短編小説 瑠璃子とあんず

   一
「別れよう、俺たち」
 そう言う彼の瞳はイルミネーションの光を受け、色とりどりに輝いていた。
 綺麗だ。
 きっと、今、彼は最高に自分に酔っているのだろう。彼を中心にしたラブストーリーのクライマックス。そういえば、昨年、「付き合おう」と言ってきた時も、こんなふうに目の中にイルミネーションの光を映し出して、自分に酔いしれていたっけ。
 私は「付き合おう」と言われた時と同様、あまり感情を込めず「いいよ」と言った。それだけだと彼のラブストーリーのワンシーンには相応しくないかと思い、「本当は悲しいけど。でも、もう無理なんだもんね」と、ひどくわざとらしいセリフを付け足した。
 すると、彼は眉をハの字に下げ、「ごめんな」と言った。
「杏子、良い人見つけろよ」
 それが決め台詞だったらしい。彼はくるりと踵を返すと、雑踏の中へと消えていった。
 残されたのは私と、安っぽいイルミネーションに彩られた商店街のクリスマスツリー。
 私たちの会話が聞こえていたのだろう、道を行き交う人たちがこちらに同情したような、あるいは面白がっているような視線を投げかけてくる。
 そんな視線は正直どうでも良かった。また、彼に別れを告げられたことも同じくらいどうでも良かった。
 私の中にあったのは、彼は何をするにも主役でい続けることができてすごい、ということだ。
 私の知る限り……私と付き合っていた約半年あまり、彼(名前は田村くんといった)は彼の恋路の主役であり続けた。
 女に告白して恋人関係になり積極的に好意を示さない恋人に傷つき、新しい女に心を奪われ、一週間後のクリスマスはその本当の運命の相手と過ごそうと決めた。そして、今の恋人を傷つけてしまうことに罪悪感を覚えつつ、過去の清算のため、これからの幸せのため、彼は別れを告げるのだった……田村くんのラブストーリーにあらすじをつけるなら、こんなものだろう。
 私の勝手な憶測だから、間違っているかもしれないけれど、彼がここ二、三ヶ月、他の女の子に夢中になっているのは確かだった。
 ゼミ合同の飲み会で隣の席だった女の子。笑顔が明るいヒロインが似合う華やかな子だったのを覚えている。名前は確か、西岡さん。
 ここ最近、田村くんは昼休みや空きコマの時間は彼女と過ごしているようだった。その方が気楽で楽しかったのだろう。
 それについて、私は特に思うことはない。付き合ってと言われたから付き合って、別れてと言われたから別れただけだ。
 強いて言うなら、大学三回生になって周囲が彼氏や元カレについて話をすることが増えたから、私も経験した方が良いかと思っていた矢先、告白されたから受けたのだった。積極的に断る理由もなかった。
 あるいは、彼氏ができれば、人生が楽しい方向に好転するかもしれない、という期待もあった、かもしれない。今となっては、あの時の感情もぼんやりとしていて思い出すことができない。
 結果、「彼氏がいた」という実績を得ることができたけど、付き合っている間、特に楽しいと言うことはなかったし、別れた今も悲しいとは思わない。タスクを処理した、程度の感覚。
 結局この半年はあくまで田村くんを主役にしたラブストーリーであって、私はただの端役に過ぎなかったのだ。
 このあとの西岡さんとの「本当の恋愛」を盛り上げるための踏み台。脇役中の脇役。
 もう私の役割はないだろう。
 家に帰って寝よう。
 早くもクリスマスの雰囲気の商店街を歩きながら、私は自分でも気づかぬうちに「つまんない」と呟いていた。
 
   二
 誰もがみんな、人生の主役、とは誰が言い始めたことなのだろう。
 このポジティブな言葉を信じる人を否定しようとは思わないけど、それでもやはり私は人間には主役に相応しい人間と脇役でしか居られない人間がいると思う。
