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外国史を学ぶ②

1年前の投稿に遡る「外国史を学ぶ」に続く第2弾のレポートが高評価を得た上で自分の学びだということから、ぜひとも読んで頂きたいと思う。なお、外国史を学ぶというのは高校時代に経験したこともなく大学でも少なかたために独学した感じで時間はかかったもの、なんとなく知識を深めることが出来た機会となった。レポートとしては、非常に難しいテーマである。

【課題】ヨーロッパ世界とアジア、特に日本との遭遇に関する経緯とその問題点をまとめなさい。(3000 字程度)

序論
 日本中のあちこちに教会が存在し、キリスト教の祈りの場である教会で結婚式を挙げる若者も大勢いるにも拘らず、この国では未だに、キリスト教を推している人もいる。「外国 の宗教なので、馴染み難い」とは多くの人が持っている理由だと考えられるが、仏教も外 国からやってきた宗教であることを知る人はいるだろうか。私は当講義「外国史II」を履修しているが、これまでの社会科(日本史の)学習におい て奈良時代、平安時代の多くの天皇は日本の未来の為や、自分の繁栄の為に多くの寺院を 建立している。これは本来の仏教の考えとかけはなれた信仰であると考え、日本人は上手 に、自分たちの今までもってきた世界観や自然観と仏教を融合させている。と聞かれてい る。ではまず、ここで指している「世界観や自然観と仏教を融合させている」という点に おいてヨーロッパでは16、17 世紀でいうとルネサンスの時代である。このことから「日 本との遭遇に関する経緯と問題」をどのようにしていかに日本に伝来されてきたのか。という点について考察してみたい。

