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オンライン授業の“必要なこと”を考える#2

オンライン授業という概念から、また2つの側面である私の日常を外してみよう。まず一人間として、オンライン授業をいざ受けると言ったらあなたはどう感じますか?どちらの方が近いでしょうか。

A:「家にいながら授業を受けるため、わざわざ学校に行く必要はないんだ。サボることもできるじゃん。」
B:「学校に行く必要はないのは良いけれど、分からない時や困ったことはどうしたら良いんだろう。友達と楽しみたいのに、会えないの残念だな。」

私だったら、Bの方である。実はこの生徒の方がしっかり学びを知っていることの潜在能力を発揮できるし、成長が見込めるタイプなのだ。大学ではそういった人材を求めているし、むしろ大学に入りやすいということだ。多くは目標がないから大学に入るという学生は必ず、中退するしやる気無くして適当に通ってばかりでは就職活動も失敗するか苦労するわけである。と言った人間関係を多く見てきた私である。(大学時代に会った学生、そして通信教育で触れあった学生でも多くがその話をしたことある。)

 と思って実はこの投稿を書こうかどうか、迷っていた。しかし、これで書く決心が出来たのはもちろん、ドラマ「ドラゴン桜」だけではない。「東大王」に出ている現役東大生でも実際に話していたことがまさに共感だと分かったからだ。

つまり、学ぶということは簡単ではないし、誰かの押し付けやきっかけがないと自分が気付くというのは難しいことである。特にオンライン授業というのは、"暗黙の知"として目でわかる情報を頭の中に叩きつけるような流れの受け止めで、自ら学ぶということは実につまらないことである。強いていえば、サボりがちになりやすいのだ。怠慢な気持ちを持つAの方は、かえって失敗することが多くなる人生になるに進むことだ。この失敗するような人生を歩むことが分かっているような社会人としての先輩方は、この悪循環を断ち切るためにもしっかりオンライン授業において悪影響を与えないように配慮しなければならないということがある。

 だから現実に文科省では緊急事態宣言発令中であっても、一斉の強制な休校要請は避けたいという気持ちで苦渋なのだ。しかし保護者の一部では、健康のために休校すべきだという声もある。また教育委員会は、学校現場の苦労を把握しているかどうかもわからない中で、休校要請を簡易にお願いすることは出来ないのだ。矛盾するだらけの中で、オンライン授業の準備と同時並行に対面形式の環境整備にも対策しなければならないという状況である。ということを察する必要がある。(他にも理由はあるが、気付かないこの部分を私は取り扱って伝えるとする。)

ではオンライン授業において、必要なこととは何か。人それぞれの考えは多様にあるが、私だったらこう考える。

1、しっかり目標を持ってそれに応じた学習内容を提供しつつ、かつ児童生徒の実態を把握した授業スタイルの見直しが大事ではなく、教える人その自身らの心構えがとても重要である。
2、オンライン授業をやっていけば良いというわけではない。オンライン授業ならの特徴を活かして、生徒が【主体的に調べ、考え、行動する】という社会人基礎力を発揮できるような学びを作るということが必要である。

要するに教職員の専門性がどう変わるか。心構えをどのようにするかによって、児童生徒は信頼して授業に臨めるということだ。序章で述べた教科書どおりの学習は通用しないということに加え、今回は大人(社会人)として人生の中で経験したことを伝える場所として有効に活用させるということの学びを与えることが心構えとして必要なことではないかと私は考える。

最近、文科省は1人一台タブレット端末の普及に尽力を挙げているがこの施策は本当に行き渡っているだろうか。実は賛否両論がある。大人(社会人)として人生の中で経験したことを伝えるための手段としては、あまり望ましくないデメリットがあるのを指摘する。これは#5辺りにでも話しておく予定である。もっと他に良い方法があるべきなんだと言いたい。

タブレット端末の普及以前に学校現場のICT活用における様々な制限を取り払うことが最優先であり、かつ子どもたちが使いこなすための指導機会をまず教員がしっかり身に付けなければならないということだ。それが未熟である中で一気に推し図るという重圧は、教育現場をさらに混乱させている現状である。

また「情報」の免許を所有する同様に情報機器活用に専門的な知識教養を持った人材が不足している。私はたまたま大学の履修において、これらの条件を満たしてきたし「情報」の免許を所有しているが残念ながら現場で活かされていない人事発令より不愉快な気分である。このように管理職の適材適所という配置の考えには、文科省や教育委員会がきちんと現場を見ないから、詳しく把握出来ないために管理職の怠慢さもよく理解出来ないことはあると是非、みなさんにももしかしたら世間のどこかで似たようなことはあるだろうと認識するべきである。(筆者はパワハラを受けた事実あり、今もなお適切な解決はない、泣き寝入りである。)

つまりオンライン授業をすることは、まず教員一人一人が出来るというわけではなく心構えや技術、生徒に向き合う姿勢をどうするか。がとても重要な鍵になる。この指摘をしっかり理解した上で環境整備を進めていくことが、子どもたちのための教育現場としてさらに成長出来る。以上が、まず原点であって心構えを認識した上で私のオンライン授業ではどのように実践しているだろうか。