迷子になってる
今日も今日とて面接だった。10人の枠に約70人の志望者。
倍率7倍。望み薄である。とりあえず、全力でできることはやったつもりだけど、いかんせん体調もよいとは言い難く自己PRでグダグダになるという。
また貴意に沿いかねる~みたいな手紙が来るんだろうな、と思うとげんなりする。
なんだか、「ふりだしにもどる」ばっかりの双六でもさせられているみたいだ。
最近、自分はいったいどうしたいんだろう、と分からなくなってきた。
転職活動(就職活動)はじめた当初はぜひとも大学で働きたい!と次々だしていたけど、何度も「貴意に沿いかねる」テンプレメールをもらい続けているうちに分からなくなってきた。
私、倍率7倍とかの望み薄な試験ばかり受け続けて、それでもなお大学で働きたいのだろうか。
最近、法律事務所にも関心が湧いてきている。大学は面白い。でも、インターネットの叡知によれば、その働きやすさゆえに大人気らしい。
そんな高い競争率のところに飛び込んで削られ続けてまで、しがみつきたいだろうか。
もちろん、研究支援は面白い。
でも、それが大学職員にこだわり続ける理由に果たしてなるだろうか……?
今日は、面接のほかに小さな絵画の展示も観に行った。
それを観ながら、最近、私は小さなものに心惹かれるのかもしれないな、と思った。
小さな無料の企画展、小さな劇団、小さな団体の取り組み。
メジャーなマスコミに取り上げられたり、お客が殺到するものではなく、細々とやりたいことをやっている。独特の世界がそこにある。
最近気になる小さな劇団。それは大学のサークルがもとになっているらしい。
私が大学に惹かれる理由はそういうところにあるかもしれない。
大学は自由だ。
自由に学生たちが動いて、自由な活動が営まれている。
それが芽吹いて小さな劇団や、あるいは芸術、社会福祉活動が生まれる。
世の中、たくさんの人に支持される大きなものだけではつまらない。
小さな団体、小さな芸術。ほとんどの人は知らないようなそういう小さな輝きが、たくさんたくさん輝くことで世界はできているんじゃないか。
メジャーな大きなものばかりだと、案外世界は簡単に壊れるんじゃないか。
その小さな輝きが生まれる場所の一つとして私は大学が好きなのかもしれない……。
と、面接の直前に思った。
だから、面接でも思ったまま言ったけど、どんな風に思われただろう。
必死になりすぎて知らないうちに前傾姿勢になっていたし、顔にも余裕はなかったと思う。
安物のドラマなら内定しているところだが、これは現実。
ふりだしにもどる、を覚悟して新たな試験に進むべきなのだろう。
でも、今日ようやく言語化できたこの思いも否定されたら、私はいよいよ大学職員としての軸は見失う気がする。
そうしたら私は次はどうするべきか。
ずっとそんなことを考えている。
答えは出ていない。
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