 私は後者だ。先日別れを告げられた時も、私は脇役でしかなかった。これまでもずっとそう。
 小学校の運動会では運動神経抜群の子を引き立てる児童A、中学の合唱祭で張り切って朝練を主導する子に従う生徒A、高校の学園祭の劇で地味な小道具を担当する生徒B、和気藹々としている学生グループの横を通り過ぎる通行人、そして本当に好きな人は誰かを気づくきっかけとなる元カノ。
 どれもこれも主役にはなり得ない地味な役どころばかり。これで主役だと言い張るのなら、そのストーリーは駄作中の駄作である。
 別に私は生涯脇役で構わない。今更、人生の主役は自分! なんて言って、何か変わろうとするほど楽天的ではない。
 そうは思っていても。
 やっぱり、心のどこかでは主役に憧れている自分がいる。
 あーあ、と私はため息を一つ。
 
   三
「彼氏」が「元彼」になって三日。
 二限目の講義後の昼休み。私は学食で一人昼食を食べていた。
 クリスマス特別メニューとかで今日の定食はグリルチキンがメインディッシュになっている。
 妙にパサパサしたチキンを頬張りながら、なんとなくぼうっと食堂内を見回していると、「元彼」が新しい恋人と仲睦まじそうに入ってくるのが見えた。手を繋ぎ、ケラケラ笑い合っている。
 目が合うと流石に気まずい気がして、私はサッと目を逸らした。
 このあとはもう講義はない。図書館で課題用の資料を探したら、さっさと家に帰ろうかな、と考えていたら。
「あんず、一人かい?」
 顔をあげると友人の瑠璃子が立っていた。手には丼鉢が乗ったトレイを持っている。
「隣、座っても良いかな」
「もちろん」
 昼休みは食堂のコアタイム。座席は八割方埋まっていた。
「ありがとう。助かったよ」
 瑠璃子が隣に腰掛けると、ふわ、と甘い香りが鼻をくすぐった。白檀だ。
 瑠璃子の家はお香の販売店なのだ。だから、彼女からはいつもほんのりお香の香りがする。私はこのほんのり優しい甘い香りが好きだった。
 私は人間には主役に相応しい者と相応しくない者の二種類があると思っている。私は後者だけど、瑠璃子は絶対に前者だ。
 そもそも、私が主役だの脇役だの考えるようになったのは、幼い頃から瑠璃子を隣で見てきたからだと思う。
 私、関本杏子と神坂瑠璃子は幼稚園の頃からの幼馴染だ。
 幼稚園から小学校、中学、高校、果ては大学まで一緒のところへ行こうと示し合わせたわけでも、エスカレーター式でもないのに二人三脚よろしく進路が同じになってしまったのは、もはや運命かもしれない。瑠璃子は腐れ縁だと笑っていたけれど。
 運命でも腐れ縁でも、どちらでも良い。私は瑠璃子が主役の物語の脇役でいることが、一番楽しかった。
 瑠璃子は綺麗だ。
 彼女が世界で一番素敵だと私は思う。
 ぱんと跳ね上がった眉、切れ長の目。琥珀色の瞳は光源を用意とも、いつも爛々と輝いている。背中まで伸ばした黒髪はいつも三つ編みにして横に垂らしていた。
 瑠璃子は私が似合わない洋服もアクセサリーも、いとも簡単に着こなしてしまう。今日の瑠璃子は、レースの襟がついた朱色のワンピース姿だった。私が贈ったものだ。本当は自分で着たかったのだけど、自分より瑠璃子の方が似合うと思って。
 彼女が近くに来るたび、私は瑠璃子に見惚れてしまう。
 瑠璃子を主役たらしめるのは容姿だけではない。そのハッキリとした自己も私は好きだった。
 特別声高に主張したり、やたらと正義感を振り翳す真似はしない。ただ、自分の意見をきちんと持っていて、それを求められれば周囲と異なるものでもきちんと口にする。
 たいして意見ももたず、ぼうっと周りの流れについて行ってばかりの私には、それだけで瑠璃子は主役級の人物だった。
「あんずはお昼は何を食べたの」
 瑠璃子はそう言って私のトレイを覗き込んできた。
