見出し画像

品詞にはいくつかの種類がある

ことばの引き出しを増やしていくことで、自分の話す力がどれだけ日常生活の中で活かせること出来るのかが決まってくる。語彙力が多い人は、この人は頭賢いね・・・。とか仕事で色々と頼れそうな人だな・・・。と第一印象がそれぞれ違いが出てくるかもしれない。

 でもことばの引き出しを増やすことが良いことではない。私は一番とても大事にして欲しいなと思っているのが、ことばの使い分けが上手く出来る人ではないかと思っている。ことばの使い分けとは何か。タイトルの通り、「品詞にはいくつかの種類がある」というのを皆さんは考えたことありますか。詳しく説明することが出来ていますか。これが正しく出来ているのであれば、きっと子どもの成長に大きな力をもつ人間ではないかと私は考える。=(イコール)教員の専門性としても語彙の正しい使い方はとても大事な学びであり、今もなお教材研究に慎重な姿勢で構えている。

 ある児童は、日本語対応手話というより指文字を多用に表出する学校の先生の影響を受けている。そのため、ことばを手話で表すというより指文字で長く表現しようとする癖が身についている。そのため、助詞という理解が出来ていないところがあると保護者より困っていると相談を受け、助詞の理解度を確認するためにJ・COSSテストを実践したが出来ていない問題が多かった。手話できちんと説明すれば、正しく理解できる問題もある。(保護者は、手話で正しく身に付ければ、日本語の違和感も減るのではないだろうか。という期待をもっていた)のでその辺りは、学校の学ぶ環境にも問題点があると感じたが私は学校側の責任ではないことで説明した。あくまで教員のコミュニケーションにおける専門性であって、日本語指導というのは普段の生活上の学びで努力すればできるということを前置きした上で、今回の授業を受付することの方針を確認している。

 手話言語で文脈を表出することは、みんな誰でも出来ること。しかし、書記日本語で上手く書けるかどうかは個人差が起こる。例えば、本をたくさん読んでいる生活をしていたらことばをたくさん知っていて使おうとする。たくさんの人と話を聞く生活をしていたら、その人の良いところを自分のものにして蓄積されていき、使いこなそうとする。などきっかけは、様々なところでことばの引き出しを増やせることはある。でも使い分けできるかどうかという部分は、生活の場面で学ぶことはない。授業の一つとして教えてもらうということの機会は必要になる。いわば外国人と同じ教え方で学ぶことが求められる。以下、ある授業の一場面である。

「品詞には、このように色分けで見ていきます。」と筆者は、日本語におけるルールということで説明している。

黄色→「名詞」、緑色→「動詞」、ピンク→「時数詞」、水色→「形容詞」(※水色は後ほどであり、ここでは白色で表示している。)

この色分けでグループ化することの学びを繰り返し確認しながら、ことばの引き出しを頭の中の概念で整理されるように出来るという理解が出来たら、文脈を作る上でエラーは起こらないんだと筆者は考える。

 きこえる子は、音声言語で自然に耳に入ってくるからこのことば一つ一つが名詞なのか。動詞なのか。ということの分け方は、教えてもらわなくても理解できる方が上手かもしれない。しかし、きこえない子どもには上手く出来ない子もいる。動詞ということばの概念というのは「身体の動作的なこと」と考えてみると、実は手話表現でいうと、例えばスポーツで<サッカー><野球>・・・という表出は名詞なんだけれど動詞にも重なるわけでしまう。一つの例を見ていく。

<サッカー>=足で蹴る   <野球>=バットで振る

手話言語を名詞と動詞で切り離して説明すると、ある児童は「名詞である」「動詞である」ということの違いを理解することが出来るわけである。つまり、指文字で多用に表現しようとしてたら、名詞と動詞の分け方が頭の中で考えることはほぼ自覚で出来ないけれど、スポーツの手話でのように分かりやすく書記日本語で書いて一緒に手話を表現することを学びながら、「名詞」と「動詞」について考える機会を積み重ねる授業を実践する。

 するとある児童は、日を追うごとに自然に指文字の表現する回数が減っていき、手話言語で色々なことばを豊かに表現してかつ「助詞の役割」を学ぶ以前の基本的な発語する姿勢に変わることの変化が出てきたわけである。(助詞の役割を学ぶことは、先日の投稿「助詞の重要性に気付くこと」を読んで欲しい。)また名詞と動詞を分けることが出来ることで、文脈を自分の頭の中で一生懸命表現しようとすることの意識が高くなっているように見られたことは、とても大きな成長だと感じている私である。

 次回以降、名詞・動詞・時数詞それぞれの授業で気付いたことを紹介していきたい。ちなみにこの授業の取り組みは、教員で勤務するときに新しく身に付けてきたわけである。その得られたことは、書籍(「江副文法指導」)で色々と紹介しているし、実際に授業の中で上司の先生が取り入れて行っているのをサブとして一緒に私も同席しながら、上司の先生の指導する姿勢を一緒に学んできた。上司の先生のやり方に異論はないが、これはあくまできこえる人の視点での教え方であって、実は違和感を持っていた。

手話言語をきちんと向き合うことが足りないから、児童生徒が改めて理解できているかどうかという評価は個人差があるのではないかと思っている。その辺りは、明晴学園の取り組みや大塚ろう学校の授業現場を実際に見ていてその違いを筆者は、教える側がろう者の視点ときこえる人の視点で分かれているんだということが興味深くもてたきっかけであり、これらを自分なりに努力しながら一つの指導内容として実践していきたいと思ったからである。そのため、上手でもないしまだまだ勉強しているところはある。その経験浅い筆者の取り組みを今後も少しずつ、投稿しつつみなさんに考えて頂ければと願っている。