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オンライン授業の“必要なこと”を考える#3

#2では、オンライン授業をするにあたっての教える側の心構えを執筆してみた。今回は逆に受ける側の立場になって書いてみる。私は昨年、コロナ感染対策のために対面授業のはずがオンライン授業に変わったために受講するにあたって苦労したことがあった。この詳細については、先日の投稿「オンライン授業を考える」で書いているので読んでもらいたい。

ただ受ける側の立場を通して感じたことは何か。

1、きこえる人より視線がかなり集中するところもあって、疲れてくる。
2、情報量を100%得るためには何が必要であるのかを相手に伝えることが大事であること。また得るための努力が自分で出来るかどうか。
3、見えない「メタ言語」の認識と理解はろう学校での経験を積むことがなかったために大人になっても学ぶことは、常に続けなければならなかったこと。

この3つである。他にも細かなことはたくさんあるが、あえてこの3つを挙げてみる。きこえない人に多いのは、画面の視線が気になっていることだと思う。

きこえる人というのは音声に頼るので、ヘッドホンを付ければ、下を向いたり、他のところに視線がそれても音声から頭の中に自然に入ってくるので集中力が負担かけるようなことはないだろう。だからヘッドホンをすることでよりオンラインに対応できるといった面があると私は感じている。しかし、きこえない人にはヘッドホンには効果ある人もいれば多くは着ける必要がないというのが多数派である。「音がきこえない」じゃなくて「発音が正しく認識できるかできないか」で、使える道具かどうかは人それぞれなのである。私は発音が正しく認識できないほどのきこえが悪い方なので、口の形を見ることが必要であるので、ヘッドホンというのはあまり意味ないが音と合わせて聞くとすれば、必要だと思うところはある。しかし使う機会があまりないので、持っていない。YouTuberに見るヘッドホンをする人ってかっこいいように映るのだ。笑

 ではきこえない人ってどのようにしてオンラインに対応するのか。それは画面を見ることに集中するということになるわけで、目が疲れやすいのは避けたいところだ。目を休ませる必要があったり、集中できるように配信する側がちょっとした配慮をしていくこともあれば、受ける側もどのようにしていったら目が疲れやすくもないし、視力が悪くならないのか。という方法を知る必要がある。

 一つ、参考として意識している情報がある。宮城教育大学教授で同じ聴覚障害を持つ方が書いているnoteにてこんな投稿があったので、ぜひ知ってもらいたい。(松崎丈「ろう・難聴学生が「目」の健康を保つための6つのポイント-オンライン授業の受講に向けて-」)この内容を見るとへぇーこういう知識を持つだけでも意外と自分がオンライン授業に対して、何を心掛けるべきなのか。具体的なイメージを持つことができたというのも一つの学びになる。

特に前述の内容でポイント5に記載している部分と私が挙げている3点目のところは同じである。話し言葉と書き言葉の受け止め(聞く姿勢)というのは、ろう児童生徒にとって日常生活の対面でしっかり積むことがないと難しい面はあると考える。

現在、取り組んでいるオンライン授業でもある1年生の子どもがいる。

話し言葉を手話言語で伝えると集中できる。手話だから通じるし、内容を理解しようと目がきらきらと私を見つめる。
しかし、パワーポイントだったり、ホワイトボートに書いている書記日本語を見て考えてみようとする会話をすると目を逸らしてしまう。また集中力が切れてしまう。

対面授業だと、その時に肩を叩いたり近くに歩み寄って顔を向けるようにする気配った指導をすることは出来る。でもオンライン授業だとそれができず、きこえる人のように音声で間接介入することは困難である。そのため、きこえない子どもは画面から逸らすと相手側の反応に気付かない。この反応に気付かないと目を向けるまでちょっとした間を置いて待つしかないということが生まれるわけである。

授業の話ではあるが、例えば他に自分が目を逸らしてしまい、雑談や会議などでも他の人の会話に気付かなかったりすることってありませんか?この時、きこえる人だったら音声で名前を呼びかけて向けるようにしますね。でもきこえない人ってどのように出すのか。多くはアイコンボタンを押したり、カメラに向かって手を振ったりするようにしますね。これがきこえる人ときこえない人の違いです。