 私の名前は「杏子」と書いて「きょうこ」と読む。それは瑠璃子もわかっているはずなのに、なぜか彼女は私を「あんず」と呼ぶ。幼稚園の頃は「きょうこちゃん」「るりこちゃん」と呼び合っていたのに、いつのまにか「あんず」と「るりこ」になった。
 私のことを「あんず」と呼ぶのは瑠璃子だけだ。
 それが不思議で以前、一度理由を訊ねたことがある。
 すると瑠璃子はあっけらかんと「だって可愛いだろう」と笑った。
「グリルチキン食べてた」
「ああ、クリスマス期間限定の」
 瑠璃子は天丼だった。
「今日は朝から海老天の気分だったんだ」
 そう言って瑠璃子はぱく、と海老天を咥えた。
「瑠璃子、天ぷら好きだよね」
 幼稚園の頃からお弁当にはしょっちゅう、天ぷらを入れて持ってきていたっけ。
 瑠璃子が食べているのを見ていると、だんだん自分も天ぷらが食べたくなってくるから不思議だ。
 私の視線が気になったのか、瑠璃子はふふと笑って、
「まだお腹減ってるの」
 そんなに物欲しげな顔をしていただろうか。少し恥ずかしくなってしまって、わざとらしいくらい頭を振った。
「ううん。今夜、海老天にしようかなって思っただけ」
「そう」
 ざくざく、と良い音を立てて海老天が消えてゆく。
「……それでさあ、チケット余っちゃったんだって。それ、譲ってもらったわけ。2枚」
「えーすごい! あたし、それ行きたかったやつ」
 聞き覚えのある声に思わず振り返ると、私たちの背後を元彼と彼の新しい恋人が背後を通り過ぎていくところだった。
 さすがに向こうもこちらに気づいたらしい。元彼は気まずそうに歩く速度をはやめたが、恋人は私に気づいていないのか、むしろ足を止めた。
「神坂さんじゃん。お昼?」
「まあね」
「またお礼させてよ、神坂ちゃんのおかげで」
「置いていかれてるよ。良いの?」
 瑠璃子にそう言われて彼女は初めて、置いて行かれていることに気づいたらしい。
「ちょっとー置いて行かないでよ!」
 慌てて元彼、彼女にとっての彼氏を追いかけて行った。
「知り合い?」
 二人の姿がすっかり見えなくなってから、私は訊ねた。
「え? ああ、同じゼミなんだよ。あんずも会ったことあるだろ、ほらこないだのゼミ合同の飲み会」
「あ、うん」
 間抜けな質問をしてしまった。そう、彼らの出会いの場となった飲み会は、瑠璃子が所属するゼミと、私が所属するゼミの合同飲み会だった。
 二つのゼミ合計で三十人強いたのと、瑠璃子は幹事を任されていたとかでずっと動き回っていて、隣同士座ってのんびりとはいかなかったけど。
「物好きだよね」
「え? なにが」
 私の反応が意外だったのか、瑠璃子はちょっと眉を持ち上げて、
「クリスマス。わざわざ出かけるんだなって思って」
「ああ」
 さっきのはクリスマスの話だったのか。
 チケットがどうこうとか言っていたから、恐らくイベントにでも出かけるのだろう。
 この半年、もう少し自分が上手く立ち振る舞っていれば、そのイベントに行くのは自分だったのかな。ふと、そんなことを考えてしまう自分が嫌になる。
 どうやら私はまだ、自分が主役の物語に未練があるようだった。田村くんの彼女でい続けても、私は主役にはなれないというのに。
「確かにねえ」と瑠璃子はクツクツのどを鳴らした。
「私はクリスマスは家で過ごすのが好きだな。家で美味しいもの食べながら、映画でも観て過ごす。これが至高だね」
 そういえば、瑠璃子は昔から映画が好きだった。よく瑠璃子の家で映画を観たり、映画館に一緒に行ったりしている。
 私は映画はあまり詳しくない。自主的に観たものなんて、子どもの頃のアニメ映画くらい。
 でも、瑠璃子と一緒に観る映画はどれも面白かった。時々、よくわからないストーリーの作品もあったけど、観た後で瑠璃子の解説を聞くと、なるほど、と思うことも多かった。
