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同じ映画を3回観た

私は同じ映画を何度も観るタイプではない、と思っていた。

映画館での上映前の予告編で、「リトル・ダンサー」が上映されると知った時、Oさんと一緒に観たいと思った。
彼女は去年仲良くなった人で、体育大でダンスを専攻していたという。
私はそれまでにその映画をレンタルDVDと配信で2回観ていたのだけど、予告を観た時、彼女とまた観たいと思った。

彼女にメッセージするとすぐに、行きたいという返事が返ってきた。

その時点で私たちの予定が合う日は2週間先で、その時まで上映されているだろう、という想定で、時間を決めた。
鑑賞日の2日前にチケットを買おうとすると、何と上映が終わっているという。
それから別の上映館を見つけたけど、都合が合わず、残念だけど、今回は2人で観るのは諦めよう、という話になった。
結局一緒に観ることはかなわなかったし、新しく見つけた上映館の上映終了の日も近づいていた。
「リトル・ダンサー」を観に行くならひとりだし、上映時間は朝早くて、しかも私は既にその映画を2回観ている。
私は上映終了前日になっても迷っていた。
で、Oさんと話していて、

明日行くの迷ってるんだよね。
Oさんと2人だったら、映画の後お茶をする楽しみもあったろうけど、自分ひとりで行くほどではないかな。

でも、明日観に行かなかったら、今度映画館で観られるのは何十年も先になるかも。
もしかしたら観られないかも。

と言った。

すると、Oさんは

うん。もう答え出てるんじゃない?

と答えた。

私も、そう思った。

というか、自分でも、最後の言葉を言い終わる前に、自分の気持ちに気がついた。

だからそれに素直に従うことにした。

それがどうした、という話だけど、

これまで長い間、何かが観たいとか、読みたい、聴きたい、食べたい、そういう些細な欲求が湧いても、何だかんだ理由をつけて聞こえないふりをしてきた自分にとって、これはちょっと清々しい決断だった。

そして、私は自分のしたいことや欲しいものが長らく分からないことが苦しかったが、
それは、日々の些細なやりたいことを無視して、自分の欲しているものをキャッチするセンサーが鈍っていたからだったのかも、と思った。

もちろん映画は最高だった。

疲れてても、お風呂に入って後悔することはない。ヨガをして後悔することもない。
と普段思っているが、

映画館で映画観て後悔することは(あんまり)ない、が最近新たにこれに加わろうとしている。

ただ、ここでの映画とは、付き合いや格好つけで選んだ映画ではなく、自分で観たいと思って映画館に足を運んだ映画のことを言っている。

ある映画を自分が観たいと思うかどうかが分かるためには、感覚の鈍っていた私には意外と練習が必要なようで、いまその練習をしているところだ。

そしてその感覚というのは、映画に限らずに、些細な欲求がやって来たらそれを喜び、その都度応えてあげることで磨かれるのではないかという気がしている。

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