獲得における多言語状況」2007年 論文より一部引用)
この図に示しているように、私の自己紹介②でもお話ししたように選択肢を考える経験は、同じ聴覚障がいを抱える人ならみんな同じだろう。結局、私の場合でいうと今が正解だったかどうかも分からない。でもコミュニケーション能力と学力を考えたら、人それぞれの努力次第ではないかと思う。
たまたま生まれた時から私以外がみんなきこえる人なので、手話に触れる機会は聾学校でなければ、いつ知ることが出来たのかも分からない。幸い、私が生まれる平成元年というのは、一番多い人数(ピーク)学年でもある。後に生まれてくる後輩たちは人数が減少しつつであり、新年度を迎える生徒数は20人台を割れて行くことなっている。(※2020年3月現在の北海道高等ろう学校入学生徒数の予測であり、実際とは異なるので留意する。)
そこで出会う先輩や後輩たちとの触れ合いの中で、デフファミリーだったり手話教育の普及している環境に恵まれてきたりと教育環境はバラバラである。そこで、自然的に集まった生徒から求められるアクセス権はもちろん多様化してくる。これに対応する学校側も環境整備を高度化しなければならない。上農氏が指摘するようなことも当然であり、全日ろう連をはじめとする当事者団体や卒業生の多くは、しっかりと改善出来ることを願っている声も多いわけである。
手話言語が必要。文字情報が必要。とかという選択肢によって、情報を得る・伝えるということが成り立つことが一人一人の意思疎通の手段であって言語圏に生活する上での必要な措置であるわけだ。
ということも含めて、手話がダメとは否定しないわけだし逆に口話が下手だから手話でやるべきというのもおかしい。やっぱり自分自身がどのようにして情報を伝えるか。得るためにはどうするべきなのかという自己アイデンティティにおいて、もう一度、自分の言語を見つめ直すことが重要になる。
やっぱり日本人である以上、日本語も上手にならないといけないわけだからこれは専門的にいえば、外国人と同じ考えである。手話言語と日本語は違う点もある。その辺は、別途「手話講座」シリーズで今後も配信していくつもりなのでぜひ視聴してもらいたい。(※配信中の第5回「日本語表現から手話表現をみる①」をご覧ください♪)
30代になった私だか、教育にかける夢はまだまだ追いかけるところでもあり中途半端な気持ちでいる。しっかり現場復帰して、改善できる立場になれるようまずはこのnoteとYouTubeなどを通してしっかり発信してまいりたい。