 瑠璃子は映画制作のサークルに所属して、どうやら脚本を主に任されているらしい。時々誘われてロケハンの見学に行くこともあるけれど、現代を舞台にエスエフ、ファンタジー、ミステリとなんでもありのようだった。映像化するにあたり、特に金銭面で支障のない範囲で、ということだけど。
 瑠璃子が脚本を担当した作品は、女子大生が主役に日常の謎を解く、ミステリ作品が多かった。主役の女の子は派手ではないけど、どこか人とは違っていて魅力的なキャラクター。ちょっと瑠璃子っぽいキャラクターだな、と思いながら観ているのは内緒である。
「じゃあ、クリスマスは今年も家で映画?」
 昨年は瑠璃子の家で映画鑑賞をして過ごした。
 しかし、瑠璃子は「ううん」と頭を振って、
「今年はクリスマスも映画サークルの活動があるんだ。来年の新入生歓迎用の作品でね、実を言えば脚本が固まりきっていないんだけど」
 映画サークルでは毎年、新入生歓迎期間中、教室を一つ借りて映画上映会を行なっていた。上映作品は映画サークル会員が撮り下ろした短編映画。
「瑠璃子が脚本担当なの?」
 今年の新入生歓迎の際の上映会も、瑠璃子に誘ってもらって観に行ったが、エンドロールに流れた脚本担当は知らない名前だった。瑠璃子の名前は助監督のところにあった。
「うん。こないだ、ようやく初稿を書き上げてね。本当はここから、他の会員と打ち合わせして推敲してから撮るんだけど、今回はどうしても撮りたい絵があるから、そこだけ先に撮らせて欲しいってお願いしたんだよ」
「撮りたい絵?」
「うん。クリスマスツリーが映ったシーンが欲しいんだ」
 瑠璃子は両手の人差し指と親指でフレームを作り、なぜかそれを私の方へ向けた。
「クリスマスツリーって、あの商店街とかにあるイルミネーションがいっぱい飾ってあるやつ?」
「そうそう」
 瑠璃子は近所の商店街の名前を挙げ、
「そこのクリスマスツリーがすごく綺麗なんだよ。あそこなら良い絵が撮れそうだと思ってね。見たことあるかい」
「あるよ」
 つい先日、私はそのツリーのそばで別れを告げられたのだった。
「そう。私もこの間、偶然そばを通りかかった時に一目惚れしてね。商店街にお願いして、クリスマスの日、遅い時間に少しだけなら撮影しても良いってことになったんだ」
 瑠璃子は自身の指で作ったフレームを覗き込みながら、楽しげに口を動かし続ける。その指の中には、私には見えないクリスマスツリーが見えているかのようだった。
 私にはあのクリスマスツリーの良さがわからなかったけど、わかる人にはわかる良さなのかもしれない。田村くんもあのツリーを良いと思ったから、あそこを別れを告げる舞台に選んだのだろうか。田村くん主演のラブストーリーのワンシーンとして「絵になる」から。
 いや、でもそれなら、新しい彼女との思い出の場にでもした方が、より「絵になる」んじゃないかしら、ううん、新しい彼女との思い出の場所にはもっと素敵な場所を用意しているのかな。
 そんなくだらないことをぼんやり考えていた私だけど、瑠璃子の「それで、お願いがあるんだけど」という改まった声で、は、と我に帰った。
「なあに」
「もし良ければ、なんだけど」
 瑠璃子は指のフレームを解くと、
「クリスマス、予定が空いてるなら、一緒に来てくれない?」
「撮影に?」
「そう。どうかな」
「いいよ」
 一も二もなく返答したのは、単純にクリスマスは予定がなくて暇なのもあったけど、映画を作っている時の瑠璃子が好きだから、というのもあった。
 大学のサークル、少人数とはいえ、役者や監督をはじめとしたスタッフの中で、色々と意見したり指示をしたりしている瑠璃子はとても輝いて見えた。
 特に瑠璃子が脚本を担当する作品の時は、彼女こそ裏方のメインだった。裏の主役、といってもいい。
 万年人手不足のサークルのため、私は時々小道具を用意する係やエキストラなんかを頼まれることもあった。そんな時、私は瑠璃子を中心とした物語の脇役になれた気がして嬉しく思った。