1、仏教・キリスト教の伝来をみる
 仏教が渡ってきたとされているのは西暦538年、または552年とされている。キリスト教の伝来は西暦1549年であることが私たち、授業を受ける学生にとってよく聞く 知識である。そこで「約1000年歴史の差はあるにせよ、何故ここまで触れ合う機会が 多い宗教であるにも拘らず馴染めないのか。あらゆる宗教観を取り込み、独自の宗教観を 打ち出してきた私たちが、どうしてキリスト教ではそれが行うことをしなかったのか。(中 略)仏教は日本的信仰を失うこともなく、明治維新で神仏廃棄令が出されてもその信仰は 滅びなかった。」(後藤、1989)と記述している。
 私は日本人が古くから抱いている先祖崇拝、仏教、神道、八百万の神などの信仰心とキリスト教の教えや儀式の差を明確にすることがキリスト教は日本国内で多くの人から、未だに異なる宗教であると考えられている原因を究明することを次の通りに整理してみた。
2、異なる宗教であると考えられている原因を推察する 
2−1「家」という意識から
日本人が個という概念を考えるとき、多くの場合過去から未来へ繋がる命の鎖の中の個 として認識している。この意識は鎌倉時代から江戸時代に続く家制度である。現在ではこ の意識は薄くなってきたかというとそうではない。例えば、結婚式の名前は本人同士では なく、家同士の名前が書かれる。結婚した後も、両親との同居や墓を守ることなど、家を 守るという意識が当たり前である。それに比べてアメリカを含む西洋あたりをみると、個 人はあくまでも個人と認識されることが多い。墓を守るという意識はなく、結婚式は個人 と個人の結婚であるという意識の元に行われる。墓も日本のように家ごとの墓ではなく個人の墓である。また養子も、まったく関係ない人々からとる確率が日本より格段に高かっ たことがわかる。
 これは、「弱者を見たらすぐに手を差し伸べなさい。」というキリスト教の教えに従って いるとも考えられ、基本的に血の繋がりを日本程重視しないともいえるじゃないかという。 子供はある程度の年になったら家を出て独立することが当然となっている。つまり親は、 自分たちの家名を継いでもらおう、などとは思っておらず、成人したら家というものを離 れて一個人で、彼らの世代の家族を作り上げるのだ、と考えていることがいくつかの著書 を読むことで分かった。
 これはそのまま祖先崇拝という価値観の差につながる。日本人は亡くなった近親者が守 ってくれていると信じている人が数多くいる。どちらかに先立たれた夫婦が墓参し日常の 報告を行うことや、不治の病に冒され死を悟った人々が天国で祖父母や両親が待っている と考えることが多い。私たち日本人は当然のように、近親者は霊になっても生前とかわら ぬ愛情を生きている者に注いでくれると推察する。対してキリスト教のカトリックでは、結婚という場面をとってみると、新郎と新婦は指 輪を交換し、死が二人を分かつまでどんな時も相愛し協力することを神の前で誓う。ここ では死が二人を分かつまで、というのがポイントで、結婚という二人の間の契約は、どち らかの死によって消滅する。この考えを分かりやすく表しているのが以下のシーンである。 「1963年11月23日、アメリカのジョン・F・ケネディー大統領が46歳の若さで 暗殺された時(中略)、葬儀のとき、議会を代表して弔辞を読んだのは、(中略)マイク・ マンスフィールド氏であったが、氏が抑圧をつけて詩のように読み上げた弔辞に“She put her ring in his hand.“という言葉が何回も繰り返されていた。ジャッキー夫人は夫の死の直後自分の指から指輪を抜き取って夫の手に握らせたのであった。『すべては終わったと言 う記しに...』とマンスフィールド氏の声は続いた」(後藤、1989)つまりどんな近親者で あっても死んだらそれまでなのだ。日本のようにいつまでも見守るという思想はなく、残 された者は自由になる。ここで明らかになるのは、キリスト教と日本人の宗教観の第一の 違いは、生者と死者が関わりをもつかもたないか、であり、キリスト教では持たないと考 えられていると推察する。
2−2 「教会と寺社仏閣の立地条件」から考える
 次に目に見える価値観や世界観の差として、祈りの場である教会と寺社仏閣の立地条件の差という項目から見ていきたい。 神社にはたいていの場合鎮守の森と呼ばれるものがある。もしくは現存していなくても
建立された当初は鎮守の森が存在しており、信仰の中心となっていた。これは、なるべく 多くの自然をそのままの形で残しその中に神を祀るという思想の現れである。明治神宮な どは有名な例である。仏閣には、庭園がある。庭園は自然に人為的に手を加えて鑑賞する庭をつくる点である。 仏が庭の自然に宿るとは考えず、あくまで仏が宿るのはその寺にある大仏であり、庭は極 楽浄土を模して作られているところが多数だ。神社の鎮守の森、そして寺の庭園は一般的 に境内と呼ばれ、その空間がひとつの宗教的な意味を持っている。対して西洋の教会には境内というものは存在しない。ローマの聖ペテロ大寺院、フランスのシャルトルの教会、パリのノートルダム寺院など有名な教会も、大きな建物もすぐ側 は道路である。この事から、教会は自然環境をまったく考慮に入れていなかったとわかる。 外部をとりまく環境よりはむしろ、その建物の内部空間を重視しているのだ。教会という のは、ギリシア語で「エクレシア」即ち「集会」という意味になる。キリストは聖書の中 で「わが名の故に二人でも三人でも集まるところには自分がいる。」と語った。つまり教会で大事な事は、人が中に集まるという。内部空間を重視する為に、教会は周囲から隔絶す る、つまり自然と断絶する姿勢、忘却する姿勢をとっているのだ。そしてこれは次の自然 に対する姿勢へと繋がっていると推察する。
3、結論
 まず「家」という視点から考えた場合、キリスト教が伝えられた1549年とは武家政権の真っ只中になっている。武家政権でいうと、「家」の存続が重要となってくる時代であ る。そのような時代において、キリスト教の個々のつながりを重視し、「家」というものに 縛られずに生きるという発想は当時の歴史的背景で見ると、受け入れがたかったのではな いだろうか。結婚をするにしても、個人同士の思いで結婚できたのは身分が低い者で、政 治を司るような人物はみな政略結婚、まさに家同士の結婚であった。これは西洋において も変わらなかったはずだが、彼らの場合キリスト教の教えが先にあったために、キリスト 教を拒否するなどという思想は生まれてこなかったのだろうか。
 また今の私たちは、お盆の時に墓参りをすることや、様々な法事を通して死者と接触を もとうとする日本人の思想は、死んだらそれまでとするキリスト教を冷酷としか受け止め ることが出来なかったといえる。日本人は、死者は生前と変わらぬまま生きている者を見 守ってくれていると考え、死がお互いを隔てるということは考えないからである。要する に直接会話をするなどの物理的な問題は別として、心理的な繋がりまで失うと考える事は 不可能であった。それは自分の先祖を祀り、家系を維持していくことに重きを置いていた ことが原因であると筆者は考えている。
 一番はじめの問いに戻るが、何故キリスト教は未だに日本で広く受け入れられないのか の観点について考えると筆者は、西洋と日本での気候の差があるのではないだろうか。と思っている。西洋の広い大陸の中では、作物を育てるには厳しすぎる環境の土地が多くあ り、そこに住む人々にとってはまさに自然とは立ち向かうべきものだった。しかし日本で は比較的温暖な気候に支えられ、四季のもと美しい自然や豊富な作物が収穫できたといえ る。日本に最初に伝えられたのは九州であることは当時のヨーロッパから見ると、日本は 温暖で住みやすい場所であると考え、日本人にはキリスト教の思想である、「自然とは神が 私達に贈った者であり、対立し、征服しなくてはならない。」という思想が理解できなかっ たのではないか。第二に、日本の先祖崇拝とキリスト教の個の考え方である。日本では縄文時代から死者 とは恐るべきものとして学んだ。死者の魂がそのまま神として祀られることがある文化の 中で、唯一絶対の神の前では生前どのような優れた才能を有していても、絶大なる権力を 有していても変わらないという考え方は今もなお分からない。文明が進んだ現代でも、多 くの人が決まった年に法事を行い、盆には墓参りをする。私達より遥かに呪術的なものに 捉えられて生きていた人間には、何千年も前から続いてきた死者とは恐れるものであり、生きている人間が死者の上に立つなどとは思わない。何故なら、死者というのは彼らの先 祖であり、親であったからだ。儒学の影響を受けた日本では先祖や親はあくまでも自分達 の上に立つ者であり、死んだからといってその力関係は変わらない。その考えが「家」を存続させることなんだと昔から伝えられている。
  以上のことから私の考えるキリスト教が受け入れられない原因は、日本の気候が温暖で あり、日本に住んでいる人は当時、農耕民族であったことや縄文時代から続いた死者を恐 れ、ついには彼らを神(キリスト)として崇める思想が強かったことの2点であることを 問題として理解し、これらがヨーロッパと日本のつながりに影響をもたらしている。本来 ならば、もっと倫理的に組み立てねばならないが現時点でまとめてみた学びであることを ご了承願いたい。

【引用文献】
後藤優(1989)、北樹出版「日本人 VS キリスト教」 
松原秀一(2001)、平凡社「異教としてのキリスト教」

【参考文献】
五味文彦(2016)「大学の日本史〜教養から考える歴史へ〜中世」 
土井健司(2003)、ちくま新書「キリスト教を問い直す」 
土居健郎(1997)、PHP 新書「聖書と「甘え」 
本村茂光・小山俊樹・戸部良一・深谷幸治編(2016)「大学で学ぶ日本の歴史」