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子どもって自由な発想なんだ。

今日はこどもの日。毎年必ず新聞には出生数の減少を数値化で報道し、40年連続減っていることが分かるがなぜ報道しなければならないのか。そして報道することが何の意味をもつのか。

1、早く止めるためにはぜひ子づくりを盛んにして欲しい。(一部は、エロをオープンしていいんだと言う意味でもある。)
2、子どもを増やすためには恋愛にもぜひ前向きにか考えて欲しい。

 この2点が私たちに求められてようやく止める=人口も少子化からの脱却なんだと言葉ではストレートに表現しないけど、結論としてはそうなる意味だと捉えるのだ。だからもう数字にこだわるのは飽きてきた記事であると私は考える。

 でも意味はがない。理由がそれぞれあって異なる背景のために子づくりとか恋愛なんで昭和のように簡単ではない世の中だ。しっかり政府は意識してもらうべき。以外、その理由を挙げると、、

1、子どもの養育費問題が消費税増税などによって負担金額が上がっているために子どもを作る以前に経済的な理由として安心できない考えをもつ。
2、旦那さんとの一緒にいる時間がどれだけあるかによって、子づくりを話し合うとか励むのは生活環境による。つまりお互いに両働きで時間がすれ違ったり、またはどちらか産休休暇や育児休暇などの理解ある仕事場であるかによって、自然的に子づくりにしたいと励む気持ちは様々とある。
3、1人の時間だと自由なことはある。夫婦になり、子どもが出来るとき自由なことが難しいと意識する男女が時代背景の中で増えている。仕事しないと生活費が厳しいという様々な背景などがあって、出会いも少ないことはある。昭和のように見合いとか職場結婚とかというのは、タブー化されている持論もある。誰もが自然的に生活して出会いそこで幸せな結婚をしたいと思うのが、今のところごく僅かな運命的なのだ。

挙げた理由以外にも色々、読んでいる皆さんの中には考えが違うかもしれない。正解はないという多様な生き方をする世の中に少子化を歯止めするならば、政府が出来ることは、、

養育費の中にある義務教育での完全無償化
(教科書、文房具は自己負担で給食代とか学校それぞれの必要があるものは負担しない。一部の市町村レベルでは、補助金制度を活用して促進する地域があるが地域格差になるため、より一層国全体にも必要。)
育児、産休休暇の充実を法的措置でしっかり明記することにより職場復帰しやすいような配慮
(一部の企業などで、モラハラ、イクハラまた女性軽視という悪いことに対して厳しく取り締まりできず。働きたいのに辞めなければならないという暗黙の了解というのが当たり前なっている。)

 と書ききれないことはある。つまりタイトル通り、子どもというのは自由な発想で必要があれば幸せな中で安心できる環境であり、産むことも良し。欲しいなあと思ったら恋愛も焦らず、自然的な流れで出来れば良し。無理に子どもを作れという押し付けはあまり良くない。

子どもを産むなら良い流れでありたい。産んだ後も周りの理解してくれる中でスクスクと育ててあげたい。夫婦の苦労がお互いに幸せな気持ちを保ち続けられるならば、それに間違いはない。というのが私が新聞記事から、見る一つの考える力の意見である。

 だから今後の社会科教育において、新聞記事を教材として主体的に考える、伝える、調べて理解することが大事な新しい授業づくりとして教科書が正解ではない。教科書以上に周りの世の中を自分の身近な問題提起として学ぶことが、きこえない子どもにはより良い教材活用では?