「何か手伝うことあるんでしょ? 小道具? エキストラ?」
「うん。今回は、映画に出て欲しくて」
 つまりエキストラだ。
「また、詳細は連絡するよ」
「わかった」
 ふと、時間を確認するともうすぐ三限目が始まる時刻だった。
「ごめん、次授業だから、いくね」
 次の講義は食堂からは少し離れた教室だというのに。早足で行かないと遅刻してしまう。
「じゃあ、また」
「うん。またね」
 胸にほんのり、温かいものが込み上げてくるのが分かった。
 今からクリスマスが楽しみだ。
  
   四
 食堂を出て行く杏子の背中を見送りながら、私は知らず知らずのうちにガッツポーズを取っていた。
 私は杏子が好きだ。
 彼女を「あんず」と呼ぶのは、響きが可愛いからという理由もあるけど、私だけの呼び方をすることで特別感を感じられるからだった。
 一方で私を「瑠璃子」と呼ぶのも杏子だけだ。杏子自身は知らないことだけど。他の人はみんな、私を苗字か「瑠璃子さん」と呼ぶ。両親は「瑠璃ちゃん」だから、呼び捨てなのは正真正銘、杏子だけだ。
 杏子はとても可愛い。
 本人は自分のことを地味だと思っているようだけど、最近ミルクティー色に染めた髪はよく似合っているし、くるんと見開いた目は猫のそれを連想させた。
 杏子はいつだって私の心の真ん中にいた。私が作る脚本の主役は、杏子をイメージしたものが多い。杏子は気づいているだろうか。
 本当は杏子に主演女優を務めて欲しかったけど、映画サークルのメンバーの手前、部外者を主演にしたいとはなかなか言い出せずにいた。
 でも、私は杏子と会うたび、彼女を主演にして撮った映画のシーンを夢想していた。そのシーンはいつだって、杏子が一人で映っていた。
 だから、杏子に彼氏ができたと聞いて一番に思ったのは、寂しいでもおめでたいでもなく、絵が汚れてしまう、ということだった。
 それまで杏子一人で映っていた場面に、突然、知らない人間が乱入してくる。途端、その場面は名作から駄作に落ちてしまう。
 それでも当初は、その彼氏も絵になるやつかもしれない、と期待もした。しかし、その男を見て心底がっかりした。まるで自分のことしか見えていない。そのくせ、自分のことを客観視できていない様子だった。あんな男では、絵にならない。作品の質は落ちるばかりだ。
 杏子も杏子だ。どうして、あんな男の告白なんて受けたのだろう。断る理由がなかったから付き合っているとしか、私には思えなかった。
 だから、彼を退場させることにした。杏子を主演にした、その物語から。
 最初はあまりにも腹が立ったから、自転車で跳ね飛ばしてやろうかとか、階段から突き落としてやろうかとも考えたが、それは現実的ではない。
 私とあの男の体格差からいって、与えられるダメージは微々たるものだろうし、それ以上にリスクが大きすぎる。
 そこで物理的に排除するのではなく、あくまで杏子から引き離すことにした。ようはあの男が杏子の彼氏でなくなれば良いのだ。
 では、あの男が杏子の彼氏を辞めるにはどうすれば良いか。簡単だ、他の女の彼氏になればいい。
 ちょうど、私のゼミの同期で「彼氏が欲しい」としょっちゅうぼやいている女子学生がいた。
 私は彼女に近づき、「彼氏が欲しい」という愚痴を聞くふりをしつつ、あの田村某に彼女の興味が行くよう誘導した。
 杏子の彼氏ということで二の足を踏まないか心配したが、幸い、彼女はそんなことはあまり気にしないタイプだったらしい。
 続いて私はゼミの担当教員に他のゼミとの交流がしたいと持ちかけた。そうすることで、研究について刺激を受けることができるから、と。
 もとより飲み会好きだった教授は、早速いくつかのゼミとの合同発表会及び飲み会をやろうと言ってくれた。その中に杏子たちが所属するゼミもあった。