 これが初歩的な話であるが、これを実際に授業内容で真面目に進めていくと私の3つ目に挙げている「メタ言語」の理解というのがある。まず、「メタ言語」って何か。メタ言語は、少し高次な言語的レベルである。簡単にまとめていうと、このような例を見れば分かるではないでしょうか。

(きこえる人の使う)日本語の場合は、子どもたちが3、4歳くらいから、簡単なしりとりができるようになる。しかし、きこえない人が見る日本語の場合、しりとりは案外難しい。なぜなら、言葉の最初と最後の文字が分からなくてはならないから。「うま」なら、「う」と「ま」と切り離して考えられなければしりとりはできません。だからしりとりを繰り返し指導する乳幼児〜ろう児にとってはこれが一番苦労するところと言われている。この部分がメタ言語的発達である。
もっと高学年ごとに難しくなると、回文もそのような知識をもっていないとなかなかできません。例えば、歌や詩などを書く時は何度も語順を変えてみたり、言い回しを調べたりする機会が増えていく。この機会を通すことによって、高次言語に気付き、自分で考える力が育っていく成長になる。

その機会は学問的にいうと、言語を客観的に見て分析し、工夫をするということです。その力を「メタ言語力」といって、理解力、表現力、自分の意識を広めていく力、(きこえない人には)手話の形状を客観的に分析する力という解釈かなと私は考える。

 しかし残念なことに厳しくいうと聾学校の勤務しているきこえる先生には、親が手話でコミュニケーションはできるが、手話を言語として習得できない一つの壁はメタ言語力がなかなか身につかないということ。メタ言語力をつけるには、本格的に手話の指導が必要である。幼い時から身につけないと大人になってからは発達できないということの知識理解が欠けており、十分に言語理解が出来ていないことが多く見られる。それが手話言語による指導の専門性の一つであり、重要なところである。普通はろうの子どもの(手話言語そのもの)そういう反応にろう学校の先生が気づくことが大事であるが、対面よりなおさらオンラインであると、小さなことで分からないままになるというのが問題ではないかと予測できる。

 本当は対面による指導(学校現場にて)しっかり手話言語を通して授業を実践する中でメタ言語力が育っていることが一番の効果的な授業の在り方なのです。そのわずかな子どもの成長を捉え、伸ばしていくのが教師として必要なことがオンライン授業では、なかなか難しいのではないだろうかと疑問に指摘するわけである。でも文科省や教育委員会は、そのことを本当に理解できているようには考えられず、まだまだ現場の課題を深刻に捉えていないだろうかということを危機感として抱えて指摘する大学教授やろう教育関係者も多くいる。私もその一人であり、執筆しておいたので皆さんにも少しでも考えていただければ嬉しいである。

 管理職もきこえない子どもたちの手話言語とは何かという学習経験が乏しい方もおり、ベテランという位置づけではないと思う。いかに子どもたちが社会に役に立てているかどうかは経験豊富ではないところも多いということで、オンライン授業においては便利だと前向きに捉える姿勢で進めてはならない。欠格なところもあると意識した上で、いかにどのようにしてメタ言語力を高めるように注意を払うのかということもしっかり文科省や教育委員会に説明できる力が必要だか、知っている限りでみるとそれは数少ないだろうと私は思う。

それはなぜか。オンライン授業というのは最近であって、管理職という立場は古い学びと蓄積した現場の経験から主張する積み重ねた経験から発言や考えを持つことに固執するため、新しいことに向き合うことや何かを考え追求するということはあまり消極的なことだからである。積極的にやっていくというのは大変荷が重いことなので、おそらく勇気づけるような覚悟もないと子どもたちのための仕事はしないはずだ。だから今見る管理職の姿勢というのは、ぶっちゃけ子どもたちのための仕事をしていないのが実態なのである。日本人ならの建前の姿勢で仕事をしているということが多いことを私たちは知識をしっかり身につけない限り、騙されていることに留意しなければと警鐘する。

以上、大きく3つに分けて見ると長くなってしまった。もっと丁寧に一つ一つ踏み込んでいくところはある。結論としては、メタ言語を正しく育てる環境のための工夫が求められること、そして受ける側も伝える側も画面の中でいかにどのようにして集中力を持つことができるかという正しい知識を持って活用する姿勢がオンラインで授業するに必要なことということである。