 その全てで幹事を務めるのは楽ではなかったけど、あの男を杏子から引き離すためと思えば苦ではなかった。杏子を中心とした素晴らしい絵を取り戻すためのなのだから。
 そして、杏子たちのゼミとの合同飲み会。私は幹事として座席も決めた。ゼミ同士の交流のため、という名目で二つのゼミのゼミ生を交互に座らせるようにして、かつ、田村と西岡が横に並ぶようにした。
 当然、西岡を席が隣り合う飲み会は、距離が縮まる絶好のチャンスだよ、と唆した上で。
 さて、結果はうまくいったらしい。
 かくして田村は杏子の物語から退場した。
 私は目を閉じ、数日前に目にした光景を思い出す。クリスマスツリーを背景に立つ杏子は、この上なく絵になった。
 私は杏子と田村が別れ話をしているその現場を目撃していた。二人は大学で落ち合って、あのクリスマスツリーの元まで歩いて行ったから、後をつけるのは簡単だった。
 簡単な変装をした上、物陰に隠れていたから、杏子は私には気づかなかったと思う。
 私は田村が陳腐な言葉を置いて去って行った後も、杏子を見続けていた。爛々と輝くイルミネーションを背に立つ杏子の姿を、私は忘れることができないだろう。
 この絵を残したい、と思った。
 だから、私は今作っている脚本に、クリスマスツリーのそばで佇む女子学生のシーンを無理やり捩じ込んだのだ。
 話の辻褄は後から合わせよう。
 映画サークルのメンバーには、少し不審に思われたようだけど、私が絵にこだわるのはいつものことだから、ある程度理解してくれたようだった。
 商店街に聞いてみると、二十六日にはツリーは撤去してしまうとのことで、それならばとその前日のクリスマスに撮影させてくれるようお願いした。
 商店街の会長は「頑張っている学生さんのためだから」と特別に、クリスマス、一番商店街が混み合うであろうその日に撮影を許可してくれた。足を向けて眠れない、とはこのことだろう。
 舞台は整った。
 あとは杏子だ。
 なにを手伝うのか、と問われて、つい曖昧な言い方をしてしまった。彼女にはこれまでもエキストラとしては出てもらったことがあるから、今回もそのつもりでいるに違いない。
 このツリーのそばで佇む女子学生は主演ではない。セリフもほとんどないから、エキストラのようなものではある。
 本当はメインヒロインを杏子にして、そのヒロインがツリーのそばで佇むシーンを撮りたかったけど、それは映画サークルのメンバーが許さないだろう。メインキャラクターはあくまでサークルの役者班がやると決まっている。
 だから、クリスマスの撮影では、杏子は脇役だ。
 私の目的はその絵を撮ることだけではない。
 クリスマスの撮影が終わったら、私は杏子を映画サークルに勧誘しようと思っている。
 幸い、杏子はまだどこのサークルにも所属していない。
 私たちは今、二年生。来年は三年生で、四年生になればあまり映画撮影には参加できなくなってしまう。
 その前に、私は杏子を主演に映画を撮りたかった。私がこれまで夢想してきたシーンばかりの、非の打ちどころのない映画を。
 そのためには、杏子に映画サークルに、それも役者班に入ってもらわなければならない。
 これはいわば、私の一世一代のプロポーズだった。
 私はクリスマス、杏子に私のための俳優になってもらえるよう、プロポーズするのだ。
 どんな言葉で口説こうか。どうすれば、杏子は笑って頷いてくれるだろう。
 今から、言葉を考えなくちゃいけない。
 それはとても緊張する。
 一方で、楽しみでもある。
 クリスマスツリーのもとで佇む杏子の絵を撮るのが。
 彼女にプロポーズをするのが。
 今からクリスマスが楽しみだ。
  

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